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読後雑感 『水車小屋のネネ』 第1話1991年

 律の荷物はランドセルと、右手の袋に9冊の本、左手の袋に7冊の本だけ。着替えや日用品はいっさいなし。大切なものはこれだけだという潔さだ。代わりに理沙が、律の上履きや体操服やお道具箱なんかの学用品一式と、着替えやなんかを箪笥にあるだけさがして、ボストンバッグに詰め込んだ。あとは登山用の大きなリュックと手に下げたビニールバッグが、2人の引っ越し荷物だ。 

 物語の冒頭で、18歳の理沙とと8歳の律の姉妹が、なぜ理沙の就職先に向かうために、2人で駅で急行を待っているのか、どういった理由で自力で持てるだけの荷物だけで家を出て来たのか、まだ明かされていない。

父親のいない3人の暮らしが、母親に出来た恋人のせいで壊れてしまったのが、2人が出る理由だったことが、しだいに知れて来るのだけれど、物語の後半で理沙が、再会した母親に、家出ではなく自立しただけだと言い返そうとして、まだ十全に自立しているのではないから、独立したと言い換える場面がある。

理沙自身は自立と言ってしまうのはおこがましいと感じているけれど、理沙と律が家から持ち出した荷物の中身が、家を出る前から、8歳の律でさえ精神的には親から自立していたことを示しているように思う。

1981年、宅急便のない時代、自力で持てるだけの荷物を持ちだすなら、自分にとってこれだけは持ってゆきたいというものだけを持ちだすはずだ。
律は本、理沙は律と律の持ち物、自分のものは最低限。
律には本が大事、理沙は律が大事。
おそらく他に大切なものが家になかったのだろう。

恋人に目が眩んだ母親は、理沙の短大の入学金を恋人のために使いこみ、恋人の律に対する暴力と精神的虐待を見ないふりをする。それが理沙の独立の原因であったのに、母親は単なる家出と決めつけ、前夫が理沙と律に残した遺産を恋人に貢ぎたいために、いい加減に家出をやめて帰って来いと言う。

 母親失格と罵声を浴びせたくなるけれど、「自分で決めるのがもう嫌になったの」、と言う母親を責めるのは難しい。1970年代、女性が1人で働きながら子供を育てるのは、今の時代よりももっともっと大変なことだったはずだ。がんばってがんばって、疲れ切ってしまったのだと思う。それでもダメな男なんかに頼らず、凛と強く生きてゆくのが子供のためだと、誰が言えるのか。
 
 いろんなことを考えた。
もし私が理沙だったら、ここまでの決心をつけられたか。自分が18歳だったころを思い返せば、1人で家を出るところまではなんとかなっても、幼い妹を連れて来られるかどうか。おそらく、生活が安定したら迎えに来るよ、とかなんとか言い置いて、どうしているか無事でいるかと気にしながらも、結局迎えにはゆかずに済ませてしまうような気がする。

 もし私が律だったら、あっさりと姉について行くと答えたかどうか。でも、だけど、ぐずぐずと決められず、我慢すればいいんだからと自分を納得させてしまい、ひたすら耐えるだけで日々を過ごし、自分はなんて不幸なのかと思うことさえ、できなくなっていったかもしれない。

 もしも私が理沙と律の母親だったら、これはずいぶんと想像しにくいけれど、自分だって1人の大人なんだから、母親という役割に縛られることなんてないんだと、自分に言い訳をして、面倒なあれこれを考えるのをやめてしまうのは、ありだと思う。

 大人になった律が言う。
『自分はおそらく、これまでに出会ったあらゆる人の良心でできあがっている』
あらゆる人の中に、母親も入っていて欲しい。

水車小屋のネネ」 津村記久子
毎日新聞出版社 2023.3.5 1刷


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