家出記念日
2023年1月22日
Googleカレンダーに予定や抱負、日記を書いて5年経つ。
ログインさえすれば、スマホを替えても消えない。
パソコンでもiPadでも見れる。
そこが好きで、ずっとGoogleカレンダー。
基本は水色。
やることは黄色。
楽しみはピンク。
大まかに色だけ決めて緩くやっているけれど、見返すと面白い。
電気毛布をつけたベッドに転がって遡っていると、見慣れぬ赤色を見つけた。
家出
2021年1月24日、その二文字が刻まれていて
2年前の明後日?!と驚いた。
今でも覚えている大切な記念日。
大事な日。
赤色で家出、目立つ。
なんで書いたのかは覚えていない。なんでその色にしたのかも。
あの時わたしは記録したかったのかな。
夜中3時過ぎ、
なるべく音を立てないように忙しなくまとめた荷物。
あんなに好きだった本、1冊も持たなかった。
たくさんの物を置いていくことに迷いがなく、大事なモノが無いということを言語化できずも虚しさを感じた。
よく着ていた服、最小限のコスメ、ヘアアイロン、今まで書いていたノート類。
わたしが持って行ったのはたったそれだけ。
ただの生活必需品、本当に最低限だった。
名前をつけたクマのぬいぐるみも、誕生日プレゼントでもらったピアスも、5年と少し住んだあの部屋の空気、全部置いて行った。
置いて行ったは間違っている。
自ら捨てたのだ。
自分には必要じゃないと切り捨てた。
あの日から今日まで2年。
後悔は、まだ訪問していない。
玄関から荷物を持って飛び出す時、
心臓の鼓動が鮮明に耳に届いた。
漫画の効果音のように、ドクンと聞こえた。
マンションのエントランスから向かいのローソンの駐車場まで走る、50メートルもないその距離で、周りの景色がスローモーションのように感じた。私にはとても長かった。
青い車に乗ると、ドラマのワンシーンみたいだったと言われた。
勢いで乗り越えたあの日の選択。
車からの見慣れた景色、1月の空気の冷たさ、スクールバッグ二つにも満たない荷物。扉が閉まる前の母親の顔。
あれから2年とは思えなくて、何年も何年も前のことのように錯覚する。
初心にかえる、私にとってはこの日がそうだ。
わたしの記念日。
2023年7月5日 22歳。
夢を手に入れたかった。
大事なものは何もなかった、失って困る、失いたくない、手元から零れ落ちたら崩れてしまう、そんなものは持っていなかった。
小学4年生、10歳。
長野県のバスツアー。
深い谷底を見下ろして思った。
このまま落ちてみんな死んだら、私はもっと上に行ける。
人間はどん底に落ちないと這い上がる努力をしない。
いまだに心の底の部分ではそうだと思ってしまう。よく想像をした。
ママが死んだら、パパが死んだら、妹が死んだら、友達が死んだら、私は泣けるのだろうか、と。
物理的なことじゃない。
心はどうなのか考えていた。
首を横に振る私を、その時の私は虚しいとさえ思っていなかった。
綺麗な家、自分の部屋、1日3回出てくる食事、親名義のiPhone、私立の学校、20歳までもらえたお小遣いに毎年もらえるお年玉、買ってもらえる洋服、やってもらえる洗濯、切ってもらえるフルーツ、払ってもらえる矯正代。
私はこれらを手放せなかった。
ぬるま湯だと馬鹿にして、けれどぬるま湯だからこそ這い上がれないのだということを、10歳のあの時からずっと知っていた。
10歳、国境なき医師団に入りたかった。
誰もいないところで生活がしたかった。この生活と正反対のところに。
中学受験の勉強をしながら、そう思った。実行する勇気も気持ちも乗ったレールから降りる覚悟も無かった。
12歳、女優になりたかった。
16歳、小説家にもなりたいと思った。
こっそり受けたオーディション、本当は事務所に居続けたかった。
演劇の学校、大学進学失敗者の手段みたいに言われたくなかった。大学受験をしない選択肢は無かった。私の狭い世界では無かった。できなかった。
あったのかもしれない。
けれどそれは空想の話だった。結局その道は選べなかった。
どうしてか?
そうやって思っているのに、
不満があるのに、
やりたいこととやっていることの矛盾に苦しんでいるのに、
それでもなぜ行動していなかったのか。
結局、ぬるま湯の恩恵に授かっていると分かっていたから。
後ろめたさがあるから。
生活する空間を与えてもらっている後ろめたさ、金銭的に頼りたい甘えたままでいたい自分の我儘を自分で知っていた。
自分一人で生活をするにあたっての義務は果たしたくない、けれど自由が欲しい縛られたくないやりたいことがしたい、つまりは権利が欲しいなど甘えだと分かっていた。
でも直視したくない。
過保護で厳しく子離れができない両親の言いつけを守る可哀想な子、でいればそんな現実を見ないで済む。
私が悪いわけじゃない、親のせい、ここに生まれたせいだ、と。
10年間、手放せなかった。
10歳の時に感じたあの時から、ずっと蓋をしたまま20歳まで変わらなかった、変われなかった。失いたくないものが無い癖に、大事じゃないそれらぬるま湯の数々を手放せなかった。
もしも神様がいるのなら、
その人に相応しいものしか与えず掴み取るチャンスもくれないのだろう。
あれだけ嫌だった環境は不満でパンパンの私と鏡だったということだ。
この世の不条理は全て自己責任。
大好きな東京グールの一番好きな言葉。
不満も文句も愚痴も嫌だと思う感情も、それは全て自己責任。
自己責任、つまりは全部自分次第。
誰かのせいにしている、それは自分にどうすることもできないと認めているに等しい。
でもこの世のことは
全て自分次第で変えられる。
だからそれは、本当に自己責任ってことなんだよ。
ぬるま湯全部を手放した日、
私は一つだけ手にした。
初めての失いたくないものを手にしたのだ。
それは夢ではないけれど、それすらも一部として内包していた。
そうして、弱くなり、強くなった。
捨てたその時、武器は何も持っていなかった。
私が見下し、そして私の足を掴んでいたぬるま湯を、私はずっと自分のアイテムにしていたことに気付いた。
無くして、初めて気が付いた。
恩恵に授かっていた、が身に染みた瞬間だった。
なんにも持っていないを体感した。
何にも縛られない。
そうやって全部捨てた。
そうしたから、かけがえのないものと出会った。
幼い頃、よくしていた想像に真っ直ぐ頷くことができる。
虚しいことを虚しいとそう思うことができる。
そうしてモノを大事にする気持ちが芽生える。そうして今思う。
夢を手に入れたい。
あの時とは違う気持ちで同じことを素直にそう思える。