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ずっと大好きだよ

大好きなじいちゃんが亡くなった
もう2ヶ月経つ けど寂しいな

ここに今書き殴ってる自分が作られた幼少期
育ててくれたのは祖父祖母だった
おじいちゃんおばあちゃん子だったから

祖母は5年前に亡くなった
起立性調節障害から歩けなくなってだんだん一人で生活するのが難しくなって入院と施設を繰り返してた
今考えたら なんてタラレバ嫌いで自分も嫌になるけど家が近かったからもっと会いに行けばよかった
バスで行けた距離なのに私は本当にたまにだけ行って少し話して顔みて帰ってた
祖父は毎日その距離を自転車に乗って会いに行ってた、着替えもまとめて預ければいいのに毎日届けて、祖母が食べたいって言ったものは朝早くから買い出しに行って何度も届けてた
たまに私も祖父と一緒に行って三人の時間過ごしたけど祖母は寝たきりで会話も呂律が回らなくて会話にならないから一方的に写真見せたり話して帰って
祖父にはよく誘われてたしバイトって断って、おばあちゃんからも今日は来ないの?って言ってたよってよく言われてた

祖父と二人でバスに乗って会いに行った最後の日、バスの一番後ろに二人で座ってほとんどおばあちゃんの話をしながら向かった よく覚えてるこの日
ちょうど祖母がお風呂に行く途中でベッドで移動してたところに施設に着いた

人ってだんだん小さくなるし弱くなるって聞いた事あるし知ってたけど私の小さい頃から知ってる祖母は本当に元気で言い合ってケンカもしたしよく歩くしたくさん食べるし元気だったからそんなことないって思ってた けど いつの間にか小さくなって声も小さく聞き取れなくて表情も変わらなくなって笑わなくなって 弱っていってた
会う度に弱っていくのを見るのつらかった

でも祖父と二人で会いに行ったその日は違ったんだよね
ベッドで寝たままお風呂に向かう祖母を見つけてヘルパーさんが祖母に私達が来たことを声を掛けてくれて、会いに来てくれたからお風呂あとにする?って
そしたらいつもとは違ってちゃんと自分の意思をヘルパーさんに伝えて部屋に戻って話したいって言ってたんだ
それが三人での最後の時間
いつもと変わらない時間だったけど

その後は本当の最後になった、私が一人で会いに行った日
祖父が行けなかった日だった気がする
いつもならじいちゃんが好きな食べ物を持ってきてくれるからある物がその日は来ないから無くて
でも急ぎでもなんでもないって私は思っちゃった
もずくが食べたから近くで買ってきてって頼まれたんだ、施設から10分も歩けば行ける距離にスーパーもあった 頼まれた物なんて絶対買えたのに
ずっとずっと後悔してる
私は明日持ってきてくれるから今日は大丈夫でしょっておばあちゃんに言っちゃったこと
私はそれでそのまま帰ったこと

施設にいたら、寝たきりなら、余計に自由がないから来た人に頼み事するの当たり前なのにね
それに応えてあげるのも当たり前だったのに
私はしなかった、明日がある事が当たり前だったしスーパーに行く事はめんどくさいって思うことが出来るほど身体が当たり前に動くから
おばあちゃんごめんね今でも思う

その後おばあちゃんは体調崩して病院に戻ってしまった
そのあとしばらく入院して体調は落ち着いたから明日施設に戻るって話を聞いてまた行こうってそのくらいで思ってた、その日の朝方病院で亡くなった
あと数時間後には施設の人が迎えに来て戻る予定だったのに
亡くなる日の前日の夜は身内が会いに行ってその日は元気で普段話さないのにいきなりカレーのレシピを教えてくれてたくさん話してたらしい
あと、帰り際に天井に黒い虫が飛んでるから取ってってずっと言ってた
その後そのまま寝ちゃったんだね
衰弱って診断されたけど呼吸器を寝る時に着けるのを着けてなかったのがわかって、でも病院は知らないフリだよね 悔しかった
でもおばあちゃんが苦しくなかったんだったらいいかなってだんだん思えた
最後見た顔は寝てるみたいだったから、本当に寝てるみたいで起こしたかった
でももう手は冷たくて白かった

だけどその日も祖父は朝から会いに行ってたんだ
最後も隣で見届けられてた、心臓マッサージをしてもらってる間もそばに居た
おばあちゃん良かったひとりじゃなくて
人任せの自分が本当に嫌いだけど、何度も謝っても
当たり前に明日が来ることも当たり前に歩けることも当たり前じゃないってその時わかったはずなのに

あっという間におばあちゃんは箱の中に入っちゃった、小さくなってお家に帰ってきた

幼少期ママが帰って来ない事が寂しくて、何度も家の電話から電話かけても留守番電話に繋がって
留守電残すけど電話も無いし会えもしないし
その時の世界で一番嫌いな人は留守電の声の人だった 本当に大嫌いだったからよく覚えてる
寂しさが苛立ちに変わって祖母とよく言い合いをした。元気だったから祖母も言うんだよね、居なくなった父親とその睨みつける目がそっくりで嫌いだって、父親なんて産まれた時には消えたし居なかったし顔も知らない名前は成人したあと戸籍謄本で初めて知った そんなもんな存在
あとよく産まれてこなきゃよかったって思われてるのにって言われた、多分じいちゃんはその時怒ってくれた気がするけど
ほんとのことなんてどうでもいいけどやっぱり当時の小さい私は傷ついたよね
そこから作られたこの心のクソみたいな傷 どうでもいいのにほんとにどうでもいいと思ってるのに
それで言い返してケンカしておばあちゃん泣かせて仲直りしてそんなおばあちゃんとの毎日だったな
私が洗面所で化粧しててそれをおばあちゃんは後ろでいつも座ってた椅子に座りながら眺めるんだけど
その時の私には鬱陶しく感じて鏡越しにおばあちゃんのこっちを見る顔がイヤでこっち見ないでって怒ってた、おばあちゃんはその度に笑ってた

お母さんの味って今でも知らないし、お母さんの作る好きな食べ物も知らないし何が作れるのかも知らない
おばあちゃんは毎日ご飯作ってくれてた
天ぷらが多かったかな
子供で天ぷらはあまり好きじゃなかったけど
でもやっぱり祖母の事は大好きだよ
亡くなった後におばあちゃんのよくつけてたブローチを貰った、あと色々探したら私の憎たらしい頃のアルバムがいっぱい出てきた
丁寧に1枚1枚、写真の裏に日付と私の名前と年齢とその日の場所 何があったか 一言書いてくれてたの
私は4歳の頃よく連れてってくれた公園で上手に一人で滑り台が出来たって 何も言えなくなった
おばあちゃんへの最後の手紙にはずっと一緒にいたのに伝えられなかったこと全部書いた、読んでくれたかな、

それから5年間で祖父も一人になって変わっていった、けどすごく元気でいてくれて嬉しかった
なるべく後悔しないようにしたかったけど
やっぱりむりだよね、私に出来ることはもっとたくさんあった、また大嫌いなタラレバと大嫌いな私

じいちゃんも食べる事が好きだから一緒にいっぱい食べた、ここには書ききれないくらいたくさんの感謝することがある
2年前に私は鬱でご飯が食べられなくなった
その時一気に痩せて一番心配してくれたのはじいちゃんだった、これはじいちゃんが亡くなる日まで変わらない事だった

身体を傷つける事が周りを傷つける事だとわからなかったから何とも思ってなかったけど
じいちゃんの病院に付き添いで行った日だった、なんかのタイミンで手首が見えて
じいちゃんが傷を触って じいちゃん泣いちゃうからこんなことする必要ないんだよって 泣かせちゃった
じいちゃんも泣くんだって思った ずっと強かったから
それと同時に私がしたこんな事でじいちゃんをこんなにも悲しませるんだって感じた
じいちゃんは おまえは人より責任感が強いからな、あまり考えすぎないでそんな事しなくたっていおんだよって言ってくれた
何も知らないと思ってたじいちゃんが一番知ってた
でも、そりゃそうか育ててくれてたんだもんね
責任感は無いと思ってるけど

通院したり入院したりが増えてったじいちゃん
自転車で転んで怪我してもう乗らないでって言ったけどまた乗ってまた転んじゃって足腰弱くなって
だんだん歩けなくなって、一緒に二人で自転車に乗って出掛けてたじいちゃんをいつの間にか私は車椅子に乗せて押してた
杖でも歩けなくなって家の階段は時間かけて支えが無いと登れなくなって着替えも生活も困難になってった、そこまでが早かった
最後一緒に外に出かけたのはじいちゃんの好きなイオンだったな
車椅子だったけど買い物してフードコートで好きな物選んでもらって一緒に食べた
会話は少ないけど私には優しい時間に感じてたよ
じいちゃんが乗ってる車椅子はすごく軽かった 押すのにすごく軽くてすごく細く小さくなった背中を見て寂しくなったけど長生きしてねって思ってた
食べたい物ははっきりしてるから好きな物食べてくれてて嬉しかった
手の握る力も弱いから上手くスプーンが使えなくてポロポロ落ちちゃってたけど、一緒にハンバーグ食べたね
私はあまり食べられなくてなんかじいちゃんの姿を見ると涙出て わかんないけど
ポロポロ落としたご飯拾って
帰り道には明日の牛丼を買いたいって言ってて必要なもの買って帰った
これが一緒に出かけた最後の日

じいちゃんは肺が弱くて入院になった
病院は面会禁止だったから行っても顔見れなかったから手紙を送ったり、病気が治るお守りを届けたりした
電話は出来るからほぼ毎日電話してくれたんだ
毎日だから話す内容は同じだし1分くらいの電話だけど私にとってじいちゃんとの電話は大好きだった
私の調子いい日も悪い日も声だけでじいちゃんはすぐ気がついてくれるんだ
あんまり元気ない日は元気だしてって言ってくれた、泣いちゃった日はあまり考えすぎないでって言ってくれた、元気な日は調子よさそうで良かったって言ってくれた
あと必ずご飯食べられてるの?って聞いてくれること
私もじいちゃんも元気にゆっくりしてまた明日ねって言って電話を切ってた
絶対にまた明日が来るように、絶対にバイバイは言いたくなくて、また明日ねって言ってた
また悪い癖
当たり前に電話が来て話して当たり前のまた明日ねだった

体調は落ち着いたけどもう一人暮らしが厳しくなってじいちゃんも施設に入った
ずっと住み慣れたじいちゃん家は引き払う事になって施設に入ってから片付けをし始めた
じいちゃん家が無くなるのは実感が無かった、また帰ってじいちゃんが帰ってくるの待って家の慣れた匂いも景色もずっとあると思ってたから物を捨てるのが悲しくなった

施設はちょっと行きにくい場所で
じいちゃんは最初ずっと家に帰りたがってた、家が無くなることも絶対言えなかった
元気になったら帰ろうねってだから早く元気になってねっていつも話してた
一人部屋だけど、すごく静かでお風呂とトイレとクローゼットだけの質素な部屋はこんなの寂しいよねって思ってた 言えないけどね
ご飯も見たことないけど毎日お粥だったらしい
食べるのが好きなじいちゃんには物足りなかったよね、梅干しとかふりかけとか味があるものって頼まれてたけどもっと食べたかったよね
でもいつの間にか家に帰りたいとは言わなくなった

じいちゃんとの電話はいつも通り続いてた
いつもみたいに会話して1分くらいで切ってまた明日ねって

その後1回じいちゃんの所に遊びに行けた
その日は頼まれてた苺と納豆巻きと魚の煮付けを持っていった
一緒に苺を食べたんだ ベッドにじいちゃんの隣に座って私が苺のヘタを取って渡して、美味しかった
小さい頃 じいちゃんが苺の食べ方教えてくれたから
私が取ってあげる番になっちゃったの少し寂しかったけど、今まで食べた苺で一番美味しかったよ
美味しいねって言いながら食べられて嬉しかった
あとはお前も優しいから将来ヘルパーさんになれば?って言ってくれたこと笑って話した
それと私の腕のこと。腕の傷跡を話題にされても素直に話せる相手は唯一じいちゃんだけだったから
びっしり残ったリストカットの痕は白くなったし増えることも無くなったけど
じいちゃんはずっとずっと心配してくれたその日も変わらずに、傷跡撫でてくれてお前が居なくなっちゃったらじいちゃん寂しいからさって言ってくれたから
もう大丈夫だよって言ったら そうかって笑ってくれてた
2時間くらいそんな時間過ごして施設の帰る時間になったから

他に持っていったご飯は夜に食べたいって言ってたんだけど生物は施設に置いていったら駄目だから今食べないとなんだって話したら今は食べないから置いてってって聞かなかった
私も置いていってあげたかったし食べさせてあげたかったけど夏場で傷んだら心配だしじいちゃんが怒られちゃったら嫌だから説明して持って帰った
ごめんね、でも苺は食べてくれてよかったな


時間はバラバラだけど電話くれた時は話して、最後にいつもより長い3分間の電話をした時は普段話さないこと言ってた
一緒に買い物に行ってあげられたらいいんだけどじいちゃん行けないから一万円あげるからそれで何か好きなもの買ってねって欲しいアクセサリーか服か何か買えるか?って言ってた
遠慮するよって言おうと思ったけど、ありがとう十分だよ今度何か考えておくから選んでよってお願いした
じいちゃんは そうか買えるなら良かったまた今度ねって言ってくれた
だから私もいつも通り早く元気になってもう少ししたら出かけられるかもしれないからねって話した
予定だったら10日後くらいに外出予定をお願いしてたから
私はまたじいちゃんと外に行けると思ってた
その3分間の電話がじいちゃんが元気だった日の最後の電話になった

3日後くらいに電話が来て出たら、いつもなら出てすぐに 今日は元気か?ご飯食べてるの?って言うんだけど
イオンに行きたいってママに伝えてってそれだけで切られちゃった
その後、私は知らなかったけど体調があまり良くなくなってきてたみたいだった
電話は無くなった
かけても電源が入ってなくて繋がらなかった
きっとまた電話くるかなって思いながら待ってた
8月のすごく暑い日、蝉の声が大きくて夏の空で雲が高くて綺麗だった日
そんな空とは反対に 叔母さんから電話が来て

じいちゃん亡くなっちゃった

って

こんな夏の大好きな綺麗な空があんなに悲しく見えたのは初めてだった 外にいたけどそんなの気にならないくらいない泣いた泣きながら早く会いに行かなきゃって考えて
引っ込んでくれない涙はもうどうでもよくて
とにかく急いでじいちゃんところに行った
癖で今すぐじいちゃんに電話をかけたくなったまだ現実感もなかった

道中の記憶はあまりない
何考えてたかもどう向かったのかもその時の気持ちも自分のこともあまり覚えてない

施設に着いて職員さんと会った時、なんか心臓がバクバクした
急な事だったからって言われて じいちゃんの部屋に入るのがこわくなった
待ってるのに 一人で待ってるのにすごく怖くてドアを開けようとしたけどまた涙が出た
職員さんに会うの止めておくか聞かれたけど会うことに迷う事はなかったからドアを開けてもらって部屋に入った

あぁ、こういう事なんだって理解した自分と
実感がない受け止められない自分がいた

じいちゃんの部屋は相変わらず一人部屋でシーンとしてた
あとじいちゃんが嫌いな冷房が効きすぎて寒かった
顔を見るのが怖かった
前みたいに部屋に入ったらおうって言って起き上がってくれないから
私が話しかけるしかないから
でもやっぱり顔見たら泣いちゃうよね

誰が見ててもなんでもよくて、とにかく泣いた足元に座って泣いた
じいちゃんが居なくなったら私が寂しいよって言った
置いてかないでよって出かけるって言ってたじゃんって話した
起きてくれなかった

最後に会った日じいちゃんの手は暖かかったんだ
浮腫んでて痛いって言ってたから触って、でも暖かかったの
またねって手にタッチして握り返してくれたんだけど

もうじいちゃんは起きてくれないし、手は冷たくて固くて動かなくて

何も思えなかった

その後は事務的に話が進んでその日にお葬式の日も全部決めて、終わった
家に帰ってまた泣いた
悲しくて寂しくて置いてかれたって泣いた
私がつらい時 泣きたい時 行き詰まった時 元気な時どんな時もじいちゃんにしか電話しなかったし
そんな電話に出てくれる人はじいちゃんだけだったから
誰でも泣いてる人の電話なんて悩み事聞くなんてそんなのめんどくさいと思うしいやだと思うのに
じいちゃんだけはいつもずっと聞いてくれて
心配かけ過ぎちゃって本当にごめんだけど、じいちゃんがいてくれたからこうしていられたから
いっぱい頼ってた 離れてもじいちゃんの事を心配しないといけない立場なのに
いつもじいちゃんの方から心配してくれるから
泣いてたって今すぐ行ってあげたいんだけどじいちゃん歩けなくてさって言ってくれて
そんな人もういないって思えなくて受け止めたくなくて泣いた

お葬式まではすぐだった

形が無くなるのが怖いのは祖母でよくわかってたから火葬されるのがすごく嫌だった
でもじいちゃんが天国に持って行ける手紙にはたくさん色んなこと書いた
思い出と、また会えた時は好きな物いっぱい食べようってだからおばあちゃんと待っててって約束した
絶対に手紙にもお別れは書かなかったんだ
またねって忘れないでって書いた

一人で寂しかったかな、寒い狭い部屋でごめんねって、色んな事が頭の中にあったけど

じいちゃんもあっという間に小さい箱になって帰ってきた
私が抱えられる小さい箱



これは私のひと区切りを書きたかっただけ

気持ちの整理なんてつかないと思うよ今も

泣く時は泣くし
心配するから安心させないとだから笑わないとって思っても泣いちゃうよ
でも私は大丈夫だよって話してる

なんとなく、今も元気?って聞かれてる気がするから大丈夫って答える

大丈夫、でも寂しいよ
電話は来ないし

幸せにおばあちゃんと好きな事して待ってて

痛みも苦しみもない天国で笑ってて

ゆっくり休んで
たまに私の事思い出したら会いに来て

ずっと忘れないよ
ずっと大好き

こんな孫を育ててくれてありがとうね

また会った時は美味しいご飯食べようね
自分を傷つけるのはもうやめるよ
じいちゃんと約束したからね

泣いちゃうのは許してね
大好き

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