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私の勉強法は効率悪いです

今回は、日経新聞でテーマが「私の勉強法」ですか。
きましたねこれは。


私が今勉強しているもの

かなり手広くやっているようなやれていないようなな感じですが、以下のようなものたちです。

  1. 生成AI

  2. SEO対策

  3. ピープルマネジメント

  4. 組織マネジメント

  5. マーケティング

  6. 話の聞き方

  7. ファシリテーション

  8. 行動経済学

  9. illustrator(というよりAdobeCC全般)

  10. JavaScript

  11. 投資

  12. 競艇(ボートレース)

  13. 世界史

  14. 数学(ベクトル系)

  15. 量子力学

  16. ネクストブレイクタレント

主語が大きいのは気にしないでください。

正直、SEO対策、行動経済学、ピープルマネジメント以外は割と理論として体系化されているレベルのことも身につきまくってはいないので、教科書の脳内コピペで覚えられると思うのです。

だが断る。

まずは自分で実践することが私の勉強法です。
そもそも自分で体験してみないとダメなタイプの人なので、一旦やってみようというスタンスで始めてみますが、どうせ挫折するのでその時に理屈を覚えながらやってみるスタンスです。

私の勉強法のルーツ

私の勉強法のルーツは、確実に大学受験期に確立されたと言っていいでしょう。
その後にアップデートされたのかされていないのかは微妙ですが。

高校3年生当時の成績はまー悪いものでした。
一応地方国立大学志望だったのですが3年生の6月時点で「国立で受かるとこねぇよ」と先生に言われたことを今でも覚えております。

確かにレベルが追いついておらず、授業に出てもよくわからないことばかりだったので「無駄じゃん」と思っていました。

夏は受験の総本山と言われており、夏休みは課外で埋め尽くされる始末でしたが、「課外に出ても自分に理解できるのか」と疑問を持っていたため、全部サボりました。

サボったはいいけど勉強内容どころか勉強法すら知らないので、「ドラゴン桜」を読み漁って手当たり次第に実行していました。
週100時間を目標に家に引きこもって勉強しました。

「週100時間」という目標の立て方がすでに効率(というか頭が)悪いと思うのですが、効率的な勉強法を知らないので「質より量」でこなすしかなかったのです。

これは最近知ったのですが、「量をこなしていないやつに質を語る権利はない」と本田圭佑さんもおっしゃっていますね。

結果として約半年で地方旧帝大にギリギリ合格できました。

この効率化されていない経験が「効率化」が正義とされる現代において、逆に役立つなぁと思っているところです。

効率化を気にしすぎて動かないのは効率が悪い

効率的に、タイパ、コスパよく学習したい気持ちは非常によくわかります。ほとんどの人がそうだと思います。自分自身も楽できるなら楽したいです。

が、効率化を求めるあたりスタート前から「もっといい方法があるのでは」「最短で成果を得たい」と悩んでいるうちに非効率的な手法でも進められれば多少の知見は得られます。
そしてこの知見は効率性を求めているとなかなかリーチしにくいものです。

こういったものの中に、隠れた最善手が極少数ですが存在します。

効率化された手法も非効率の中から生まれたのでは

憶測100%のバイアスかかりまくり感想ですが、現在「効率的な仕事の進め方」も非効率を模索しながら誕生したのではないでしょうか。

そうすると手法は真似できても「なぜその手法が良いのか」まではわかりにくくなってしまいます。単純にそれを考えること自体が非効率な上に興味もない方の方が多いからです(個人の感想です)。

そうなると創造性が求められる仕事でも単純作業になってしまったり、現在の手法が最善手であると疑わなくなってしまうリスクがあります。

こうなると長期的に見て非効率となる可能性も充分に存在すると考えられるのです。

最初から成功しようとしない

非効率な手法で強引にスタートを切るとスタートダッシュこそ決まりますが、失敗率が格段に上がります。
わかんないもん。

ならもう失敗前提で動き出したほうがまだ良いと思うのです。
「成功事例は真似したがるくせに失敗事例を真似しない」という目線が足りていない中で、失敗事例を積み重ねることにも価値があると考えています。

あまり納得はされないですが。

勉強することに見返りは必要か

ここからは視点を変えて「学んでいる人に対するインセンティブは必要なのか」という目線で考えてみたいと思います。

と言いつつ自分の中で答えが出ていないのですが。

勉強する動機・どのようなコミットメントで勉強しているのかが重点になると考えます。

勉強する動機から考える

勉強する動機が仕事に直結する場合は必要かなと思います。
勉強だけなら生産性はないですが、今後の先行投資的な意味合いで重要になる可能性があるからです。

さらに会社や上司の命令でさせられているのであれば、当然真面目にやっている人や結果を出している人が優遇されるべきです。

ただ、私のように「役に立つかは知らんけど興味があるから学びたい」のであれば、見返りが逆効果になる可能性もあります。

しかし、線引きを明確に行ないすぎてしまうとアピールした者勝ちになるので本来の趣旨から外れてしまい元も子もありません。

回答が出ていないというのはこういった背景からくるものです。

組織コミットメントから考える

上記と重複する部分がかなり多いのですが、組織コミットメントには情緒的・存続的・規範的の3種類があると言われています。

簡潔にいうと以下のような特徴があります。

  • 情緒的コミットメント:組織のパーパスや同僚のために頑張る

  • 存続的コミットメント:報酬やメリットのために頑張る

  • 規範的コミットメント:ルールや社会人としての常識だから頑張る

ものすごい雑な説明ですが、ざっくり言うと上記のようになります。

そして厄介なのが、ひとつのコミットメントで動く人は稀です。割合が違うだけで全てのコミットメントが作用しており、どのコミットメントで勉強するのかを一括りにすることができません。

数値化できる指標ではないですが、
例を挙げると情緒:存続:規範 = 2:5:3 みたいなイメージです。

情緒的コミットメントが強い人は、特に見返りを求めていないので、そもそも「インセンティブいくらです」と明確にするよりも「頑張ってますね」とコービーでも奢ってあげるぐらいが丁度良かったりするケースもあります。
個人的にはコーラの方がテンション上がります。

存続的コミットメントが強い人は逆に勉強に取り掛かる前に「勉強してどういう資格を取ったらいくら昇給します」と明示しておいた方が良いでしょう。

そしてその不公平感に嫌悪感を抱くのが規範的コミットメントが強い人です。
ルールとして明文化しておかなければ納得は得られにくいでしょう。

では、情緒的コミットメントが強い人は少ないし文句言わないしと蔑ろにして、明文化しておいた方が良いかと言われるとこれまた微妙です。
情緒的コミットメントが強い人は「評価はされにくいけど必要そうだから勉強する」傾向にあるためです。

実は、組織基盤を支えているのは情緒的コミットメントである場合が多いためです。
この層は感情で動く傾向にあるため、反旗を翻したり退職したりすると一気に組織崩壊を起こすリスクがあります。

母数自体は少ないものの、反作用が強すぎて無視できないのではと考えている今日この頃です。
宣言通りはっきりしない回答となりました。

個人的な勉強動機

これは落合陽一さんがおっしゃっていた「自分の技術的負債を解消したい」というものが最も共感できました。

目の前で再現できているものに対して、自分ができないことを「技術的負債」と定義し、それを解消したいというものです。
要は、実現できることが明らかなのに自分ができないのが嫌なだけです。

簡潔に言えば負けず嫌いと好奇心がミックスされたようなものでしょうか。

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