アスエコ未来教室第5回 ”共に生きる福祉と地域のつながり” 川崎医療福祉大学 田渕泰子さん
2021年11月5日(金)に、第5回アスエコ未来教室が開催されました。
第5回となる今回の未来講師は、川崎医療福祉大学医療福祉学部 教員 田渕泰子さん。
活動の内容
今回の未来教室のプログラムは以下の通りでした。
1.オープニング
2.目標説明
3.ゲストトーク(田渕さん)
4.質問セッション
5.クローズセッション
今回のオープニングでは、名前リレーはせず、自己紹介のみを行ないました。
その後、目標説明で、今回の目標を説明するとともに、キーワードを確認します。
第5回の目標は、以下の3つ。
・どんな自分でいたいか、を考える
・他の人の言葉を聴く
・グループで協力して質問し、深めてみる 真剣に楽しく
目標の中でも、特に、「他の人の言葉を聴く」というところを重視しています。
未来教室の五か条も、きちんと覚えている中学生が増えているように感じました。
毎回中学生のレポートにフィードバックを返してくれているライターの国富さんから、レポートについての全体へのコメントが紹介されました。
「学校のテストに答えるようなレポートじゃないのが、嬉しい」と話している、と伝えられ、嬉しそうだったり、誇らしげな表情を浮かべたりする中学生の姿が印象に残っています。
また、今回のオープニングでは、第4回までの未来教室の振り返りを行ないました。
どんな人が、どんな話をしていたか、各回ごとに振り返ることで、今までの未来教室について思い出すとともに、何を学んだのか、どんなことに気づいたのか、改めて考えることができました。
ゲストトーク
今回の未来講師は、川崎医療福祉大学 医療福祉学部 教員 田渕泰子さんです。
田渕さんは現在、川崎医療福祉大学で教員として働いています。
それ以前に、アナウンサーの仕事と、ソーシャルワーカーとしての仕事を15年間していました。
・田渕さんについて
田渕さんは、広島県で生まれ、幼少期は岡山県瀬戸内市で過ごしたそうです。各学年1クラスしかない小学校に通い、飼い犬がいなくなったら心配し、一緒に探してくれるような地域の人たちがいる環境で育ちました。
その経験を通して、田渕さんは、自分自身が生まれ育った場所が人生を形成する上で大きな影響を持っていると感じたそうです。
学生時代には軟式テニスの部活に熱心に打ち込み、大学4年生のときに「教員になろう!」と教育実習に行った先で、あることに気付きました。
「22歳で社会経験もしていない自分が、子どもたちにこんなに影響を与える仕事に就いてもいいのだろうか?」
そう思っていたときに朝の情報番組を見て、見聞を広め、社会経験を積めるのではないかと考えた田渕さんはアナウンサーという仕事を志しました。
そこから田渕さんは、名古屋から広島までの放送局を受験行脚し、RSK山陽放送にアナウンサーとして就職します。
そこで7年間働き、独立後、コミュニティエフエムの開局に携わるなど、15年間をアナウンサーとして働き、その後、異分野の「ソーシャルワーカー」として第2のキャリアをスタートさせました。
・ソーシャルワーカーって?
ソーシャルワーカーには、大きく分けて2つの種類があります。社会福祉士と、精神保健福祉士です。
社会福祉士は1987年に国家資格化され、子どもから大人、高齢者まで、全ての人が支援の対象となります。
一方、精神保健福祉士は1997年に国家資格化され、精神障がい者を支援することが専門の国家資格です。
こころの病に対しての支援をする仕事で、田渕さんの仕事の中心はこの精神保健福祉士なのです。
・なぜソーシャルワーカーに?
大学時代、田渕さんは軟式テニス部のキャプテンを務めながら、福祉サークルに所属をしていました。
年に数回、自閉症の子どもと関わるイベントに参加していたことがあり、障がいを持つ子や、その親の表情が印象に残っていたそうです。
大学生のときに就職活動をする際には、「人に尽くすだけの仕事は嫌だ!」と考え、福祉の仕事を選びませんでした。
アナウンサーになってから福祉のことを積極的に取り上げる機会を作っていたのは、中途半端に福祉に関わり、仕事にはしなかったことへの「せめてもの償い」と田渕さんは表現しました。
田渕さんが、自分が取材する中で、もっと取り上げたいと思う人を改めて取材、インタビューし、本を出版。
その本を書き上げたときに、「次へ進みたい」と感じ、アナウンサーを1年休職しました。30代後半のことです。
人に直接手を差し伸べることができる精神保健福祉士の資格を取得し、ソーシャルワーカーの道へ進むことを決めました。
海外ではリカレント教育(「教育」と「就労」のサイクルを繰り返し、キャリアアップする教育制度)が一般的ですが、日本ではまだ普及していないため、学ぶためには働くことを辞めざるをえませんでした。
・福祉について、学び直しをしたい。
・こころの病は多様化している。
現在では、うつ、アルコール依存、発達障害の二次的な病としてこころの病を患ってしまう人が増加の一途をたどっている。
・今までの精神保健教育活動の総括をしたい。
そう考えた田渕さんは、次のことも決まらないままに仕事を辞め、2020年まで大学院で学んでいたそうです。
未来教室の大学生スタッフの中には、大学院で田渕さんと共に学んだという人がいました。
・田渕さんのソーシャルワーカーとしての活動
現在、田渕さんは川崎医療福祉大学でソーシャルワーカーの養成に関わっています。
こころの病は誰もが発症する可能性があるにもかかわらず、世界的に偏見のある病気なのです。
田渕さんはアナウンサーからソーシャルワーカーに転職してから、精神科病院や福祉現場で働いていました。
私たちが「入院」と聞いてイメージするのは、数日から数週間、場合によっては数か月間病院で治療をする、ということです。
しかし、精神科病院の入院は私たちの想像よりもずっと長期的なもので、数か月は当たり前、数十年入院している人もいます。
その閉鎖的な環境は田渕さんにとってあまりにも息苦しく、一刻も早くやめようと思っていたそうです。
しかし、「何かを残して、メディアで報道できるようになるまでは頑張ろう」と自分を奮い立たせ、田渕さんは地域交流イベントを開催します。
最初は田淵さん自身が講師になり講座を行ない、音楽ライブ等を積み重ねるうちに、口コミで広まり、約300人の集客となる人気イベントとなり、10年間で100回開催しました。
多機能型事業所を設立したり、毎月「まちづくり会議」を開催したりして、病院の患者さんや福祉現場の利用者さんと地域の人の交流の場を作り出したのです。
すると、田渕さんが責任者を務めた福祉現場は、地域の人たちとのコミュニティ拠点となり、県内外からの視察が絶えない、障がい者と地域との共生モデルとなりました。
そのような変化を得られるまで何かを継続した田渕さんの話を、中学生は真剣に聴いていました。
自分で活動をしている人、何か行動を起こそうとしている人、中学生の中にもさまざまな立場の人がいます。
そんな彼ら彼女らの心に、田渕さんの言葉は深く響いたのではないでしょうか。
・精神疾患について
2021年は、芸能人やスポーツ選手の精神疾患についての報道が相次ぎました。
田渕さんは、これを嬉しい傾向だと話します。
誰もがこころの病になる可能性があることを、認知してもらいやすいからです。
糖尿病、がん、脳血管疾患、虚血性心疾患、精神疾患の五大疾患のなかで最も患者が多いのは精神疾患だと、田渕さんは教えてくれました。
そして、精神疾患だけは患者数が急増し続けています。
アメリカのケスラーという研究者によると、日本人の5人に1人は一生の間に精神疾患にかかる、といわれているそうです。
こころの病の二大疾患は、うつ病と、統合失調症です。
中でも統合失調症は若年層に最も起こりやすいこころの病なのです。
私たち自身、いつかかるかわからない、いつかかかるかもしれないこころの病。
それを予防するため、また、かかったときにどうすればいいかを、田渕さんは教えてくれました。
・何を大切にしてきたか
田渕さんは、自分が何を大切にしてきたかを、スライドにまとめて紹介しました。
・目の前にいる人(視聴者&リスナー・患者さん&メンバー・学生)が豊かになれるためやしあわせになるための労力を惜しまず、ベストを尽くす
・私は、私自身に限界を設けたり、可能性をあきらめない。私自身の可能性を信じ続ける
・私にできることは何かを問い続ける。私にしかできないアクションを起こし続ける
・人生の分岐点では、楽な道ではなく、自身が成長できる道を選択する
アナウンサーになった時も、福祉の世界に入った時も、「私にしかできないアクション」を常に考えていたそうです。
「成長した自分に会いたい」と感じているからこそ、どちらに進むべきか迷ったときには自分が成長できる方を田渕さんは選んできました。
人の言動の源泉は、「怖れ」と「愛」のどちらかによるものといえると思います。
他との「違い」は面白いものであり、世界を広げてくれるものだと田渕さんは話します。
人の差別は「違い」に対する恐れから生まれるものですが、違うことは面白いことなのです。
違うことに誇りを持って生きられる社会になることを願っている、と話す田渕さんの声はまっすぐで、とても強く、それでいて優しいものでした。
質問セッション
質問セッションでのトークテーマは、話を聞いての感想、それを受けて田渕さんに聞きたいこと、の2つでした。
以下は、質問とそれに対する田渕さんの答えの一部です。
Q.どうしたら相手の辛い状況に気づける?
A.施設で働いていた15年間は、あいさつした時の声のトーンや歩き方、目の力を見ていると違いに敏感になった。
その人が表現することがすべてだと思っていたが、こころの病を持つ人と過ごすようになり「表現されていることはその人の氷山の一角で、その水面下に今までの人生や想いがあるのかもしれない」と思うようになった。
Q.こころの病を抱える人が近くにいたらどうしたらいい?
A.ずっと一緒にいると、こころの病を持つという状態が特別なことではなくなる。「あなたのことを見守っているよ、大切に思っているよ」という気持ちをきちんと持ち続けることが大事。その気持ちは相手に伝わるようになっている。
こころの病を持つ人は、繊細な人が多い。ありのままの自分でいないと、相手にはすぐに見抜かれてしまう。
Q.最初に福祉に関わってから現在までで一番変わったと思うことは?
A.想像力が身についた。ソーシャルワーカーになるまで、想像力は乏しかった。だが、この仕事に就き、目に見えるものだけで判断してはいけないし、表出していることがすべてだと思ってはいけないと気づくことができた。
目に見えないものを想像する力をつけてもらった。人を思いやる心、優しさを育ててもらったことが自分の何よりの変化。
第5回の質問セッションでは、田渕さんと一対一で話し合う中学生がいました。
素直に自分の悩みをさらけ出して、相手に助言を求めることができるのは、ひとつの能力だと思います。
筆者自身は自分自身の悩みを人に話すことが苦手です。
だからこそ、そのように感じるのかもしれません。
田渕さんは、質問セッションの最後に、弱さをさらけ出せる社会になることは大事だ、と話しました。
生きにくい社会だからこそ、こころの病を持つ人の「無理をしない」生き方は大切なものになるのです。
最後に
第5回となった今回の未来教室では、福祉やこころの病など、自分とは関係ないと思いがちな分野についての話を聞きました。
中学生だけでなく、大学生スタッフ、もしかするとアスエコスタッフも「自分には関係ない」と思うことかもしれません。
しかし、実際には自分にも関係のある事なのだと、田渕さんのお話を聞いて誰もが福祉やこころの病をじぶんごととしてとらえることができるようになったのではないでしょうか。
いよいよ、次回は第2期最後の未来教室です。
第6回未来教室は、12月3日(金)に開催予定です。
第2期のしめくくりに、12人の中学生はどのような姿を見せてくれるのでしょうか。今から、楽しみでなりません。
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