16歳の恋にさよなら
1人夕飯を作りながら、思い出した話を少しだけ。
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16歳だった私は、音楽に夢中だった。
元々小さい頃からピアノを習っていたけれど、
中学生の時にベースに出会って、音楽関係の仕事に就きたいと思うようになった。
中学でベースを弾く人が珍しかったこともあって、高校生になったら、軽音学部でバンドを組んで、大きな舞台でライブできたらいいなという憧れから、規模の大きな軽音学部のある学校を選んだ。
そして、猛勉強の末、無事に第1志望の学校に入学し、すぐに部活見学をして、軽音学部に入部届を提出した。
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軽音学部では、自分から周りの人に声をかけてバンドメンバーを探す必要があった。
誰かと一緒に入部したというわけでも無いし、どうやって探せばいいんだ?と考えていた時、
偶然、軽音学部のある男の子が「ベースを探している」という話を風の噂で聞いた。
すると、その噂を聞いたその日の帰り道。
高校の最寄り駅でその男の子にでくわした。
そして、彼を見つけるや否や「私も一緒にバンドやっても良いですかー?!」と駅のホームで叫んだ、というのは今でも記憶に残っている。
そんなこんなで、
元々集まっていたギター(その子)とドラム
そこにベースの私、
さらにボーカルを加えた4人。
ボーイズバンドの紅一点として、私はベースを弾くことになった。
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入学当初は名前と顔が一致していなかったけれど、
一緒にバンドを組むことになったドラムの子とは、同じクラスだったことに数日してから気がついた。
ギターの子(駅で声を掛けた男の子)から私の話は聞いていたらしく、
「ベースの〇〇さんだよね?ベース経験者なんでしょ?」と向こうから声をかけられた。
たまたま私のクラスで軽音学部が私たち2人だけだったこともあり、それからはクラスにいる時もよく話すようになった。
ギター、ボーカルの子とは別のクラスだったので、普段の様子は知らなかったけれど、
ドラムの彼とは、課題や学校行事でわからないことがあれば助け合う仲だった。
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私は中学生の時にベース以外にドラムも叩いていた時期があったので、
バンドを組んだ直後は、高校からドラムを始めた彼に、スティックの持ち方や叩き方といった基礎的なことを教えていた。
しかし、1、2ヶ月経つと、すぐに彼にドラムの実力は抜かされた。
本人の努力も相当あっただろうし、元々センスがあったのだと思う。
軽音学部の1年生では、既に8個くらいのバンドができていたけれど、
いつのまにか、その中で彼がダントツ、なんなら2年生の先輩よりも彼のほうが上手くなっていた。
そして、そうやってドラムに打ち込んでいる彼の姿を同じバンドのメンバーとして間近で見ていて、成長を感じられたのも嬉しかったし、
ドラムとベースのリズム楽器2人で練習をすることも多かった。
そして、気づけば彼のことが好きになっていた。
でも、ギターとボーカルの2人もいる手前、「好き」なんて絶対に言うことはできなかったし、
なんとなく彼も私に好意を持ってくれている感覚はあったけれど、お互い気づかないふりをしていた。
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軽音学部と聞くと「チャラい」と言われることも多かった。
私の所属していた部活も例外ではなく、
みんな制服は着崩して、練習も19時からスタジオに入って、22時に帰宅するみたいな生活をしていた。
今考えれば、補導されていてもおかしくない。
当然だけど、勉強する時間は無かったし、周りも勉強しないことにかまけて、私の成績もどんどん下がっていった。
罪悪感はあったけれど、幸か不幸か実力以上の進学校に入学してしまったばかりに、高校に入学した1週間後の模試で「第1〜第5まで志望校を書け」と言われるような学校だったので、
これ以上、もう勉強したいとは思わなかった。
同時に、バンド活動が本格的になってきて、ライブハウスや文化祭で演奏する機会をもらえていて、音楽に夢中だったので、ますます学業を疎かにしていた。
正直、高校卒業後は音楽系の専門学校に行こうくらいに考えていて、大学に行く気なんてさらさら無かった。
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しかし、それから半年。
軽音学部あるあるだけど、いわゆる「方向性の違い」によって、1年生の終わり頃にバンドを解散することになった。
「終わったな」と瞬時に悟った。
バンドを複数掛け持ちしている人もいたけれど、基本的には1人1バンドの体制が強かった私の部活では、他のバンドが同時期に解散することがない限り、バンドを組み直すことは難しい。
結局、ギターの子とドラムだった彼は、ボーイズバンドを組みたいと前から話していた、他のベースボーカルの男子とバンドを組むことになり、
ボーカルの子(解散の要因はこの子なんだけども…)と私はあぶれることとなった。
私はアコギが少し弾けたので、
バンドの解散後は路上で演奏したり、地元のラジオに出演したり、作詞作曲でソロ活動をしていた時期もある。
(また別の記事で書こうかなと思います!)
しかし、高校時代にバンドを組んで、ベースを弾くことはもう無いんだろうなと思っていたし、だんだんと部活にも居づらくなっていた。
2年生の秋、私は部活を辞めた。
アコギも好きだったけれど、1番大好きなベースを弾きたくても弾けないことが辛かった。
専門学校に行こうかなぁという考えも打ち砕かれた。
中学生から4年半をベースに賭けていた私には、何も残らなかった。
挫折。
絶望感。
舞台の上でベースを弾いていた1年前のキラキラした自分はなんだったんだろうなって。
それからはベースどころか、楽器を弾くことも無くなった。
邦楽バンドも聞かなくなった。
ドラムの彼とは2年生ではクラスが離れたので、部活も辞めたことで話す機会は無くなった。
本当は話しかけたかったけれど、退部した手前なんて話しかければ良いのかもわからなくて、
廊下ですれ違う時もお互い目は合うけれど、それ以上は何も無かった。
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軽音学部を辞めて、しばらくは何も手につかなかった。
…音楽が無くなって、自分に残ったものは何?
自問自答をした。
「やっぱり、大学に行こうかな」
この時に決心した。
そして、特に足を引っ張っていた英語を克服するため、母に勧められて海外文通を始めた。
「勉強なんてしない。英語なんてやる意味ない。私、海外なんて一生行かないから。」
と口ごたえをしていた16歳の私は、
「今後、海外駐在する可能性もあるからよろしくね」と言われるような26歳になっているとは全く思いもしなかった。
挫折した末、海外留学の道を選ぶことになったのは、結果オーライだったと今は思っている。
でも、もしあの時、音楽の道に進んでいたとしたら、
今、私はどうなっていたのだろう?
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時は流れて、
先日、高校時代から親しくしている友人に会った時のことだった。
たまたま、一緒にバンドを組んでいたドラムの彼の名前が上がった。
大学2年生までは私もSNSを使っていたので、なんとなく彼の近況は知っていた。
でも、SNSをやめてからは、相手のことを知る術もなく、久しぶりに名前を聞いて「あー懐かしいなぁ」と思った。
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その帰り道、「まさかだよね」とは思いつつ、彼の名をGoogleで検索にかけた。
検索結果を見て、驚いた。
彼のSNSのアカウントが検索で引っかかった。
プロフィールを見て、すぐに彼だとわかった。
今は会社員の傍ら、ドラマーとしてインディーズバンドを続けているらしかった。
少しだけ心が暖かくなった。
私が挫折した分まで頑張って欲しいと思った。
彼の10年間のドラム人生の序盤に立ち会えたのは本当にありがたかったなと
親心じゃないけれど、そんなことを考えてしまった。
私の人生で今後彼に出会うことは無いと思う。
でも、もしかしたらまたどこかで
いつか彼のドラムの音を耳にする日が来ればいいなって
そんなことを思いながら、パートナーに勧めてもらった邦楽バンドの曲を聞いて、
私は今日も眠りに落ちていく。