自分の見えているところで回っているお金なら、お金に振り回される人も少なくなるし、嫌いだと言う人も、お金に縛られる世界から抜け出したいと言う人も少ないのではないかと思った。
お金で買えるものってなんだろう。私達が普段買っているものってなんなのだろう?
私、結局、みんなが求めて探しているものって違うけど、一緒のものなのじゃないかと最近思う。多分、こういってしまったら元も子もないのだけれども、みんな違うってことは、みんな同じってことと同じなどだと思う。みんな世界を視る言語も視点も少しずつ違うから、違う考えを持っていて、自分のやりたいことへのアプローチも全然違う。不安定なものに安定を求める人もいるし、お金に安心を求める人も、恋人に精神的安定を得る人も、どこに求めたらいいかわからなくてもがいている人も、人との繋がりの中に生きていこうとする人も、人それぞれじゃんっていって自分のやれることやりたいことやっている人も、結局はみんな一緒。なにが一緒かって言うのは、、、うーーん、ちょっとわかんなかった。
でも、私は、気持ち悪くないお金と人間と食べ物と道具で生きていきたいのです。
この「気持ち悪くない」ってなに?っていうのを今、言語化している最中である。お金に関しては、自分の見えているところで回るということだなと思った。これ、すごく難しいけど。なんとなく、見えるようにするまで、10年はかかると思う。それでも、まだ見にくいお金はきっとある。
あんまり、いい感じにはまとまらなかったな。でも、気持ちいいお金ってなんとなく感覚でちょっとわかった気がしたのが今日でした。もっと言葉にします。キーワードはNPOバンク、お金ではなくギフトという形、お金の地産地消でした。
今日やったことは、ピアノで自分探しした。
あーーー。丁寧に生きていこうと思っているのに。1つのことに集中できない。これが私の特徴なんだけれど、でも1つなにか完成させたい思いが強いなあ。まあ、これを書いた時点で1つ完成させたことになるから、自分のこの変な失望は変でしかないのだけれど。
今週中にもう一度お金について書く。あとは、言葉の限界についても書きたい。
読んでくださった方へ、何を思って読んでいたのか、読んでくだすったのか、コメントくをだされば、家の前にやまびこをしに走るくらい、喜びます。