いのちを頂く

今日、私はいのちを頂いた。

チャイを飲んだのだけれど、とっても美味しかった。香辛料とお茶と豆乳とりんごのシロップ。りんごは無農薬、チャイを煎れてくれたのはチャイが好き過ぎてインドに行ったという人。一口飲むと、香辛料の良い香りの後に、豆乳とりんごのシロップのなんとも言えないちょうど良いもったり感と温かい甘みが口に広がる。こんなこっ恥ずかしい食レポを書いてみたくなるくらい、読んでくれた人に伝えたいと思う美味しさだった。

そして、そこに、いのちを感じた。

お肉や魚はいのち、というのはなんとなくわかりやすい。自分と同じように、動くし、息をするし、身体構造が似ているから。でも、野菜にも果物にもいのちがあるんだってわかった。私は今日、いのちを頂いた。

いつも食べている食べ物だっていのちである。知っていた。私は生まれたときからアレルギー持ちで、かかったお医者さんの勧めにより、無農薬や無添加、無香料、参加した油はなるべく避けるといったことが私の家族の普通だった。どういうことかと言うと、美味しい野菜と、美味しいお菓子と、美味しい調味料をたくさん食べて育ったということだ。言い換えると、スーパーで買えるお菓子はいくら美味しそうに見えても殆ど買ってもらえず(買ってもらえたのは妥協して、芋けんぴか、ぽんせんくらい)、外食に行っても食べれると思えるものは限られていて、パン屋に行っても食べれるパンは3個あれば良い方ということ。更に言うと、なんにも知らない人が、私の食べているものの字面を見れば、意識高い系の人なんですね、とか思われそうな感じだ。ここまで来るともはや面白い!

でも、意識が高いわけじゃない。そりゃ、人よりそういう食べ物にアンテナを張っているという意味では、食べ物に対する意識は高いと言えるが、よく言う見栄っ張りの意識高い系では、ない。

今日、母が言っていた言葉が全てである。無農薬とかとれたてとか、無化学肥料、無香料、無化学調味料…とかにアンテナを張るのは、「美味しいものが好きだから」なのだ。ただの食い意地。これに尽きる。

もちろんそれを求めることのメリットも有る。無農薬なら、虫を殺す=生き物を殺す=人間(生き物)にも良くはない、という気持ち悪さから抜け出せる。また、化学肥料の撒きすぎや農薬による土壌・水質汚染も、無農薬や無化学肥料を選べば、減らせる。

でも、なにより、無農薬、無化学肥料、とれたて…どれをとっても美味しいのである。それは多分、自然の複雑さが出す味と、作った人の作ったものを可愛がる気持ちも載せられて、最高に美味しいのではないかと思う。

今日のチャイは特別美味しかった。それは、りんごのいのちと、作った人の好きなものへの気持ちが最高にマッチしていたんだ。あれで豆乳も美味しくて、氷もすてきなものだったら、どんな魔法の飲み物になるのだろう!

ああ、もっと上手く言えたら良いのに!!!!

美味しいものを食べよう。心がじわっと暖かくなるような、体の内側から生きる力が沸々と湧いてくるような。そんな、美味しいものを食べようよ。

ー今日の同音異義語ー

香辛料、更新料

共生、強制

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Asuka Onodera
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