福沢諭吉の男女平等の位置付けは?
福沢諭吉の男女平等、女性論について、フェミニズムの流れの中ではどのような位置付けかあまり言及がない。特に女性陣から男の押し付けの女性論という声が聞こえそうである。つまり男にとって都合の良い範疇の女性の解放。とはいえ、なかなかそれも見つからない。
福沢諭吉に自由の観点から影響を与えた経済学者のJ. S. ミルの本をしらべていたら、「女性の隷従」という本が出ていることがわかった。岩波や他の本でのタイトルは「女性の解放」である。なんと1869(70?)年出版。
福沢諭吉の新女大学は1899年である。ここにまとまるまでに「学問のすすめ」(1876年第15篇)にもミルの「女性の隷従」は出てきて(福沢諭吉と自由主義 個人・自治・国体、 慶應義塾大学出版会 安西敏三著 序論)いる。
それで岩波の「女性の解放」を手にいれ解説を読んだら大内兵衛氏によるわかりやすい筋書きが載っていた。
素直にフェミニズムの日本の歴史のような総説本を探せばよかったのだが、その前にみつかった。これもある面しか差し出していないかもしれない。上野千鶴子氏の本を読んでいけば自然とそのような記述に出会うとも思っていましたし。
興味深いのはこのような思想史や社会運動にイプセンなどの文学、演劇の重要性が併記されていることである。当時の思考と実践が垣間見えるじゃない?イプセンの「人形の家」はもちろん読んでるし、映画などでもよく引用される。なぜイプセンが引用されるのかその一端がこのようなところで垣間見える。ちょっとこの線で原書を揃えつつ調査できたら面白そうである。まずは青鞜からかな。
調査としては福沢諭吉以後の論客に福沢諭吉がどのように引用されたか、社会主義運動の中ではエリート・資本家の意見として批判されているのだろうか?それともうまく活用されているのだろうか。どのように思想は発展、継承、批判されていくのだろうか。
消化不良の話で申し訳ないが、今回は福沢諭吉の位置付けと大まかなながれがわかったのでそこだけでレポートしました。
なおミルの本も興味深く、今週はオリンピックもあり、さらに地震も2箇所で起こり記事が書けませんでした。地震は大きな被害がなくてよかった。
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