男も家事をしないと結婚してもらえない、そして自由
私の母が私が高校生から大学生くらいの頃、1990年ごろだろうか、よく、男も家事をしないと結婚してもらえないよ、と言っていた。それは今,共働きが増えてますます強まってきているように感じる。
先日母と二人で食事することになり、そのことをどうしていうようになったのか、聞いてみた。私の想定はテレビとかだろうと。
そうしたら、お店のお客さんよ、とのことだった。母は婦人用雑貨を国道沿いに営んでいた。そしてその店のある家に一家で住んでいた。父ははじめ手伝っていたが仕事がなくなり外に働きに出て行っていた。
まるでアニー・アルノー(ノーベル文学賞2022)の「場所」みたいである。母の稼ぎもあるので私たち子供に関するお金の決済も母がしていた。アニー・アルノーの「場所」を読むと我が家が描かれているようで、それを教えてくれたノーベル賞委員会には感謝したい。
話を戻すが、その母のお客たちは共働きで「夫が家に帰ってビール、風呂とくつろいで、あたしだって働いてるのに」とお店で不満を言っていたそうだ。婦人用雑貨を買いにこれる客、つまり自分で稼いでいる女性である。「もうあんな夫とは離婚したい」とこぼすこともあったそうだ。母は、そんなお客さんが何人もいた、お客さんも家でそういう不満を聞いてくれる人がいないので、お店に来て話していくの、と。
それで母は私に「家事ができるようになること」と言っていたとのことである。
母にフェミニズムとかで言われていたから、そういう影響もあるんじゃないの?と聞いたらそういうのは興味がなかった、と。
先ほども書いたが、このような会話が成り立ったのはアニー・エルノーの「場所」「ある女」を読み始めたからだった。エルノーの実家も小売屋さんで、母に商才があり、父が家のことをやるようになっていったようである。そしてそれが普通であったために、アニー・エルノーの夫が仕事に集中して、それを言い訳にして家庭を顧みない、日本でもそういう時期があったが、フランスにも意外にもそういう時期があったようなのだ、そういう夫に絶望したというのが「凍りついた女」。そして離婚。ところがアニー・エルノーは「シンプルな情熱」でまさかのダメンズ製造機と化している。それでも惹きつけられる。
我が家の子供たちは成人しているのでほとんど手がかからなくなってはいるが、私は私の妻が凍りつかずに済んだ、くらいには家に主体的にかかわっただろうか?とそういう物語を読むと思う。
母に「82年生まれ、キムジヨン」という映画か,小説読んだか聞いたが読んでいなかった。私は「パラサイト」の次にそれを映画で見たので、また韓国のフェミニズムを聞いたこともあったので韓国のフェミニズムは進んでいると思っていたが、そうではなく、母と韓国のドラマとか古い制度守ってるよね、みたいな話もした。韓国では孫の結婚でも祖父祖母の言うことを聞くとか。そこまで行かなくても我が家でも、亡くなった祖父祖母の影響は大きかった。何せ家族経営で小さな小売業やらある別の事業をしていたから。
アニー・エルノーの小説は社会階層を大学に行くことで駆け上がっていく話でもある。しかも最後はノーベル文学賞。フーコーの伝記を書いたディディエ・エリボンも赤貧の中から社会階層を上がっていった人である。
そのような社会階層はブルデューによって固定しがちであることが報告され、アニー・エルノーも影響を受けたと表明しているが、そのようなことがわかったからこそ、そこから抜け出す戦略なり戦術がとれたと考えれば、左派社会論も価値があるに違いない。
最近ウォーク(目覚めた人、意識高い系)によって社会が崩壊する、そのようなことはなかなか言うことは許されなかった、などとゴリゴリの保守派がしれっと本などで言っているが、気候変動、LGBT、人工中絶など左派が勝ち取ってきた権利なり実践には常に明瞭な攻撃が加えられてきたのでよくいうよ、と思う。そのような考え方の特徴は年長者のいうことは聞け、であり、ヨーロッパでは,修道院で明瞭に規則に書いてある。日本では儒教だろうか。
最近よくレポートしていたマドンナはそのようなところから自由になろうとしていることがものすごく共感できたからである。カトリックの中の規則で縛り付けていく信仰でなく自身と神とのコミュニケーションを大事にした信仰(神秘主義として後日まとめたい)。そのため自ら十字架に磔になり歌うと言うパフォーマンスなどをしてカトリックを挑発し続けた。マドンナはいつかわからないがカバラ教に改宗しているとのこと。
ヨーロッパは移民に揺れている。ウォークが受け入れるとしたが、短期的には痛みをともなっている。中長期的にはうまくいくのだろうか?それとも身分階層をうまく作ってそこで植民地主義的に利用しようと考えているのだろうか。日本では常に移民受け入れは右派が反対していたが、その右派が頼りにしていた安倍元首相は移民受け入れ派、と言うより、国際社会の中である程度必要なことであったのだろう、状況はややこしいかもしれない。
話は変わる。私が中学のころ通っていた塾は元軍人が塾長をやっていたが、その雰囲気は色濃く残されていた。卒業文集の作文を書くよう言われた。私は「ここは私にとって精神病院でした」と書いた。サラッと本人の承諾なしで文集からは削除されていた。さすがであるし残っていたら大変である、と分別のついた今は思う。当時は削除は想定内で一矢報いたつもりであった。それでもそれを思い出したのは、サルトルやボーヴォワール、フーコーの「狂気の歴史」「監獄の誕生」、ドゥルーズの「アンチオイディプス」を完全に理解できぬまま、改めて読み始めたからであるし、中学生の時にそのように感じていたので、後年これらの書物に邂逅したのは、ある意味必然だったとも思う。
なにしろフーコーの性の歴史1巻の権力のあるところ至る所に抵抗があるとか、権力の,家父長モデルはやめよう、というのは当時理系大学院で教授に研究をやらされてるのか、自分の修行のために勉強しているのか完全に見失っていたところを助けてくれたのである。
自分もまた気が付かないだけで抑圧する側にまわっているのだろうと思う。不自由な社会の中で自由になろうとしていたら、いつのまにかある別のことでは不自由を再生産しているのではないかとしばしは思う。
と言うわけで男の家父長モデルは崩すべきである。小さすぎる提案かもしれないが、そのためにも男も家事をして家族の経営を家族と同じ視点で考える実践をしよう。
続編
続編その2