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ミシェル・フーコーの中の自身が気がつかない抑圧者としての振る舞い

 フーコーを解読格子として利用してきて、フーコーは私の推しでもあるが、今日はフーコーについてこれは今の視点と違う、と考えたこと。(フーコーの性の歴史を読んだ人しかわからないネタではあります。すいません。)
 性の歴史 第1巻 知への意志 (新潮社)渡邊守章訳 1976(ガリマール)/1986(新潮社)pp 41
 1867年のある日、ラブクール村の頭が弱い農業労務者が村の娘にお小遣いをあげて、愛撫してもらったそうである。それは周りでいつも行われており、それまで何度もしてもらったものとのこと。ところが、その時をきっかけに、娘の親に告発され、村長、憲兵、裁判官の順に告発されていき、医師によって検査、鑑定人による報告書がまとめられ刊行されたとのこと。そのことについて、フーコーは「この話で重要な点は何か。それはその取るに足らぬほどの小ささにある。」と断じている。
 このような出来事が「法律的には彼を無罪とした上で、医学と地の純粋な対象としたことである」として男の話で終始している。
 違和感を感じませんか?
 今だったら、娘の方がいかに性的虐待を受けてPTSDに苦しんで親に打ち明けたとかの方を微に入り細を穿つように報告書がまとめられたと考えられる。 
 なので、「この話で重要な点は何か。それはその取るに足らぬほどの小ささにある。」は今だったら、「この話で重要な点は何か。娘の心に虐待によって大きな傷がつけたにも関わらずそれについて放置されたことである」となるであろうか。そして当時は娘は慰み者であっても取るに足らない存在故にその心理については一切取り合わなかったのである、云々となるのではないか。
 そう考えてくるとフロイトの静的抑圧の物語で女のヒステリーは実は親の近親相姦が一つの原因である(100分で名著の2024年正月のフェミニズム特集)、という話と結びついて別のストーリーが考えられる。
 このように考えてくるとフーコーがチュニジアの男の子たちにお小遣いを渡して彼の性的嗜好を満たしていたことは彼は「それはその取るに足らぬほどの小ささ」と考えていても不思議ではなく、事実なのかもしれない。また、15歳以下の子供とも性的同意についてのフーコーも加わった請願はしっかりと残っている。

 このことの意味するところは、未成年もしくはある年齢、もしくはある認識に達するまでそれが虐待であるとは認識されず将来にわたって傷がのこるのにそれについては自分の側の優位性を執行したということだ。それはギリシアでの恋するものと恋されるものの同性の性行為においてソクラテスはすでに将来にわたって将来社会的支配者層になる少年を「恋する」ことによって性的虐待をすると彼の将来に差し支えることになると考え、ソクラテスは肉体愛を節制することで「真の恋」に達したとフーコーが自ら「性の歴史 第2巻 快楽の活用」(1984年)において分析したことと逆な実践である。フーコーはそのようなことをギリシア時代に見出して「自分を揺るがす体験」として認識したであろうか?私はフーコーが節制できた高潔な人であって欲しいとは思うが、フーコーの「告白」はないのでどうしようもない。

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