かぶとむし
ラーメンズのコントに、「科学の子」というのがある。
そこで、子供の「宇宙人はいるのか」という質問に対して、
「3本の木からかぶとむしを探すのはどうか? 30本なら? 300本なら? ひとつだけ言えるのは、宇宙には星が、3000…00(詳しい数字は忘れました)個あるってことです」
的な返答をする場面がある(リンクを貼っておくので詳しいセリフはみて確認してほしい)。これが何かの引用なのか、それはわからないが、僕はなんて素敵な希望の持たせ方なんだろうと思った。
今回話す考えは、これに由来するものだ。
デンプンのりくらいの粘着力ではあるが、校閲の仕事も少しずつ板についてきた。それでダブルチェックのダブルチェック、さらに念のため読んで指摘して、くらいのノリで、実務を任せてもらえるようになった。単純な僕は喜んだ。
300ページくらいの文庫本から、間違いを拾っていく。「振ってくる」→「降ってくる」とか、「菅」→「管」とか、「発進」→「発信」とか、助詞の違いとか、整合性が取れてなかったりとか。
当然、著者によって間違いの多さも変わってくる。間違いが多いと退屈しないんだけど……と思うが、小説家もプロなので、そんな人は稀である。間違いの数は、平均して、15ページに1個あるくらいかそこらだ。
だから油断するとすっ飛ばす。2周目でやっと気づく間違いもある。間違いの少ない人だなーと思いながら、すーっと読み飛ばすと危ない。だから、その文章が間違ってないような気がしても、常に神経をとがらせて、目を光らせて、いないといけない。
それでひらめいた。
校閲って、森のなかでかぶとむしを探すようなものだ。
かぶとむしって意外と見つからない。これは良い喩えだと思う。今度職場のおばちゃんに披露してみることにする。
そういう覚え書きです。
読んでくれてありがとう。
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