「宮沢賢治の宇宙」(43) 「天気輪の柱」の謎に挑む
天気輪の柱
宮沢賢治の童話 『銀河鉄道の夜』にはいろいろな謎があるが、その中でも“天気輪の柱”は最大級の謎とされる。そもそも実在するものなのかどうかも分かっていない。実際、原子朗の『定本 宮澤賢治語彙辞典』を紐解いてみると、まずこう書かれている。
おそらくは賢治の造語。賢治の描写が具体性を欠くため諸説ある。 (496頁)
そして、もう一言。
天気輪の柱の設定は実に巧妙で、この童話の要の役割を果たしている。 (497頁)
まさに、その通り。銀河ステーションへの橋渡しをしてくれたのが天気輪の柱だ。主人公ジョバンニの銀河鉄道の旅はここから始まったのだ。そのため、多くの賢治研究者の方々が天気輪の柱の謎解きに挑戦してきた。
天気輪の柱の登場する場面
天気輪の柱は『銀河鉄道の夜』の第五節で出てくる。この節のタイトルにもなっているので、賢治にとっても重要なものなのだろう。
ジョバンニが銀河鉄道に乗った夜は、ケンタウル祭の日だったので、町は賑わいを見せていた。ジョバンニも町に出かけたが、お母さんの牛乳をもらうために、町外れの牛乳屋に行った。残念ながら牛乳はもらえなかったので、町に戻ろうとしたところで、ジョバンニをからかう同級生のザネリ達に出会ってしまった。からかうザネリ達に嫌気がさして、ジョバンニは踵を返し、黒い丘の方へ走って行った。その丘の頂に天気輪の柱がある。
天気輪の柱が出てくるシーンは次のようになっている。
その真っ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亙ってゐるのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねさうか野ぎくのはなが、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。ジョバンニは頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、冷たい草に投げました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、133-134頁)
これを読むと「また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした」とあるので、何らかの構造物であることがわかる。
ここで紹介した文章は『銀河鉄道の夜』の最終形、第四次稿のものだ。第三次稿を読んでみると、天気輪の柱に関して、別な記述がある。物語の最後のところで、第四次稿では消えてしまったブルカニロ博士がジョバンニに語りかける言葉に出てくる。
「ありがたう。私は大へんいゝ実験をした。私はこんなしづかな場所で遠くから私の考を人に伝へる実験をしたいとさっき考へてゐた。お前の云った語はみんな私の手帳にとってある。さあ帰っおやすみ。お前は夢の中で決心した徒歩りまっすぐに進んで行くがいゝ。そして、これから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」
「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」ジョバンニは力強く云暇した。「あゝではさよならこれはさっきの切符です。」博士は小さく折った緑いろの紙をジョバンニのポケットに入れました。そしてもうそのかたちは天気輪の柱の向ふに見えなくなってゐました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十巻、筑摩書房、1995年、176頁)
ブルカニロ博士は天気輪の柱の向こうに見えなくなってしまった。つまり、天気輪の柱は、ブルカニロ博士を隠せる程度の大きさを持ち、形のある構造物になる。
以上まとめると、天気輪の柱の説明は図1に示した2点になる。
天気輪の柱の候補
天気輪の柱は賢治の造語である。では、賢治は何を表そうとしたのか? 先に紹介したように、天気輪の柱は構造物である。実在するのであれば、問題はない。ただ、その実在するものが何であるかを知っているのは賢治だけで、私たちは知らない。一方、実在しない概念的なものが賢治の頭の中で天気輪の柱になった可能性もある。そのため、二通りの解釈がありえる。
[1] 実在はしないけれども、実在するかのごとく造られた言葉
[2] 実在する構造物をイメージして造られた言葉
天気輪の柱については、多くの賢治研究者の方々がさまざまな説を提案してきている。個別に紹介するのは大変なので、ここでは主として次の三つの文献に準拠して行う。
1. 中地文「天気輪の柱」『國文學 解釈と教材の研究』“宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と『春と修羅』”1994年4月号、學燈社、47頁
2. 垣井由紀子「天気輪の柱」『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』西田良子 編著、創元社、2003年、178-179頁
3. 『定本 宮澤賢治語彙辞典』原子朗、筑摩書房、2013年、496-498頁
すべての可能性を考える
では、天気輪の柱が何か、考えていくことにしよう。まずは、二択。実在するかどうかだ。
[1] 実在しない場合:天気輪の柱は賢治の想像上の産物である
[2] 実在する場合:何らかのモデルが存在する
実在してモデルがある場合、今度は三択になる。
[A] 宗教的構造物
[B] 科学的構造物
[C] 自然現象
自然現象はソリッドな柱を形成することはないので、正式な候補とはなり得ない。しかし、賢治の流儀は「心象スケッチ」を書き残すことだ。賢治なら自然現象を見て、天気輪の柱をイメージすることができるだろう。そこで、この段階では自然現象も天気輪の柱の候補として残しておく。以上をまとめると図2のようになる。
自然現象については、天文現象、気象現象、および植物に大別しておいた。それぞれ、該当する項目を挙げておいたが、詳細は以下で述べる。
なお、植物の場合、樹木などが候補となり得る。丘の上に、大きな一本松があれば、柱には見えるからだ。また、『ジャックと豆の木』に出てくるような豆の木があれば、天まで行けそうだ。
天気輪の柱の候補を吟味する
私は天文学者(科学者)だが、自然科学の研究者が未解決の問題を考えるとき、次のような方法をとる。
[a] 可能性のあるアイデアをすべて列挙する
[b] さまざまな証拠、あるいは論拠を調べる
[c] 否定材料があれば、どんどんその説を捨てていく
[d] 肯定材料があるものを残していく
[e] 残った仮説の中から、最も信憑性のあるものを最終候補とする
つまり、最初から答えを決めることはしないで、虚心坦懐に調べるのだ。正解に至ることもあれば、失敗することもある。大切なことは、すべての候補に対してフェアーな態度を取ることだ。そこで、図2に挙げたすべての候補の可能性を考えてみることにしよう。どのように考えるか、ガイドラインを図3にまとめた。
一番シンプルな解法は『銀河鉄道の夜』で説明されている天気輪の柱の特徴(図1)を満たすものがある場合だ。ジョバンニの行った町外れの丘を特定し、その頂上に天気輪の柱と同定できる構造物があればよい。しかし、花巻のエリアでは、よい候補はない。花巻を離れてもよいのか? それがポイントになる。
天気輪の柱の候補として最もよく議論されるのは宗教的な構造物である。それらは寺院にあるので、天気輪の柱とするには寺院から丘の上へと、意識の上で移動させなければならない。実在しないものをモデルとするよりはよいが、丘の上にないのがネックにはなる。
自然現象は柱のような構造物ではないので、賢治の心象スケッチとして理解するしかない。太陽系内のダストが太陽の光を反射することで見える黄道光と対日照は天に見える柱なので、興味深い。実際、賢治は黄道光と対日照を見ていたことが作品に残されている(『ポランの広場』)。
さて、どのように判断するかだ。そもそも天気輪の柱のある町外れの丘がどこにあるかわからない(前回のnotes参照)。天気輪の柱の正体を明らかにすることは、この時点で難問になっているのだった。
note「宮沢賢治の宇宙」(41) 「天気輪の柱」はどこにある?https://note.com/astro_dialog/n/n2b5edfca800b
賢治の心象スケッチを認めるならば、すべての候補に可能性がある。さまざまな説が提案されてきた背景にはこのような事情があるのだろう。一筋縄では解決できそうにないが、そこがまた魅力になっていることは間違いない。賢治の掌(たなごころ)の上で、私たちにできることは推理を楽しむことだけだ。
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<<< 付録 >>>
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以下では、今までに議論されてきた、実在しない説、宗教的構造物、および科学的構造物についてまとめておく。
自然現象については次回説明する。
実在しない説
まず実在しない説をまとめておく(表1)。基本的に宗教に関連する項目が並ぶ。実在しないので、図1に示した天気輪の柱の性質を説明できない。したがって、ここに挙げた説を採択するには、何らかの工夫が必要である。
実在する宗教的構造物説
実在する宗教的構造物説は人気があり、表2に示すようにさまざまな宗教的構造物が提案されている。ただし、ジョバンニが行った町外れの丘にあるわけではない。そのため、賢治は心象スケッチとしてこれらの構造物を認識し、それを天気輪の柱に置き換えたと考えるしかない。
実在する科学的構造物説
実在する科学的構造物説については、提案されている説は通信設備(電波塔)だけである(表3)。
通信塔というアイデアは香取の論考にまとめられている。そこでは荻原昌好の花巻市清養院の後生塔(お天気柱)の論文が引用されているが、通信塔説にも触れられている(「天気輪の柱―小沢俊朗氏の説を受けて」, 『宮沢賢治』創刊号, 1981年, 59-71頁)。
椿も天気輪の柱は「銀河と地上、夢と現実、ジョバンニとブルカニロを結びつけておくための電波塔」という位置付けをしている(156頁)。また、椿は『銀河鉄道の夜』の最後に出てくる2本の電信柱との関連も議論している。銀河鉄道は天気輪の柱と2本の電信柱の間を走るという解釈である(157頁)。