「宮沢賢治の宇宙」(51) イーハトーブへの旅で「天気輪の柱」の正体はわかったのか?
「天気輪の柱」を探して花巻と盛岡へ
今回、一泊二日のタイトな日程で花巻と盛岡を訪れたのは、賢治の生まれ故郷、イーハトーブを久々に見て、賢治の見た光景を追体験したいと思ったからだ。もちろん、賢治の生きていた時代は今から百年も前のこと。同じ風景を見ることができるとは思わない。しかし、何かしら感じ取れることはある。それを期待しての旅だった。
『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」のモチーフになったと考えられるものが盛岡にある。清養院だというお寺には「お天気柱」と呼ばれていた「後生塔(ごしょとう)」がある(図1)。清養院の「後生塔」については萩原昌好による詳しい解説があるので参照されたい(「天気輪の柱―小沢俊郎氏の説を承けて」萩原昌好『宮沢賢治』1 創刊号、洋々社、1981年、59-71頁)。
清養院にある「後生塔」を、この目で一度見たいと思っていた。いろいろな本で「天気輪の柱」との関連性が議論されていたからだ。本やネットで紹介されている写真でも様子はわかる。しかし、百聞は一見にしかず。自分の目で見ることが大切だ。
今回見てわかったことは、清養院にある「後生塔」は想像していたより小さいことだ。一方、鉄の輪をぐるぐる廻してお天気を占う機能は「天気輪の柱」との関連性があると感じた。やはり、直接見てよかった。
胡四王神社
花巻でも賢治ゆかりのお寺を見てまわろうと思っていた。しかし、東北新幹線の新花巻駅に降り立ったとき、胡四王神社に行ってみたくなった。宮沢賢治記念館には何回も行ったことがあるのに、なぜか胡四王神社には行ったことがない。そもそもどこにあるのかも知らない始末だ。
タクシーに乗って「胡四王神社に行けますか?」と聞いたら、「はい、車で行けますよ」と言われ、安心した。
タクシーは宮沢賢治記念館を目指すように、いつもの坂道を上っていく。宮沢賢治記念館の駐車場に着くが、タクシーは駐車場には入らず、そのままやや右にある細い道を進んでいく。すると今度は胡四王神社の駐車場が出てきて、その奥に胡四王神社があったのだ(図2)。
note「宮沢賢治の宇宙」(48)で書いたように、胡四王神社の境内からは花巻平野を一望できる。賢治はここから初恋の人の故郷の方角を眺めていたのである。ようやく、賢治の追体験をすることができた。
賢治の気持ちになって、歌を詠んでみた。
胡四王の丘に降り立つ後生塔や初恋の夢永遠(とわ)に廻れ
盛岡の後生塔舞い降り胡四王の丘で廻れ淡き恋路へ
「天気輪の柱」とは何か?
賢治の説明がほとんどないので、「天気輪の柱」の正体は謎として注目されてきた。note「宮沢賢治の宇宙」(43)で紹介したように、「天気輪の柱」の候補は多岐に渡る(図4)。
これらの候補からどうやって正体を見極めていくか、その方法論についても提示した(図5)。
「天気輪の柱」の条件
『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」に関する説明はわずかである(図6)。
まず、「町外れの丘」
これらの説明を考える前に「町外れの丘」を特定できるか考えてみる。可能性が最も高いのは胡四王山だ。賢治は胡四王山を丘と呼んでいた。これは文語詩のタイトル「丘」に反映されている。また、初恋の人を偲ぶために胡四王山に来ていたことも踏まえると、「町外れの丘」を胡四王山にしてよい。また、宮沢賢治記念館が胡四王山に建設されたことも、賢治と胡四王山の関係の深さを示すものである。note「宮沢賢治の宇宙」(48)の図6を参照されたい。
「天気輪の柱」の条件を満たすもの
わずかなヒントではあるが、図6に示した二つの説明は重要だ。まず、最初の説明から、天気輪の柱はある程度大きなものでないといけない。これは2番目の説明にも通じる。人が隠れるほどの大きさで、丘の中腹からも見分けられるもの。これは胡四王山の山頂にある巨木と考えることができる。実際、胡四王山の山頂の巨木は花巻の町からも見えたという記述がある。note「宮沢賢治の宇宙」(48)の図7を参照されたい。
これらのことを考慮すると、「天気輪の柱」のある「町外れの丘」は胡四王山であり、「天気輪の柱」に該当するのは胡四王山の山頂にある巨木であるという仮説を立てることができる(図7)。
『銀河鉄道の夜』は童話である
『銀河鉄道の夜』の第五節「天気輪の柱」との文章との整合性はどうだろう? 牧場や牛乳店はどこにあるのか? 町外れの丘として胡四王山は遠すぎないか? これらの疑問が浮かぶ。しかし、『銀河鉄道の夜』は童話であり、基本的には創作である。賢治は『銀河鉄道の夜』のことを「mental sketch modified」と称している。実際に見たものや賢治の経験は、その後で創作の一環として童話に生まれ変わっていると考えるべきである。したがって、特に問題はない(図8)。
では、第六節「銀河ステーション」の文章との整合性はどうだろう?
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。 (『銀河鉄道の夜』『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、134-135頁)
「天気輪の柱」は、なんと三角票(星)になってしまう。これは、明らかに創作である。なぜなら、「天気輪の柱」という構造物が星に転じることは現実にはない。賢治はそういう童話の筋にしたということだ。
賢治の生まれた故郷、花巻、そして青春時代を送った盛岡の町。二つの町を旅して得た作業仮説(図7)。これが正しいと主張するつもりはない。ただ、こういう考え方もできるという例として見てほしい。楽しい宿題、「天気輪の柱」の謎を残してくれた賢治に感謝したい。
ということで、ちょっと一休みしますか(図9)。