宮沢賢治の宇宙(59) 「天気輪の柱」、再考―ハイブリッド・モデルに挑戦
「天気輪」という言葉は何を意味するのか?
「天気輪の柱」という言葉は、「柱」を除けば「天気輪」となる。この言葉をどう理解するかが本質的に大切になる。そこで、このnoteでは「天気輪」という言葉について注目してみる。
まず、「天気輪」という言葉をどう解釈するか、可能性を吟味してみる。すると、以下の4つの可能性があることがわかる。
[1] 「天気輪」で一語を成すとする
[2] 「天気輪」=「天気」+「輪」の二語の合成とする
[3] 「天気輪」=「天」+「気輪」の二語の合成とする
[4] 「天気輪」=「天」+「気」+「輪」の三語の合成とする
「天気輪」の四つの可能性
「天気輪」の解釈として、4つの可能性について説明すると次のようになる。
[1] 「天気輪」で一語を成すとする
この場合は、固有名詞だと考えられる。ただし、「天気輪」と呼ばれる構造物は知られていない。賢治が中学生時代に下宿していた盛岡市清養院の「後生塔」は「お天気柱」とも呼ばれていた。賢治がこれを「天気輪」と名付けていた可能性はある。
[2] 「天気輪」=「天気」+「輪」の二語の合成とする
「お天気柱」という言葉があるが、それとは根本的に異なる。「お天気柱」は「柱」として存在すればよいが、この二語の合成の場合、「輪」が重要な要素になっている。したがって、単なる「柱」ではなく、「輪」が付いている「柱」でなければならない。ただし、ジョバンニは「天気輪の柱」に到着したとき、「輪」を回してはいない。その点は気になるところである。
[3] 「天気輪」=「天」+「気輪」の二語の合成とする
「気輪」という一般名詞はない。したがって、この二語の合成は考えなくてよい。「気輪」を「キリン(麒麟)」と読み替えるアイデアが提案されているが(「キリン座説」、「紫微宮(しびきゅう)説」など)、このような単なる語呂合わせを賢治が選んだとは考えにくい。
[4] 「天気輪」=「天」+「気」+「輪」の三語の合成とする
「天」、「気」、「輪」の三語はそれぞれ非常に幅広い意味を持つ一般名詞である。それらを組み合わせることは可能であるが、一意的な意味を持つ言葉を指定するのは困難である。したがって、この三語の合成を考える必要性は弱い。
例としては、臨時水沢緯度観測所にあった眼視天頂儀(細長い筒状の望遠鏡)がある(『[銀河鉄道の夜] フィールド・ノート』寺門和夫、青土社、2013年、24頁)。そこでは「天」=天の方向、「気」=雲、「輪」=筒のようなものと解釈されている。可能性は否定しないが、説得力があるアイデアとは考えにくい。
ひとつの説にこだわると
「町外れの丘」にある「天気輪の柱」。これまでは、ひとつの説で考えられるか挑戦してきた。その結果、「胡四王山説」と「南昌山説」に行き着くことができた。完全に理解できるわけではないが、一応まとまりのある説になったように思っていた。
しかし、ここにきて思い始めた。「ひとつの説にこだわる必要があるのか?」この疑問が頭をもたげたのである。
賢治の作品が単なる「心象スケッチ(Mental Sketch)」ならシンプルなストーリーで理解できるだろう。しかし、いくつかの(あるいは、多くの?)作品では「心象スケッチ修正版(Mental Sketch Modified)」になっている。『銀河鉄道の夜』はその最たる作品だ。
そこで、ひとつの説にこだわることをやめてみた。そのとき、どんな解があるのか、虚心坦懐に探ってみることにした。
「町外れの丘」にある「天気輪の柱」、再考
まず、「天気輪の柱」は「柱に輪が付いているもの」と考えた方が理に適う。ジョバンニは丘の頂上で天気輪の柱の下についたとき、「輪」を回す仕草はしていない。そのため、「輪」はあまり重要ではないのかと思ってしまった。しかし、「天気輪」という言葉には確かに「輪」が入っている。そのとき、頭に浮かぶのは盛岡市清養院の「後生塔」だ。「後生塔」には「輪」がついている。しかも、「お天気柱」とも呼ばれていた。ブルカニロ博士を隠せるほど大きな柱ではないが、賢治が頭の中で巨大化させたとすればよい。創作するときに、置き換えたと思えばよい。童話はあくまでも創作である。
次に「町外れの丘」である。町はやはり花巻でよいだろう。『銀河鉄道の夜』の第四節「ケンタウル祭の夜」で説明される町の様子は、当時の花巻の町の様子と対応づけることができるからだ(『討議『銀河鉄道の夜』とは何か』入沢康夫、天沢退二郎 著、青土社、1976年、25頁の図を参照されたい)。
町が花巻ならば、「丘」として可能性があるのは胡四王山である。町の中心部からは4キロメートルも離れているものの、賢治がよく登った山である。しかも、賢治は胡四王山を「丘」と呼んでいた。
ただし、「天気輪の柱」のある丘の頂上までの風景は、松本隆が指摘するように、南昌山の風景に似ている(『童話「銀河鉄道の夜」の舞台は矢巾・南昌山: 宮沢賢治直筆ノート』松本隆,ツーワンライフ,2010年,『新考察「銀河鉄道の夜」誕生の舞台: 賢治が愛した南昌山と親友藤原健次郎 物語の舞台が矢巾・南昌山である二十考察』松本隆,みちのく文庫,2014年)。
以上のことから、「天気輪の柱」、そしてそれがある「町外れの丘」の記述は以下のような合成がされていると解釈することができる。
清養院の「後生塔」+花巻+胡四王山+南昌山
まとめを図1に示した。
「閉じた」モデルと、「開いた」モデル
このようなハイブリッド・モデルを採用すると、さまざまなことが無理なく説明される。もちろん、これも仮説のひとつにしか過ぎない。「胡四王山説」、「南昌山説」という個別の「閉じた」モデル。それに加え、重要な要素を適切に組み合わせて作る「開いた」モデル。両方のモデルを経験できたことは大変よい経験になった。
今回、noteを利用して「天気輪の柱」について考えてみた。
この記事をアップしたのが4月22日。約2ヶ月も「天気輪の柱」の謎解きを堪能したことになる。正解に至ったとは思っていない。それでも、いくつかのモデルに出会えたことは幸せだった。
『銀河鉄道の夜』。この童話は明らかに「心象スケッチ修正版(Mental Sketch Modified)」なのだ。
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