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宮沢賢治の宇宙(88) イーストンは天の川に渦巻を見た

太陽系は天の川銀河の中心にない

『銀河鉄道の夜』の第一節「午后の授業」。ジョバンニの先生は「太陽系は天の川銀河の中心にない」ことを説明した。

先生はどうしてこのことを知っていたのだろう?

16世紀、コペルニクスにより、地動説が主張され、天動説は破れ去った。地球は宇宙の中心から外れたのだ。そこで、今度は太陽が宇宙の中心にあるという考えが主流になった。18世紀、ハーシェルの作成した天の川の地図でも、太陽は天の川の中心に据えられた。そのため太陽中心説は長く続くことになったのである。

しかし、1900年から20世紀初頭にかけて、欧米の研究者たちは「太陽系は天の川銀河の中心にない」ことを示す観測事実を報告した。では、ジョバンニの先生(つまり、賢治)はどうやってそのことを知ったのだろうか? 新たな観測事実は日本の天文学の教科書でも取り上げられていたのだろうか? 

そんなことを気にしながら、洋々社の『宮沢賢治4』を読み始めた。「賢治と宇宙」という特集が組まれた号だ。

この前のnoteでは「太陽系は天の川銀河の中心にない」ことを、どのように理解したらよいかという話をした。今回は、「太陽系は天の川銀河の中心にない」ことを示す観測事実について話をしよう。

「太陽系は天の川銀河の中心にない」ことを示す観測事実

「太陽系は天の川銀河の中心にない」ことは、賢治が生きていた時代(1896-1933)には分かっていた。その頃に報告されていた研究成果は三つある(表1)。

問題はこれらの観測成果が、速やかに日本で紹介されていたかだ。

表1の説明: [1] A New Theory of the Milky Way, Easton, C. ApJ, 12, p.136-158 (1900年)コーネリアス・イーストン(1864-1929)はオランダのアマチュア天文家。 [2] 「Globular Clusters and the Structure of the Galactic System」Shapley, H. Publications of the Astronomical Society of the Pacific, Vol. 30, No. 173, p.42 (1918年) ハーロー・シャプレー(1885-1972)はアメリカの天文学者。球状星団の分布の異方性から天の川の構造を議論。[3] 「First Attempt at a Theory of the Arrangement and Motion of the Sidereal System」ApJ, 55, 302 (1922)。18世紀に行われたウイリアム・ハーシェルの研究と同様に天の川の星の個数分布を調べた研究。ヤコブス・カプタイン(1851-1922)はオランダの天文学者。

賢治に影響を与えた化学者アレニウス

さて、洋々社の『宮沢賢治4』に戻ろう。大塚常樹による「賢治の宇宙論―銀河めぐって」(72-85頁)を読んでいたら、賢治の作品にはアレニウスの影響が見られると描いてあった。アレニウスはスエーデンの科学者スヴァンテ・アレニウス(1859-1927)のことである。化学と物理学で大きな研究業績を残した人だ。化学反応の速度を予測するアレニウスの式が有名である。また、電解物質の解離理論の構築でノーベル化学賞も受賞している(1903年)。

賢治の愛読書の一つ『化学本論』(片山正夫、内田老鶴圃、1915年)でも、当然のことながらアレニウスは紹介されている。また、賢治の詩「晴天恣意」(『春と修羅』第二集)にもアレにウスは登場する。

白くまばゆい光と熱、
電、磁、その他の勢力は
アレニウスをば俟(ま)たずして
たれか火輪をうたがはん 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、筑摩書房、1996年、23頁)

そういえば、アレニウスの本が書斎の本棚に一冊あったことを思い出した。探すと、あった。

『最近の宇宙観』(アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大鐙閣、大正9年 [1920年])

この本は数年前に神田神保町の古書店で見つけて買っておいたものだ(図1)。

図1 『最近の宇宙観』(アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大鐙閣、大正9年 [1920年])の扉頁。本そのものは濃紺の味気ない装丁である(この時代の教科書の標準的なスタイル)。

ページをめくっていったら大発見があった。なんと、イーストンが得た天の川の様子が出ているではないか(図2)!

これを見れば「太陽は天の川銀河の中心にはない」ことは一目瞭然だ。

図2 『最近の宇宙観』(アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大鐙閣、大正9年 [1920年])で紹介されているイーストンが得た天の川の様子。渦巻構造が見えるが、大事な点は「太陽は天の川銀河の中心にはない」ことである。

アマチュア天文家のイーストン

コーネリアス・イーストン(1864-1929)はオランダ人のアマチュア天文家だった。イーストンはパリのソルボンヌ大学では語学を専攻したので、天文学を本格的に学んだことはなかった。実際、職業は新聞や雑誌の記者だった。ところが趣味が、天の川の詳細なスケッチを描いて楽しむことだった。そのスケッチを『ボン掃天星表』(ドイツのボン天文台での観測に基づく)のデータと比較することで、天の川の構造を調べることができたのである。

『ボン掃天星表』には9.5等より明るい、32万4000個もの星の位置が与えられている。この星表のデータと比較しうる天の川のスケッチをしたというのだから、イーストンはすごい人だ。

賢治は『最近の宇宙観』を読んだのか?

賢治が『最近の宇宙観』を読んだのかは不明である。
大塚常樹によれば、読んだ可能性はある。その理由は賢治の詩「樺太鉄道」にある。

結晶片岩山地では
燃えあがる雲の銅粉
(向ふが燃えればもえるほど
ここらの樺ややなぎは暗くなる)
こんなすてきな瑪瑙の天蓋(キヤノピー)
その下ではぼろぼろの火雲が燃えて
一きれはもう錬金の過程を了へ
いまにも結婚しさうにみえる  
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、筑摩書房、1996年、389頁)

ここに、天蓋(キヤノピー)という言葉が出てくるが、一般的には天球という言葉で表現する。実は、天蓋という言葉は『最近の宇宙観』に出てくる。このことだけで賢治が『最近の宇宙観』を読んだとするのは早計かもしれないが、賢治がアレニウスの本からさまざまな影響を受けていることは確かだ(大塚常樹の『宮沢賢治 心象の宇宙論』、朝文社、1993年、「宮沢賢治と宇宙科学」120-136頁も参照されたい)。

いずれにしても、天の川の形がレンズ型であれば、太陽系がその中心にないことは自明だ。なぜなら、もし中心にいるのであれば、レンズ面のどの方向を見ても同じ明るさに見えるはずだ。ところが、実際は違う。天の川の明るさには方向性がある。夏の天の川は明るいが、冬の天の川は暗い。このことを考えれば、太陽系が中心にないことはすぐにわかることだ。

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