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天文学者のひとり言(8) 谷川俊太郎で思い出すこと [1] 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』

不思議に心に残るタイトル

1975年、谷川俊太郎は一冊の詩集を出した。
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
長いタイトルの詩集だ。

そして、さまざまな疑問が残るタイトルでもある。
「きみ」は誰なのか?
奥さんか、恋人か?
恋人の場合、部屋を訪ねてきたのか、それとも同棲しているのか?
最後の疑問は、なぜ「台所で」なのか?
そして、何を話そうとしたのか?

タイトルを見るだけでは、どんな内容の詩なのか、よくわからないのだ。
それが逆に、好奇心を生む。

当時、この詩集が出たことを何かで知った。新聞か雑誌の広告だっただろうか。
しかし、私はこの詩集を買わなかった。
だから、どんな詩か、わからないままの日々が続いた。

43年後

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』が出てから43年後。書店でこの詩集を見かけて、ようやく買った(図1)。なんと、もう2018年になっていた。

図1 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』谷川俊太郎、青土社、1975年;この本は2018年の第33版。

本の帯を見ると、「にがくもtenderな新詩集」と書いてある(図2)。なぜ、「tender」は英語なのか? 「優しい」というのも変なので、「にがくも穏やかな新詩集」ということなのか?

図2 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の帯。この詩集は次のように紹介されている。
真夜中のなまぬるいビールの一カンと 奇跡的にしけっていないクラッカーの一箱が
ぼくらの失望と希望そのものさ
― さりげない日常をくるむ透明な言葉の棘 にがくもtenderな新詩集

また、裏表紙には掲載されている詩が紹介されている(図3)。「芝生」と「干潟にて」は短いタイトルの詩だ。ところが、その他の詩は『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』と同様、長いタイトルの詩が並ぶ。どうも、不思議な詩集のようだ。

図3 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の裏表紙に出ている作品一覧。

50年後

冒頭で述べたように『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』は、タイトルだけを読んでも、どんな詩なのかわからない。さて、どうしたものか。

裏表紙側の帯を見ると次のような文章を見つけた(図4)。
「あとがきも書こうかと思ったけど、やめちゃった。詩を読んでもらうしかないんじゃないかな。」

なるほど、まずは読んでくれということだ。そりゃ、当然である。

図4 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の裏の帯。
あとがきも書こうかと思ったけど、やめちゃった。
詩を読んでもらうしかないんじゃないかな。 谷川俊太郎

足掛け7年の積読(つんどく)歴を含め、50年の封印を解くことにしよう。ということで、ようやくこの詩集を読む機会が訪れたのだ。幸い、年始の休暇中。

令和7年は、昭和に換算すると、昭和100年。時は確かに流れたのだ。

さあ、2025年の幕開けだ。
遅れましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。