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一期一会の本に出会う(10) 「数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある」 by 中谷宇吉郎

京都の龍寶山大徳寺で購入した色紙。「一期一会」と書いてある。最初の「一」の字がすごいですね。

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

雪は天からの手紙

中谷宇吉郎(1900-1962)は雪の研究で有名な物理学者だ。中谷と言えば、思い出す一文がある。「雪は天からの手紙である」これは次の文章に由来する。

このように見れば、雪は天から送られた手紙であるということが出来る。」(「第四 雪を作る話」、『雪』中谷宇吉郎、岩波文庫、1994年、162頁)。

冒頭に挙げた言葉「数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある」(『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二 編、岩波文庫、1988年、「地球の丸い話」316頁)の意味は深い。なぜなら、「概念としての数であるゼロは存在するが、測定値としてのゼロはない」ことを意味するからだ。

天文部の部長、星影輝明は天文部の部室でくつろいでいた。しかし、脳細胞は活発に働いていた。中谷の言葉にジーンとしていたのだ。

点と線

「部長、なに、考え事してるんですか?」
突然、月影優子の声がした。一年生部員だが、いつも元気だ。輝明は優子の方を振り返って答えた。
「うん、点とか線とか、考えていたんだ。」
「点と線ですか・・・?」

「僕たちは「点」という言葉をよく使う。実際、物理では「質点」という理想的な物体を考えることがある。」
「はい、もう慣れっこです。質量はあるけど、体積はゼロ。これですね?」
「まあ、質点を物体と呼んでいいのかわからないけどね。なにしろ、体積がないんだから、僕たちの目には見えない。」
「そうか・・・。よく考えれば、質点は見えないんですね。あんまり気にしていませんでした。」
「しかも、体積がゼロだと、密度は無限大に発散する。」
「密度が無限大って、どういう状況なのか、想像できませんが・・・。」
「そうだね。僕も想像できない。」

「数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある」

ここで優子は黒板に書かれていた中谷宇吉郎の言葉を見つけた。

数学でいう線には幅がないが、物理で使う線には必ず幅がある

「ははあ、それであの言葉が黒板にあるんですね。」
優子は黒板の文章を指差しながら言った。
「うん、含蓄のある言葉なんで、書いておいた。」
輝明も今一度黒板を眺めたあと、静かに語り始めた。

「点が存在しないと、線も存在しない。なぜなら、線は点を並べて結んだものだ。仮に、少しの間隔をあけて点を並べて、点を結んで線を描いたとしても、点は体積ゼロなので、線に幅がつくことはない。僕たちに線は見えないんだ。中谷の言うとおり、数学的には線の幅はゼロだ。」

鉛筆やボールペンで紙に線や文字を書く。それらが見えるのは幅がついているからだ。私たちは線を書いたつもりだった。ところが、それが見えるということは0.1ミリとか、0.5ミリの幅がついているから、厳密には線じゃない。二次元的に塗りつぶされたように見えるペンの跡だ。大きく拡大すると、それは点の集合体じゃない。ペンがつけた有限の大きさの塗り跡の集合体が線に見えているだけだと気づく。点はいくら集めても見えないのだ。

「私たちは線を見ることができない・・・。」
優子もことの重大さに気付いたようだ。
「この論理を踏襲すると、線を並べて出来上がる面も存在しない。」
「ということは・・・。」
「そうだよ、面を積み上げて作る立体も存在しない。」
「うーん、大変。常識が・・・。」
優子は頭を抱えた。

「ゼノンのパラドックスで「瞬間はない」と学んだ。」
「はい。」
「この結論は僕たちの常識をことごとく破壊してしまう恐ろしい結論だったんだ。」
「ガアーン!」

優子はダメを押されたように、頭を垂れた。

註:ゼノンのパラドックスについては以下を参照して下さい。
「一期一会の本に出会う(7)」 この宇宙に瞬間はない? ゼノンの「飛ばない矢」のパラドックスを解決する
https://note.com/astro_dialog/n/ne2188ed4e505

座標の原点もない???

「中谷の言葉に「物理で使う線には必ず幅がある」とあります。これは物理量、例えば、長さとか面積とか質量ですけど、これらの値がゼロになることはない。そういう意味ですか?」
「そうだね。ゼノンの「飛ばない矢」のパラドックスでは瞬間がないということだった。たとえば「正午の時報をお知らせします。ピー!」 このとき、僕らはいつ正午になったと思うかな?」
「ピーと鳴った瞬間ですか? あっ、ダメか。瞬間はないんですね。」
「そうなんだ。正午という時間を定義することはできる。しかし、ある時刻を正午として観測することはできない。必ず、誤差がある。というよりは、時間は揺らいでいるという方が正確かな。」
「t=正午とはできない。必ず揺らぎΔtがあるので、t=正午±Δt。それで、Δtはゼロになることはないんですね。」
「あと、僕たちは二次元座標、xy座標系をよく使う。そのとき、x軸とy軸が交わる場所はなんて呼んでいた?」
「原点ですね。」
「原点は(x, y) = (0. 0)と表す。でもこれは数学的な表し方だ。現実の物理的世界ではゼロがないので、「原点は(x, y) = (0. 0)に非常に近い場所」としか言えないんだ。」

概念としてのゼロと無限大が使える数学が役に立つ

座標の原点がなかった! これは優子に大きな衝撃を与えた。
「原点はモヤーッとした世界にあるんですね。」
優子は茫然自失といった感じだ。
「でも私たちは物体の運動をニュートンの運動方程式を使って解きますよね。あれはいいんですか?」
「大丈夫だ! って、言いておきたい。」

輝明も不思議には思っている。物理的には質点が存在しないのに、数学的には質点を扱えて、問題も解ける。少し考えてから、輝明は黒板に輝明なりのまとめを書いた。

「要するに、僕たちは「不確かな」現実世界で起こることを、ゼロと無限大を取り扱える数学の世界で厳密に解く。数学のおかげで、方程式を解ける。その結果を受け入れる。こんな感じかな(図1)。」

図1 身の回りで起こる物理現象を数学的な方程式にして解く。得られた結果を物理的に解釈する。ここで大切なのは、現実世界に存在しない概念としてのゼロと無限大を数学では用いることができることである。日頃気にしないことだが、私たちはこのようなプロセスを経て、物理現象を理解している。

「その結果は受け入れていいんですね?」
「そう、それでいい。というか、そうするしかない。」

優子は黒板を眺めて考え込んでいる。

「得られた結果が、物理的に無理なく解釈できるんならオーケーということなのかな。」
「たしかに、t=0もx=0もy=0も現実の世界にはない。だけど、方程式を解いて、得られた結果がt=Tで、x=1、y=2だったら、物体はその時刻、その辺りまでやってきたと思えばいい。」
「うーん、私たちはアバウトな世界に住んでいたんですね。」

オルバースのパラドックスを明快に解説した一冊の本。
『夜空はなぜ暗い? オルバースのパラドックスと宇宙論の変遷』エドワード・ハリソン、長沢 工 監訳、地人書館、2004年
この本に端を発して、輝明と優子の会話は面白い方向に向かっている。果たして、このあと、どんな議論が展開されていくのだろう。

乞うご期待。


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