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「宮沢賢治の宇宙」(30) 彗星よ、お前もか!

賢治は1910年に回帰したハレー彗星を見たのか?

私は明治三十七年四月一日生まれで、ハレー彗星は両親と一緒に西北方の空に肉眼で大きく、はっきりと見て感動しました。しかし、賢治は盛岡中学校の寄宿舎のなにかの事件だったか、なにかの理由でハレー彗星を見なかったように思います。あれだけのはっきりした彗星の出現という大事件をちょっとも書いていないというのは不思議です。 (『宮沢賢治 6』洋々社、1986年、「ハレー彗星と宮沢賢治」120頁)

須川力(水沢緯度観測所)は宮沢賢治に詳しい天文学者であった。須川には、ひとつ気になっていることがあった。それは、賢治の作品を読む限り、なぜかハレー彗星を見た感動が書かれていないことだった。

ハレー彗星は76年を周期とする周期彗星で、賢治の生きていた時代だと、1910年にその勇姿を見せた(図1)。賢治が14歳、盛岡中学校に通っていた頃だ。当時、賢治は天文に興味を覚え、まさに天文少年になった頃だ。須川は当然のように、賢治がハレー彗星を見たと思っていた。あまりに不思議なので、須川は賢治の弟である清六に伺ってみた。その答えが冒頭に示したものだ。

まさか、という感じだ。なぜ、賢治はハレー彗星を見逃したのか。清六は花巻でハレー彗星を見ている。盛岡だけ、何ヶ月も曇り空が続いたというのだろうか? それはない。盛岡でハレー彗星が見えなかったはずはないのだ。

図1 1910年に回帰したときのハレー彗星。米国のヤーキス天文台にて、エドワード・エマーソン・バーナードが撮影した写真で、1910年7月3日、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ハレー彗星#/media/ファイル:Halley's_Comet_-_May_29_1910.jpg

毒ガスを恐れたか?

ハレー彗星には悪い噂が出回った。地球はハレー彗星の尾の中に入ってしまう。尾の中には毒ガスがあり、人類絶滅の危機が巷の話題に出るようになった。

この毒ガス説を提唱したのは、当時著名だったフランスの天文学者カミーユ・フラマリオン(1842-1925)だ。ロス卿の渦巻銀河M51のスケッチを啓蒙書で紹介した人だ。note「ゴッホの見た星空(7)渦巻銀河M51の秘密」を参照されたい。https://note.com/astro_dialog/n/n5a599689ee26

まさか、毒ガス説を信じて、賢治がハレー彗星を見なかったわけではあるまい。

図2 ハレー彗星が近日点を通過するあたりで、地球はハレー彗星の尾の影響を受ける(図中の左下の黄色の枠で囲まれた時期)。彗星の尾は太陽風や太陽の放射圧のため、太陽の反対側に形成される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ハレー彗星#/media/ファイル:PSM_V76_D020_Path_of_halley_comet.png

彗星も流れる

前回のnoteで、賢治は流れ星という言葉を作品の中で、たった一回しか使っていないことを知った。では、彗星はどうか? 気になったので、また『【新】校本 宮澤賢治全集』別巻の索引を使って調べてみた。その結果、たった2回。1回よりはマシだが、驚くほど少ない。

天文好きの作家の作法とは思えない。宇宙マニアの稲垣足穂(1900-1977)に至っては『彗星問答―私の宇宙文学』(潮出版社、1985年)という本まで出している。

それはさておき、彗星が出てくる賢治作品を見てみよう。

私は数年前、『銀河鉄道の夜』を初めて読んだ。そのとき、彗星に出会った。

「あれきっと双子のお星さまのお宮だよ。」男の子がいきなり窓の外をさして叫びました。
右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたような二つのお宮がならんで立っていました。
「双子のお星さまのお宮って何だい。」
「あたし前になんべんもお母さんから聴いたわ。ちゃんと小さな水晶のお宮で二つならんでいるからきっとそうだわ。」
「はなしてごらん。双子のお星さまが何したっての。」
「ぼくも知ってらい。双子のお星さまが野原へ遊びにでてからすと喧嘩したんだろう。」
「そうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、おっかさんお話なすったわ、……」
「それから彗星がギーギーフーギーギーフーて云って来たねえ。」
「いやだわたあちゃんそうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」
「するとあすこにいま笛を吹いて居るんだろうか。」
「いま海へ行ってらあ。」
「いけないわよ。もう海からあがっていらっしゃったのよ。」
「さうさう。ぼく知ってらあ、ぼくおはなししよう。」
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、162頁)

『銀河鉄道の夜』を読むと、この部分の文章はまったく意味不明だ。当惑したものの、読み飛ばすしかないと諦めた箇所だ。

あとで『双子の星』を読んでわかったのだが、彗星の正体は、どうも鯨なのだ。

「さあ、発つぞ。ギイギイギイフウ。ギイギイフウ。」
実に彗星は空のくじらです。
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第8巻、筑摩書房、1995年、30頁)

彗星は悪役

『双子の星』を読んで、状況は飲み込めたものの、なぜこんな話が展開されているのか、不明ではあった。

鯨の鳴き声は聞いたことがない。調べてみると「鯨の博物館デジタルミュージアム」に説明を見つけた。
https://kujira-digital-museum.com/ja/categories/9/articles/

鯨の鳴き声は次の3種類に分類される。

[1] ホイッスル:ピュウピュウと笛を吹くようなすんだ音。イルカ同士がコミュニケーションをとるために使う。
[2] クリックス:ギリギリときしむような音。前方に向けて発し、ものにあたってはねかえってくる音を聞くことで、ものの位置や大きさを知る。
[3] バーストパルス:ギャアギャアというにごった音。はげしく体をぶつけあったり、威嚇(いかく)したりするときに出す。

なるほど、[2]と[3]を合わせれば、鳴き声が「ギイギイギイフウ ギイギイフウ」となってもいい。私は1986年のハレー彗星を含めて、何度も彗星を見たことがある。しかし、それは静かな存在だ。鳴き声をおろか、静かに夜空に横たわっている風情だ。長い尾に騙されてはいけない。

擬人化はよくあるが、賢治は彗星を擬「鯨」化していた。しかも、彗星は悪役として振る舞う。

ポウセ童子が云いました。
「僕らは彗星に欺されたのです。彗星は王さまへさえ偽をついたのです。本当に憎いやつではありませんか。」

いやはやである。
賢治は作品の中で彗星を二度登場させた。しかし、『双子の星』でも『銀河鉄道の夜』でも、同じ役回り。いずれも悪役だ。賢治は彗星を忌避していたのだ。流れ星は無難な扱いだったが、登場は一回だった。どっちも、どっち、というところか。

胎蔵界曼荼羅図

宮沢賢治は流れ星も、彗星も嫌いだった! 

まさか、こんな結果になるとは思ってもみなかった。しかも、推定するに、その理由は「流れるものが嫌い」ということだ。こうなるとお手上げ。賢治個人の趣味の問題なので、これ以上立ち入ることはできない。

まさか、賢治の宗教観と関係しているのだろうか? などと考えながら思案していたとき、ふと昔買った『宇宙をうたう』(海部宣男、中公新書、1999年)を読み直してみた。すると、第3章に「曼荼羅の宇宙」というタイトルを見つけた。流れ星や彗星とは関係ないと思ったが、読んでみて驚いた。京都の東寺にある「胎蔵界曼荼羅図」に流れ星と彗星が描かれているのだ(図3、図4)。

彗星は別名を計都といい、日食や月食を引き起こす要因のひとつだと考えられていたらしい。

いずれにしても曼荼羅は日本の仏教の原点とも言えるものだ。賢治にとっても大切なものだろう。それを凌駕するほど、賢治は「流れるものが嫌い」だったことになる。好き嫌いは人それぞれだが、度をすぎないよう心がけたいものだ。

今度、京都に行ったら東寺を訪れてみよう。

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