宮沢賢治の宇宙(81) 今日の銀河の説とは何か? 太陽は天の川銀河の中心にあるのか?
洋々社の『宮沢賢治』全17巻
洋々社から刊行された『宮沢賢治』全17巻はまさに圧巻の叢書だ。全17巻のうち、4巻で『銀河鉄道の夜』が特集されていた。また、特集のない巻にも『銀河鉄道の夜』に関する論考が掲載されていた。『銀河鉄道の夜』の人気ぶりを改めて実感した次第だ。
特集「賢治と宇宙」
今回注目したいのは第4巻。この巻では「賢治と宇宙」が特集されている(図1)。天文学者としては見逃せない巻だ。
「午后の授業」再び
さっそく読み始めると、『銀河鉄道の夜』の第一節、「午后の授業」が出てきた。天の川の正体は何かという問いかけのあと、先生は説明を続ける。
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、147-148頁)
天の川の全体的な形は、なぜ凸レンズのように見えるかは、前回のnoteで説明した。今回のテーマは「太陽は天の川銀河の中のどこにあるか」だ。
須川の解説を読んで驚いた。なぜなら、次のように書いてあったからだ。
賢治は、わが太陽系がほぼ銀河系の中心部に位置していると考察していた点に注目したい。 (67頁)
そして、次のように結論している。
「私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。」という表現をしているのは、賢治の慎重な科学者として、いかに真面目な態度であったかがうかがわれる。 (67頁)
須川の議論は私には意味不明。頭の中にはたくさんの「?」が飛び交った。
「私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって」の意味
須川は賢治が「太陽は天の川銀河の中心にある」と考えていたとしている。たしかに、賢治の時代、そういう考え方が流布していた。天の川銀河の地図を作ったウイリアム・ハーシェル(1738-1822)から引き継がれたことだ。
1900年以降、星の性質や距離測定などに進展があり、太陽は天の川銀河の中心にはないとする観測結果が出始めた。しかし、「太陽は天の川銀河の中心にある」という考えはしばらくの間、生き続けたのである。人類だけではないだろうが、生き物は自己中心的な存在なのだ。というわけでもないが、「私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって」 この文章の意味をどう考えるかは、判断が分かれる微妙な問題である。
しかし、先生の話をよく聞くと、答えは自明である。その部分を見てみよう。
みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見え・・・・
「レンズの中を見まわす」とは?
まず、レンズの中を見まわすことを考えよう。レンズの中心にいる場合、この見まわすという行動は図2のようになる。見まわす行動はレンズ面に沿って目を動かすことを意味する。
このように見まわした場合、どの方向を見ても、見る星の個数は同じになる。そのため、どの方向でも、レンズは同じ明るさで見える(図3)。
すると、次の先生の言葉は説明できない。
こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見え・・・・
つまり、私たちはレンズの中心に居てはいけないのである。
そこで、今度はレンズの中心ではなく、少し端に寄った位置に居て、レンズの中を見まわしてみよう(図4)。
すると、今度は左側でレンズが薄く、見る星の個数は少なくなる。つまり、暗く見える。一方、右側の方向を見ると、レンズは厚く、見る星の個数は多い。そのため、明るく見える(図5)。これが、先生の説明だったのだ。
「中ごろ」の意味
なぜ、こんな混乱が起きたのだろう? それは先生の言った「中ごろ」という言葉が曖昧だからだ。
先生は次のように話した。
「私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって」
この「中ごろ」は、どこのことを意味するのだろうか?
実は、二通りの解釈がありうる(図6)。
[1] レンズの中心(天の川銀河の中心)
[2] レンズの中心と端の間(天の川銀河の中心と端の中間)
今まで説明したように、レンズの中心に居てはダメなので、[2]に居なければならない。つまり、「中ごろ」は[2]の場所を意味する。
まさかの場合
まさかとは思うが、レンズの中心に居て、レンズ面ではなく、レンズ面と直交する方向を見まわす場合も考えてみよう(図7)。
この場合、レンズ面方向は星がたくさんあるので明るく見えるが、レンズ面と直交するにつれて星の数は減少し、暗く見える(図8)。しかし、先生がこんな見まわし方をジョバンニたちに伝えたとは考えにくい。ということで、無視してよい。
結論
では、結論をまとめておこう。
私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって
「中ごろ」はレンズの中心と端の間(天の川銀河の中心と端の中間)を意味する。
このまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。
この「中ごろ」に立って、レンズ面に沿って夜空を眺める。レンズの中心方向(図5では右側の方向)を見ると、レンズは厚く、見る星の個数は多いので、天の川は明るく見える。一方、その反対方向(図5では左側の方向)ではレンズが薄く、見る星の個数は少ないので、天の川は暗く見える(図9)。
賢治はなぜ太陽が天の川銀河の中心にないことを知っていたのだろう?
午后の授業でジョバンニの先生が語った天の川銀河の説明の解釈は誤解されているようだ。「中ごろ」は天の川銀河の中心だと解釈されているケースが多い。冒頭に紹介した須川の論考がその例である。
しかし、賢治は太陽が天の川銀河の中心にはないことを知っていた。つまり、現在知られている天の川銀河の知識を持っていたことになる(図10)。
賢治の時代、ここまで詳しい様子はわかっていなかったが、太陽が天の川銀河の中心にないことは、いくつかの観測からわかっていた。
ただ、当時の日本の天文学の教科書には「太陽は天の川銀河の中心にある」とする解説が多かった。
星座早見盤を友達にして夜毎夜空を眺めていた賢治は見る方向によって天の川の明るさが系統的に変わることを知っていた(図9)。太陽が天の川銀河の中心にあればそんな見え方はしない。太陽が天の川銀河の中心にはないと書いてある本は数少なかったが、賢治はそちらの説明を信じたのだろう。
天の川銀河の玲瓏円盤
賢治は詩『青森挽歌』で銀河系の玲瓏レンズという素敵な言葉を残している(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、156頁)。たしかに、ハーシェルの観測で得られた天の川銀河の姿はレンズのようにも見える。
しかし、天の川がやや分厚く見えるのには訳がある。私たちが夜空に見ている星々は太陽系に比較的近いところにある。遠いところにある星は暗くて見えていないからだ。しかも、遠い星の方が星間雲に含まれるダスト(塵粒子)に散乱・吸収され、暗くなっている。ところが、近くにある星々はさまざまな方向にあるので、統計的には円盤に厚みがあるように見えるのだ。
では、天の川銀河の真の姿はどんなものだろう。それを見てみたいものだ。
そこで、最後に天の川銀河の勇姿を見ておこう。近赤外線(波長2ミクロン)で見た姿だ(図11)。
玲瓏レンズではない。玲瓏円盤だったのだ。
中央部にあるバルジを無視して円盤だけを眺めてみる。すると、不思議なことに気づく。外側に行くにつれて円盤に直交する方向の広がりが大きくなるではないか! 円盤にある星々が少なくなるので、質量が軽くなり重力で引き留めておく力が弱くなる。そのため、円盤に直交する方向の星々の広がりが大きくなるのだ(力学的には「スケール・ハイトが大きくなる」と表現する)。つまり、銀河円盤の全体構造は「両面薄凹レンズ」ということになる。
天の川銀河の形は両面凸レンズ? この神話は、もろくも崩れ去った。