見出し画像

天文学者のひとり言(10) 谷川俊太郎で思い出すこと [3] 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の真実は?

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』

先日のnoteで、谷川俊太郎の詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を紹介した。

8編の詩が掲載されているが、そのうち6編は『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』のように長いタイトルの詩だ。詩や小説のタイトルはいろいろだが、個人的には短いタイトルの方が助かる。覚えやすいからだ。


さて、『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』だが、いくつか疑問が頭に浮かぶ。

[1] 「ぼく」は誰なのか?
[2] 「きみ」は誰なのか?
[3] なぜ、「夜中」なのか?
[4] なぜ、「台所で」なのか?
[5] 何を話しかけたかったのか?

長いタイトルの詩の方が、内容が分かりやすいと思うものだ。しかし、違う。この詩は、ある意味、謎だらけなのだ。

「ぼく」は作者、谷川俊太郎でよい。しかし、「きみ」が誰だかわからない。さらに、「きみ」に、夜中に台所で話しかける内容とはなんだったのか?

これらの疑問を胸に、『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を読んでみる。読めば、すべてわかるのか? 普通は、わかると思いたいところだ。しかし、読んでも、実はよくわからない。

まず、この詩は異様に長い。詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の7ページから36ページに及ぶ詩だ。また、全部で14のパートにわかれている。さらに複雑なのは、話しかける相手が複数いるのだ(表1)。

 

表1に挙げた人の中で、私が想定したのはたった一人。谷川俊太郎の当時の妻、谷川知子だけだ。谷川知子に向けた説は第4節だけ。残りの13節は他の人へのメッセージになっている。谷川俊太郎は夜中に台所でいろんな人に話しかけていたのだ。もちろん、それは現実ではない。頭の中での出来事だ。

いやはや、参った。

詩集としての『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』

詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』には表題作のほかに7つ、したがって計8つの詩が掲載されている。

表題作の詩『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』は私の想像を超えた世界の話だった。何しろ、谷川は「たくさんのきみ」(表1)に話しかけていたのだ。

ところで、詩『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』には、最後に次の文章が添えられている。

​​1972年五月某夜、半ば即興的に鉛筆書き、同六月二六日、パルコパロールにて音読。同八月、活字による記録および大量頒布に同意。​​

なんと、半ば即興的に鉛筆書きの詩だったのだ。詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』に収められたすべての詩は、たった一晩のうちに認められたのだ。

詩人は頭の中で詩を作るのではないのだろう。自分の居る場所から何らかのエネルギーをもらい、それが谷川俊太郎という人を通して、文字列が出来上がっている。それが谷川の作品なのだ。おそらく、詩が書かれたとき、谷川にはそれが何かわかっていないのではないだろうか。

詩の神様が降臨した?

『NHK高校講座 ベーシック国語』が文学史〜谷川俊太郎を取り扱ったときの話が参考になる。詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』に収められている作品『芝生』について次のような会話がある(先生=杏林大学教授 金田一 秀穂、カレン=滝川カレン)。谷川が『芝生』を朗読した後の会話だ。

まず、『芝生』を読んでおこう。

『芝生』
そして私はいつか
どこからか来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ

では、金田一先生、滝川カレン、そして谷川の3人の会話を見てみよう。

先生「(カレンさんに向かって)どうです?」
カレン「考えられない!」
先生&谷川「考えられない…(笑)」
谷川「ぼくもね、この詩、わからないんですよ。」
カレン「そうですよね。」
谷川「“え、なんでこんなの書けたの?”っていう詩なんですよ、これは。」
カレン「へぇ!」
谷川「そういうときの方が面白い詩が書けるものなんですけど。時々あるんですけど、ほんとに今まで、千何百篇くらい詩を書いているけど、数篇どうして書けたのかわからない詩がありますね。」
先生&カレン「へぇ~。」
谷川「単に待ってるの。何か言葉が湧いてくるのを。言葉が上から降ってくるんじゃなくて、下から湧いてくるんですよね、詩。それは、我々が日本語という土壌に根を下ろしているからだと、ぼくはそういう比喩なんですけどね。でもなんか、一語だったり一行だったりして言葉が出てくるんですね。それが詩の始まりで、出てこないときはもう無理矢理ね、なんか出しちゃって。それは良くないんですよ、だいたいにおいて。」 (
『NHK高校講座 ベーシック国語』文学史〜谷川俊太郎)

自分で書いた詩なのに、なぜその詩が目の前にあるのかわからない。いったい、どういうことだろう?

実は、ここで語られている谷川の作品制作の作法は、詩人・作家の宮沢賢治の作法と同じだ。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。 『注文の多い料理店 序文』

宮沢賢治の童話は賢治が考えて書いたものではない。林や野原やら鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらったものなのだ。谷川の詩も、谷川の周辺の環境が谷川に作用し、谷川の手が動いて文字列になったものと考えられる。

谷川や宮沢の文芸作品だけではない。オランダの画家、フィンセント・ファン・ゴッホの絵にもそれを感じられる。それは、あの画譜に溢れんばかりのゴッホの筆致を観ればわかる。

天才的な作家、あるいは芸術家はフィルターとして働くだけで、環境が彼らに作品を与えているのだ(例えば、『ゴッホは星空に何を見たか』谷口義明、光文社新書、2024年、182頁にある図を参照)。

天才、おそるべし!

追記:詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』の位置付け

谷川俊太郎と文芸評論家の尾崎真理子の対談集『詩人なんて呼ばれて』(谷川俊太郎、尾崎真理子、新潮社、2017年)を書店で見つけて買ってきた(図1)。

図1 『詩人なんて呼ばれて』谷川俊太郎、尾崎真理子、新潮社、2017年。

けが議論されていたので紹介しよう。それは、詩人の四元康祐(よつもと やすひろ)による考察である(『谷川俊太郎学』四元康祐、思潮社、2011年)。

最初はガラパゴス的に孤立しているかと思えた『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』が、実は谷川マップ(図2)におけるいくつかの流れの、いわば結節点をなしていることが分かってくる。

図2 『詩人なんて呼ばれて』(谷川俊太郎、尾崎真理子、新潮社、2017年)に出ている「谷川マップ」。『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』は赤丸で囲んで示した。

言語本意の系譜(『21』から『鳥羽』を経る系譜)
大和言葉と声の系譜(『ことばあそび』から始まる系譜)
ナンセンスの系譜(『落首九十九』から始まる系譜)

これら三つの系譜が『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』で一旦結節し、その後、さらに拡がりを見せて発展していくというのだ。

谷川は2500以上もの詩を書いた。ところが、私が読んだ詩は、数篇しかない。だから、私には谷川の詩の全貌を知る由もない。

谷川がこの詩集の詩を書いたとき、きっと詩の神様が谷川に降臨したのだろう。そんなことも知らず、タイトルに惹かれて『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を買っただけなのだが。不思議なこともあるものだ。

『詩人なんて呼ばれて』には谷川のエッセンスが紹介されているので、大変参考になる。こういう本が出ること自体、谷川の凄さである。

『天文学者なんて呼ばれて』
こんなタイトルの本が私に書けるだろうか?
まあ、無理せず、様子を見よう。

2025年=令和7年=昭和100年ということで。