宮沢賢治の宇宙(92) 銀河ステーションは種山ケ原にある?
銀河鉄道はどこを走る?
前回の note で、「銀河ステーションはペルセウス座にある」という仮説を立ててみた。ジョバンニが車窓から見たたくさんの「りんどう」の花々を星団に見立て、それは「ペルセウス座」の二重星団であると考えたのである。
もちろん、これは仮説のひとつに過ぎない。なぜなら、銀河鉄道がどこを走ったのかについては、いくつかの説がありうるからだ。
[1] 花巻市内を走った
[2] イーハトーブ(岩手県)の中を走った
[3] 天の川の中を走った
現実的なのは[1]と[2]である。[3]はあくまでも創作上のことだ。天の川の中を実際に走るのは無理である。あくまでも、「もし、天の川の中を走れたならば」として、物語を創るということだ。
賢治の作品には、意識を失って夢の世界に入る話が多い。夢の中で不思議な体験をする。そして、ふと気がつけば現実世界に戻っている。実際のところ、『銀河鉄道の夜』もそういう物語である。
銀河ステーションはどこにある?
れの丘の上。天気輪の柱という得体の知れない柱が建っていたところだ。それが何かは、誰も知らない。
丘を登って息を切らし、ジョバンニは天気輪の柱の下に寝転がった。しばらくすると天気輪の柱は三角標(星)に姿を変え、剛青の空にスキット立った。そして、気がつけばアナウンスが聞こえた。「銀河ステーション、銀河ステーション」なんと、ジョバンニは銀河鉄道の車内にいたのだ。後になってわかることだが、ジョバンニは駅の改札を通った記憶もない。それなのに不可思議な切符を持っていたのだ。では、銀河ステーションはどこにあったのか?
銀河ステーションはジョバンニが銀河鉄道に乗った駅だ。その駅のことを、これまた、誰も知らないのだ。これで童話が成立するのか? そう問いたくなる。
銀河ステーションは「ペルセウス座」の方向にあった?
そこで、少し考えてみた。『銀河鉄道の夜』を読むと、白鳥の停車場に向かう途中、たくさんの「りんどう」の花が咲いているところを通過する。
もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんだうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、137頁)
『銀河鉄道の夜』では、銀河鉄道が走る天の川の中の星は「三角標」と表現されている。しかし、この文章を読むと、ここでは、「りんどう」が星を表しているように思える。「りんどう」がたくさん集まっている。もし、「りんどう」が星なら、その場所は星団だ。天の川沿いに見える有名な星団といえば、「ペルセウス座」の二重星団である。そこで、前回のnoteでは「銀河ステーションはペルセウス座の方向にある」という仮説を考えてみた。
いやいや、種山ケ原ですよ!
「銀河ステーションはペルセウス座の方向にある」 なぜ、こんな仮説を思いついたのか? 特に理由はないのだが、敢えて言えば、次のことがある。「誰も銀河ステーションの場所を教えてくれないから自分で考えただけ。」たしかに、銀河ステーションの在処を明示した文章を読んだことがないような気がする。しかし、忘れているだけかも知れない。そう思って、少し調べてみることにした。すると、銀河ステーションの在処について議論している本を二冊見つけた。驚いたことに、二冊とも答えは同じ。銀河ステーションは種山ヶ原にあるというのだ! こんな面白い発見はない。そこで、このnoteでは種山ケ原説を紹介しよう。
寺門和夫の『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』
まずは、寺門和夫の『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』(青土社、2013年)だ。この本の帯には次の文章がある。
科学の視点で「銀河鉄道の夜」の謎を解く
まさにこのとおりの内容で、非常に面白い。『銀河鉄道の夜』を科学的に読み解いてみたい人には打ってつけの本であることは間違いない。
寺門の結論はこうなっている。
天気輪のある丘は、北上山地の種山高原がモデルになっています。 (31頁)
つまり、まとめると次の二点になる。
町外れの丘=種山ケ原物見山の山頂
天気輪の柱=水沢緯度観測所で使われていた眼視天頂儀(図1)
そして、次のストーリーを提案している。
天気輪の柱(眼視天頂儀)はいつの間にか三角標(星)に変わり、宇宙の野原に立っています。そこが、ベガ(「こと座」のヴェガのこと)であり、銀河ステーションでした。 (27頁)
では、なぜ「町外れの丘=種山ケ原物見山の山頂」なのか?
まず、物見山の山頂には測量用の三角点がある。次に、種山ケ原は賢治にとって特別な場所であり、たくさんの作品の舞台になっている(『風の又三郎』、『種山ケ原』、『種山ケ原の夜』、『さるのこしかけ』、『マグノリアの木』、『鹿踊りのはじまり』など)。これらの作品では主人公が気を失い(入眠)、異世界に入ってさまざまな経験をする。そして、目が覚めておしまいになる。これは、『銀河鉄道の夜』でも踏襲されているパターンである。
なるほど興味深い議論である。ただ、確定的ではないだろう。なぜなら、山頂にはどんな山でも三角点はある。眼視天頂儀は天気輪の柱の候補にはなるものの、あくまでも候補のひとつである。
畑山博の『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
二冊目は畑山博の『「銀河鉄道の夜」探検ブック』である。私の書棚にはこの本が二冊ある。ひとつは単行本(文藝春秋、1992年)。もうひとつは文庫本(文春文庫、1996年)。文庫本の方にはカレン・コリガンーテイラー(アラスカ大学フェアバンクス校・日本部学科教授)による解説文「アラスカで賢治文学を探検する」が掲載されている。二冊とも本文お内容はもちろん同じである。以下では文庫本から引用する。
この本には「銀河ステーションはどこにあるのか?」という節がある(172-181頁)。結論は次の文章である。
その場所を、私は、賢治の古里である花巻市の東南三十六キロのところにある種山ケ原だと特定する。 (174頁)
根拠は次の文章である。
その場所が賢治の文学上の発想の最重要地点だからである。 (177頁)
天気輪の柱の候補としては、種山ケ原にある「立石」を挙げている。二階建ての家屋ぐらいの大きさがあるが、一枚岩ではない。そのため、畑山はその岩を「天気輪の柱の化石」と呼んでいる。
「銀河ステーション=種山ケ原」説はどうか?
さて、「銀河ステーション=種山ケ原」説を紹介した。根拠は次の二点だと考えてよい。
[1] 種山ケ原は賢治の文学にとって重要な場所であった
[2] 天気輪の柱の候補はある
半分は文学的、半分は科学的な考察というところだろうか。
いずれにしても銀河ステーションの候補がたくさんある方が、吟味を楽しむことができる。冒頭に書いたように、銀河鉄道がどこを走ったかについては諸説ありうる。どう思うかは私たちの自由ということだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?