見出し画像

一期一会の本に出会う(19) 偶然の幸田文

幸田文との出会い

先日のnoteで幸田文(1904-1990)の『季節の手帖』(平凡社。2010年)を紹介した。

幸田文の父は文豪の幸田露伴(1867-1947)である(図1)。

図1 (左)幸田文、(右)幸田露伴。 幸田文 ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/幸田文#/media/ファイル:Kouda_Aya.jpg 幸田露伴 国立国会図書館「近代日本人の肖像」  https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6350/

二人とも著名な作家であるが、活躍時期は幸田文が半世紀以上前、そして幸田露伴が1世紀も前になる。そのため、最近では二人の名前を見ることは稀になってきている。

私が幸田文の『季節の手帖』を見つけたのは、東京のある書店の文芸コーナーだった。いろいろなエッセイ本が平積みにされており、そこにこの本を見つけた。ある意味、偶然の出会いだった。しかし、本との出会いはまさに一期一会。実際、私は『季節の手帖』を読んで、幸田文の自然にあるものと交流できる力の凄さに感動を覚え、noteの記事にした次第である。

これが6月26日、水曜日のことだ。そして、三日後の6月29日の土曜日、私は新聞で幸田文に出会うことになった。

朝日新聞 be

長年、朝日新聞とお付き合いしている。6月29日の土曜日、いつものように朝刊を広げた。土曜日には本紙とは別に12頁の「be」がついている(図2)。連載小説、エッセイ、詰将棋など、いろいろ楽しめる趣向になっている。

図2 朝日新聞では土曜日に「be」という別紙がついてくる。

その日も紙面をめくっていくと驚いた。「幸田文、運転台に乗る」という文字が飛び込んできたからだ。それは政治学者の原武史が連載している『歴史のダイアグラム』という記事のタイトルだった。原の本業は政治学者だが、「超」がつくほどの鉄道マニアである。毎週、非常に面白い記事を提供してくれるので、読むのを楽しみにしている。

そして、この日の記事の主人公は幸田文だったのだ。

幸田文、運転台に乗る

「幸田文、運転台に乗る」これは1958年12月、幸田文が東京から大阪経由で福井まで列車で旅をした話だ。面白いのは、幸田が腰掛けたのは列車の最前部の運転台である。運転士たちがどのように列車を動かしているのか観察する旅だったことだ。

動体視力と静視力

東海道は穏やかな旅だったが、福井へ向かう北陸本線になると様相は一変した。東海道デ乗車した特急「こだま」号は電気機関車だったが、北陸本線は蒸気機関車の時代だった。しかも、まだ北陸トンネルが開通する前のことだ。急勾配の場所に差し赤カルト、運転士たちは必死だ。汗だくで石炭を焚(く)べる。

幸田は目を見開いてこの作業を見つめた。運転助手は石炭庫からシャベルで石炭を掬い、燃焼室へと投げ入れる。その作業自身は激しい動きだ。ところが、幸田の目はもっと面白いことに向けられていた。

「汽車も揺れ人も揺れるが、シャベルは平安に使われてゐる。」

幸田の身体も車体に揺られていただろう。しかし、彼女の目には、石炭庫から燃焼室へ石炭を運ぶシャベルの動きは安定したものに見えた。

揺れる車体と人。だが、シャベルは揺れずに石炭を運ぶ。なんだか、動体視力と静視力がうまく機能している。

春、花が咲きだす前の桜の幹に幸田は「てり」を見たという。幸田には天性の眼力が備わっていたのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?