宮沢賢治の宇宙(3) 姫神山 ー 寺山修司のひらめき
第2部 「たはむれに」異聞
第1話では湯川秀樹の指摘を受けて、啄木と賢治が姫神山を避けた話を紹介した。ここで、湯川の指摘をまとめておくと次のようになる。
啄木の妻と母の不仲のため、啄木は母を嫌っていた
故郷の渋民からは西に岩手山、東に姫神山が見える
二つとも美しい山だが、岩手山が男性的で、姫神山は女性的である
啄木は母嫌いが昂じて、女性的な姫神山を作品に残すことをしなかった
では、賢治はどうだったか? 賢治の作品を調べたところ、有為に姫神山の出現頻度は低いことがわかった。賢治の母イチは教育熱心な人だったが、温厚で優しい人であり、賢治は母を尊敬していた。したがって、賢治の場合は“母嫌い”は当てはまらない。しかし、啄木に倣い、姫神山を作品に入れることを避けた形跡がある。
こういう話をしたわけだが、心に引っかかるものがあった。それは啄木に関する次の疑問である。
「啄木は本当に母が嫌いだったのか?」
啄木の短歌に母思いを彷彿とさせる有名な一首がある。
たはむれに母を背負ひて
そのあまり輕きに泣きて
三歩あゆまず(『啄木全集』第一巻、10頁 岩波書店、昭和36年)
実際、この歌は啄木の母思いの証左であると考えられてきている。子供の頃は母の背中におぶられるものだ。しかし、大人になると子供は母より背が大きくなる。<おぶるーおぶられる>の関係は逆転する。
啄木は、ある日、母を背負ってみた。すると、母はあまりにも軽いことに啄木は気づいた。自分を育てるために、母は苦労を重ね、こんなに痩せ細ってしまった。そう感じたのだろう。その思いがこの歌に込められている。
私もこの歌は子供の頃に知っていたが、啄木は親孝行息子だと感心していた。この啄木親孝行説が正しいとすると、第一部で紹介した湯川の論理は崩れる。いったい、どうしたものか。これが私の心に引っかかるものだったのである。
しかし、啄木親孝行説をまったく信じていない人がいることに気づいた。その人は寺山修司である。
寺山修司、物申す
寺山修司(1935-1983)は昭和の時代を駆け抜けた天才である。歌人としてスタートしたが、劇作家、脚本家、映画監督としても活躍した。前衛的な演劇グループ「天井桟敷」を主催したことは、つとに有名である。また、詩人、評論家としても名を馳せた人である。
1967年に発表した随筆『書を捨てよ、町へ出よう』は当時の流行語にもなった。私はまだ中学生だったが、この随筆のタイトルは知っていた。その頃、私が読んでいた本は探偵小説や推理小説であり、一般の文芸本とは無縁の生活をしていた。それでも寺山修司の名前とこの随筆のことだけは知っていた。
寺山は啄木の“たはむれに・・・”の歌を初めて見たとき、次のように思ったというのである。
てっきり、「母を背負ひて」捨てにゆくのだ、と思った。そのイメージは、たとえば「楢山節考」のおりんのものである。 (「望郷幻譚 啄木における
「家」の構造」寺山修司、『文芸読本 石川啄木』河出書房新社、1976年、110-117頁)
『楢山節考』は1956年に発表された深沢七郎(1914-1987)の短編小説である。テーマは姥捨である。家族を守るため、食い扶持を減らす。そのために、老婆であるおりんは山に捨てられたのである。
それにしても、啄木の“たはむれに・・・”の歌を見て、啄木が生活苦から母を捨てに行く情景だと思うだろうか? 寺山が直感的にそう思ったのは、啄木という人間の本質を深く考察していたからだろう。
寺山は“昭和の啄木”と呼ばれ、若くして文豪のような人であった。その寺山が啄木親孝行説をまったく信じていないとは驚きである。
涙する啄木
啄木には当然家族はいたのだが、啄木は家族、というより「家」を忌避する傾向が強い人だったようである。そのことを示すために、寺山は啄木のローマ字日記から次の文章を紹介している。
現在の夫婦制度―すべての社会制度は間違いだらけだ。予はなぜ、親や妻や子のために束縛されねばならぬのか?
親や妻や子は、なぜ予の犠牲とならねばならぬのか?
これを深刻に受け止めると、啄木はやはり「家」とは隔絶した世界に遊びたいと願っていたのだろう。実際、啄木の生活は、一言で言えば“放蕩”であった。
ちなみに、ローマ字日記は、日記を妻に読まれないために、啄木があえてローマ字で書いた日記である。ここにも、啄木の異様なまでの「家」嫌いのさまが見えてくる。
こうしてみると、第1部で紹介した湯川の説は正論であったと認めてよい。
そう思う一方で、“たはむれに・・・”の歌は字義どおり啄木の母への愛と受け止めたい気持ちもある。ひとつの見方は、啄木の心は揺れていたということだろうか。「家」嫌いではあるが、ときに「家」に寄り添う気持ちも残されていた。そういうことである。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣ぬれて
蟹とたわむる(『啄木全集』第一巻、9頁 岩波書店、昭和36年)
啄木は、何に涙を流していたのだろう。
<追記>
今回は宮沢賢治の話が出てきませんでした。失礼しました。第三話で復活させます。