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ゴッホの見た星空(16)《夜のカフェテラス》で最後の晩餐を

カバースライドの説明(ゴッホのWIKIPEDIAのページを参照)
(左)《夜のカフェテラス》 (右)《自画像》

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 「銀河のお話し(1)」をご覧下さい。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

《夜のカフェテラス》

寒い日が少し続いたので、昨日は天文部の部室でよもやま話に花を咲かせた。話題はゴッホの《夜のカフェテラス》。星空が描かれた絵の一枚なので天文ファン向きの絵だ。しかし、なぜか絵で用いられた遠近法の話になってしまった。
翌日の放課後も、輝明は天文部の部室に入ると、いつのもように優子が来ていた。

「やあ、優子、昨日の遠近法の話は面白かったね。」
「あっ、部長。すごく勉強になりました。」
「《夜のカフェテラス》の遠近法だけど、もう少し話題がある。今日も少し話をしてもいいかな。」
「はい、大歓迎です!」

優子はやる気満々という感じだ。

《夜のカフェテラス》にはスケッチが残されている

「《夜のカフェテラス》にはその母体となるスケッチがあるんだけど、優子は知ってる?」
「いえ、知りません。」
「じゃあ、そのスケッチを見てみよう(図1右)。」

図1 (左)《夜のカフェテラス》、(右)そのスケッチ。 (左) https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧#/media/ファイル:Vincent_Willem_van_Gogh_-_Cafe_Terrace_at_Night_(Yorck).jpg (右) https://www.artpedia.asia/work-café-terrace-at-night/

「あっ、ホントだ。このスケッチはどう見ても《夜のカフェテラス》ですね。」
「違いはあるかな?」
優子はしばらくスケッチと《夜のカフェテラス》を見比べたあと、気づいたことを話した。
「そうですね。まず、スケッチでは星空のスペースが狭いです。」
「天文ファンとしては見逃せないポイントだね。しかも、星はひとつも描かれていない。」
「それから、描かれている人の数も違います。それはカフェでも道路でもそうです。」
「なるほど、あとは?」
「《夜のカフェテラス》の右端には並木道なのかな? 木が描かれています。でも、スケッチには木がありません。」
「うん、両者の違いはそんなところだね。」

優子はふと思いついたように言った。
「スケッチがあるということは、《夜のカフェテラス》は現場で直にキャンバスに描かれたわけではない? そういうことでしょうか?」
「たぶん、そうだね。《夜のカフェテラス》も、《星月夜》と同様に作られた絵の一枚ということだ。」

「星空はどうしたんでしょうか?」
「方法はある。それは星空の様子を、現場で別の紙にメモしておくことだ。しかし、ゴッホがそうしたかどうかはわからない。いずれにしても、《夜のカフェテラス》の星空の謎は深まってしまったね。」

註:次のnoteの記事を参照されて下さい。「ゴッホの見た星空(8) 《夜のカフェテラス》の星空の謎?https://note.com/astro_dialog/n/n663d17e83952

《夜のカフェテラス》の星空は?

輝明はさらに面白い情報を教えてくれた。
「ところが、その謎はもっと深まるんだ。それは、次のゴッホの手紙を読むとわかる。」

1888年9月9日 日曜日 ならびに9月14日 金曜日 (妹の)ウイレミーン・ファン・ゴッホ宛

ここ数日、夜のカフェの外観を描いた新しい絵にかかりっきりで、手紙を書くのを中断していた。カフェテラスには酒飲みたちの姿が小さく見える。巨大なランプがテラスや店頭、舗道を黄色く照らし、通りの舗石の上にまで灯りを落としていて、舗石は紫とバラの色調に見える。星の散りばめられた青い空の下に街路が伸び、街路沿いの家々の切妻屋根は濃い青か紫で、緑の木も立っている。そう、これは黒のない夜の絵だ。美しい青と紫しかなく、これを背景に、灯りで照らされた広場は薄い硫黄色と緑がかったレモンイエローで色づけされている。夜を現場で描くのはとてつもなく楽しい。昔はデッサンだけ描き、後日デッサンをもとに油彩を描いたものだ。でも僕は現場で直接描いてよかったと思っている。(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、317頁)

「あれ? ゴッホは現場で直接描いたと言っていますね。」
「そうなんだ。この手紙を読むと、先ほどの予想は間違っていることがわかる。」

昔はデッサンだけ描き、後日デッサンをもとに油彩を描いたものだ。でも僕は現場で直接描いてよかったと思っている。

「ゴッホのこの言葉が本当なら、《夜のカフェテラス》は現場で油彩されたことになる。では、図1の右に示したデッサンは何なのか? 《夜のカフェテラス》のデッサンではないのか? もしそうなら、《夜のカフェテラス》はこのデッサンとは独立して描かれたものになる。」
「うーん、もうダメです。」
優子は早くも根を上げてしまった。

《夜のカフェテラス》に込められた思い

「さっき、優子は《夜のカフェテラス》とデッサンとの違いのひとつとして、描かれている人の人数のことを指摘した。」
「はい。実際に数えたわけではないですが。」
「せっかくなので、数えてみよう。カフェの外の道路は置いといて、テラス席にいる人の人数を数えてみよう。結果はこうだ(図2)。」
「《夜のカフェテラス》には13人、デッサンには9人ですね。4人も違います。」

図2 《夜のカフェテラス》に集う人々。(上)最終的な絵では12人の客と一人のウエイターが描かれている。(下) 《夜のカフェテラス》のスケッチでは客は8人とウエイターの9人しか描かれていない。同定した人物には上側に数字を示した。ただし、人物7と8は数字を下に示した。 https://note.com/astro_dialog/n/n663d17e83952 https://www.artpedia.asia/work-café-terrace-at-night/

《最後の晩餐》

「もし《夜のカフェテラス》がこのスケッチを元に描かれたとすると、なぜテラス席にいる人の人数が9人から13人に増えたのか? この理由については既にいろいろ議論されてきている。最も説得力のある理由は「ゴッホは『最後の晩餐』(図3)のアルル版を描きたかった」というものでだ。」
「《最後の晩餐》って、あのダ・ヴィンチの絵のことですか?」
「そうだよ。」
「いったい・・・?」
「カフェにいる13人は、12人の客とウエイターだ。これらの人はそれぞれ、12使徒とイエス・キリストに見立てることができる。」
「うーむ。」
「そして、ご丁寧なことに、イエス・キリストの背後にある窓枠は十字架に見えるというわけだ。」
「それは、すごい。」
優子は思わずのけぞりそうになった。
「じゃあ、《最後の晩餐》を見ておこう(図3上)。
「たしかに、キリストの他に12人いますね。」

そして見事な「一点消失法」

「実は、《最後の晩餐》こそ「一点消失法」の極意のような絵なんだ。」
「?」
「見てごらん、消失点はキリストの頭の部分に来ているだろう(図3下)。」
「うわあ、ホントですね。」
「これはもちろん意図して、そうなっているはずだ(『絵を見る技術』秋田麻早子、朝日出版社、2019年、44頁の図を参照)。」
「見事です!!!」

図3 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519;フィレンツエの芸術家)による壁画《最後の晩餐》(制作は1495年から1496年)。 (上)12使徒(1番から12番の人)とイエス・キリスト(13番目の人)。(下)一点消失法の結果。消失点はイエス・キリストの顔に収斂する。 サンタ・マリア・デッレ・グラツイエ修道院(ミラノ)所蔵。 https://ja.wikipedia.org/wiki/最後の晩餐_(レオナルド)#/media/ファイル:Leonardo_da_Vinci_(1452-1519)_-_The_Last_Supper_(1495-1498).jpg

夢は叶わないから夢という

優子はなんとなくわかってきた。
「ひょっとして、ゴッホは夜のカフェテラスで最後の晩餐をとりたかったんでしょうか?」
「なんだか、そんな気がするね。そもそもゴッホがアルルに来たのには大きな目的があった。アルルに画家たちのパラダイスを作りたかったからだ。アトリエ(「黄色い家」と称される家)には12脚の椅子を用意した(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、312頁)。さらに、12枚のひまわりの絵を飾る(フィンセント・ファン・ゴッホ ひまわり』小林晶子 編・著、求龍堂、2020年、22頁)。なお、ゴッホの手紙によれば6枚という記述もあるけど。」

僕のアトリエを六枚ほどの《ひまわり》の絵で装飾しようかと思っている(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、302頁)。

「ゴッホはアルルで花瓶に生けたひまわりの絵を七枚描いたが、そのうち六枚が現存している(『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』秋元雄史、大和書房、2018年、100-102頁)。いずれにしもて十二枚描くプランは実現しなかったようだ。」
「結局、アルルに来てくれたのはゴーギャンだけで、それも短期間で破局を迎えたんですよね。」
「本来なら、カフェテラスで画家仲間たちと絵の議論をしたかったのではないのかな。しかし、そこに仲間たちの群像はなかった。」
優子も悲しそうに呟いた。

「夢は叶わないから夢という。」

結局、今日も天文の話は出て来なかった。やれやれ。

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「ゴッホの見た星空(8) 《夜のカフェテラス》の星空の謎?
https://note.com/astro_dialog/n/n663d17e83952

「ゴッホの見た星空(15) 《夜のカフェテラス》の遠近法https://note.com/astro_dialog/n/n4e511095ddc2


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