天文俳句(14) 「オリオン」は冬の季語にふさわしいか?
今夜の星空は?
4月。
今夜はどんな星空が見えるのだろう?
国立天文台のサイトで調べてみると、4月中旬・夜8時頃の東京で見る星空が紹介されている(図1)。
星空を見る時間帯は人それぞれだろう。しかし、学校・会社帰りの時間帯、家に居れば夕食後の時間帯に星を見る人は多いのではないだろうか。実際、夕方、空が暗くなって午後8時頃までが一番星空を見る機会が多いので、国立天文台の情報も午後8時頃の星空になっている(図1)。
4月であれば、オリオン座が西空に沈み、天の川と共に七夕で有名な織姫(「こと座」のα星ヴェガ)と牽牛(「わし座」のα星アルタイル)の星が東の空から昇ってくる。その二つの星を挟む天の川の中には「はくちょう座」の北十字も見える。宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』で、夏祭りの夜に主人公のジョバンニが天の川の旅を始めた場所だ。
時間帯が決まれば見える星空は季節と対応するので、星や星座は俳句の季語にできそうな気がする。ところが、歳時記では星や星座は季語に選ばれていない。それは、星や星座の位置は地球の自転と共に動いていくので、季節と一対一の対応がつけられないためだ。実際、夏の明け方には東の空からオリオン座が昇ってきてしまう。
実際、星の俳人、山口誓子の俳句に次の一句がある。
オリオンが出て大いなる晩夏かな 昭和20年8月10日 伊勢富田
次のnoteを参照されたい:「天文俳句」(4)星戀https://note.com/astro_dialog/n/n429ca3e819d1
「オリオン」と「天狼(シリウス)」は季語になる?
実は、はオリオンと天狼を冬の季語にした人がいる。俳人の橋本多佳子(1899-1963)だ(図2、図3)。
次のnoteを参照されたい:「天文俳句」(7)店からあふれた林檎は星空に向かったのか? それともイタリアの街角へ?https://note.com/astro_dialog/n/n9ead20c8e8f6
天文ファンとしては嬉しい出来事だった。
なお、「昴(すばる)」は冬の季語に選ばれていない。晩秋から東の夜空に見え始めるので、冬と断定しにくいためか? 「寒昴」とすれば冬の季語になるが、こちらも選ばれていない。清少納言が『枕草子』で「星はすばる」と持ち上げた星団だが、橋本は関心を寄せなかったようだ。
季語としての「冬の星」
橋本多佳子は俳人である。俳句のプロが「オリオン」と「天狼」を季語に選んだ。ところが、橋本の師である山口誓子は「オリオン」と「天狼」を季語にしなかった。「オリオン」と「天狼」を詠むとき、必ず他に季語を入れたのである(「寒オリオン」は用いたが)。例えば、次の句をご覧いただこう。
オリオンの出て間もあらぬ枯野かな 昭和20年12月9日 伊勢富田
この句では「枯野」で冬の俳句にしている。
橋本が「オリオン」と「天狼」を季語に選んだことに気をよくしていたが、橋本以外に多くの俳人がいる。より多くの俳人の意見を伺うべきだと感じた。
そこで、出会ったのが『季語を知る』(片山由美子,角川選書,角川書店,令和元年)という一冊だ(図4)。この本の第4章に「冬の星」という項目がある(178-185頁)。そこに私の知りたいことが書いてあった。
冬の季語として「冬の月」は江戸時代からあるが、「冬の星」はなかった。この項目を提案したのは一冊の歳時記、『図説俳句大歳時記』(角川書店,昭和48(1973)年;新年,春,夏,秋,冬の5分冊)である。しかし、この歳時記の提案は定着することなく、その後出版された歳時記では「冬の星」関連の言葉は季語として採用されていない。片山はこの理由を次のように推察している。
『図説俳句大歳時記』では天文関係の解説を天文民俗学者の野尻抱影(1885-1977)に依頼した(『星戀』は山口誓子との共著)。そのため「冬の星」関連の言葉が季語として選ばれた。
たしかに、この歳時記でのみ、「冬の星」関係の季語が多い(表1)。大事な点は、『図説俳句大歳時記』で提案された「冬の星」関連の季語は、『カラー図説日本大歳時記』では踏襲されたが、その後の歳時記では採用されていないことだ。つまり、多くの俳人には受け入れられなかったのだ。
実際のところ、私が持っている最近の歳時記には「冬の星」関係の季語は掲載されていない。note「天文俳句」の第一話で紹介した以下の歳時記である。『増補版 いちばんわかりやすい俳句歳時記』(辻桃子、安倍元気、主婦の友社、2019年)、『オールカラー よくわかる俳句歳時記』(石寒太 編、ナツメ社、2010年)、『新歳時記 秋』(平井照敏 編、河出書房新社、復刻版、2015、春夏秋冬、新年があるが、私が所有しているのは「秋」と「冬」のみ)、『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』角川学芸出版 編、角川ソフィア文庫、2011年、『俳句歳時記 角川書店編 第五版』(角川ソフィア文庫、2018年)。
なお、「オリオン」と「天狼」を季語にした橋本多佳子は『図説俳句大歳時記』の影響は受けていない。橋本の俳句はこの歳時記(昭和48年)が出る前に詠まれたものだからだ。ちなみに橋本の句集は以下のようになっている。
『海燕(うみつばめ)』昭和2年―昭和15年
『信濃』昭和2年―昭和15年
『紅絲(こうし)』昭和16年―昭和21年
『海彦』昭和26年―昭和31年
『命終(めいじゅう)』昭和31年―昭和38年
補遺 大正15年―昭和38年
橋本がオリオンを詠んだ有名な句、「オリオンの盾新しき年に入る」は昭和27年に詠まれたものだ。
新たな季語を生むには、名句を詠め!
片山の本にも書いてあるが、新しい季語が成立するには、まず名句が必要である。そのよい例は「万緑(ばんりょく)」だ。
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男「火の島」
この句のおかげで、「万緑」は夏の季語になった。
「オリオン」や「天狼」にその力はない。地球の自転で時事刻々と位置を変える星や星座は一意的に季節と対応付けできない。この論理を打破することは、地球の自転を止めない限り、無理なのだ。
俳人である片山はこう語る。
実作者としては「すばる」や「オリオン」「天狼」だけで冬の季語として詠むことにはためらいがある。(179頁)
そういえば、山口誓子もそうだった。
季語は「言葉」そのものに伝統と味わいがある
最後に片山由美子の『季語を知る』の帯の言葉を噛み締めよう。
季語の「花」=「桜」ではない!?「桜」は植物、「花」は賞でるもの ― 季語は「言葉」そのものに伝統と味わいがある。
「星」と「星座」に伝統と味わいが出てくるまで待とう。