「宮沢賢治の宇宙」(70) なぜ「日輪と山」は不安定に見えるのか?
宮沢賢治の絵「日輪と山」
賢治の描いた有名な絵がある。「日輪と山」と呼ばれる絵だ(図1)。
葛飾北斎の浮世絵「赤富士」に似ている?
「日輪と山」は葛飾北斎の「凱風快晴」(がいふうかいせい)、別名「赤富士」で呼ばれる絵に似ていると言われている(図2)。賢治は浮世絵が大好きだったので、「赤富士」に影響された可能性は十分にある。
なるほど、全体的な雰囲気は似ている。しかし、相違点もある。
[1] 「日輪と山」では、山の頂上が中央部に近いところに来ている。しかし、北斎の「赤富士」では山の頂上は右に大きく寄っている。
[2] 「日輪と山」には、山の頂上のやや左に日輪が描かれているが、「赤富士には日輪はない。
[3] 「日輪と山」では、赤いのは日輪だが「「赤富士」では赤いのは富士山である(麓から頂上まで)。
[4] 「日輪と山」には、遠景として遠くの山並みが描かれている。
こうしてみると、二つの絵は似ているようで、似ていないとも言える。
さなざまな解釈
これまでのnoteでは日輪ではなく、藤井旭による月輪説を紹介した。
また、斉藤文一による「マルとサンカク」説も紹介した。
どうも、「日輪と山」の絵を観ると、いろいろな感想を持つようだ。
「日輪と山」に観る不安定感
日輪があるせいだろうか? あるいは日輪と山の頂上の位置のずれだろうか? 「日輪と山」を観ると、何か不安定な感じがする。落ち着かないというべきか。一方、「赤富士」ではそんな不安定感を感じることはない。富士の位置が大きく右に寄っていることは気にならないし、かえってそれが安定感を与えているようにも思う。
遠近法の「直交パターン」で調べてみる
ゴッホの名作《夜のカフェテラス》の安定感を遠近法の「直交パターン」で調べたことがあった。
それに倣い、「日輪と山」と「赤富士」を直交パターンで調べてみることにした。「直交パターン」は対角線を引き、それに直交する補助線を入れて消失点を調べる方法である。(『絵を見る技術』秋田麻早子、朝日出版社、2019年、220-230頁、224頁の図を参照)
まず、「赤富士」だ。右上から左下へ対角線を引き、それに対して直交する補助線をどんどん入れていく。すると、「赤富士」では富士山の八号目あたりの山肌に遠近法で言う消失点があることがわかる(図3)。
対角線に対する直交する線を絵の下側に設定してみた場合の結果も見てみよう(図4)。今度は、絵の消失点は下の山肌にある(三号目か四号目付近)。いずれの場合も、消失点は山肌にほぼ一致する。
では、「日輪と山」ではどうか? 同様な調査をしてみた(図5、図6)。
消失点は空の一部(図5)と山の中(図6)にある。なるほど、これでは落ち着きがない。「日輪と山」を観て私たちが感じる不安定感。その原因は遠近法における消失点が「わかりやすい場所に該当していない(山肌など)」ためだったのではないだろうか?
とりあえず「赤富士ビール」
結論が出たところでひと休み。とりあえず「赤富士ビール」を飲もう!(図7)