一期一会の本に出会う(12) 吉田洋一『数学の影絵』に学ぶ
『白林帖』に描かれた数学の影絵
数学者の吉田洋一(1898-1989)には『数学の影絵』という著書がある。タイトルになっている数学の影絵とは何のことだろう? それは、「数学の影絵」というエッセイを読めばわかるはずだ。ところが、である。「数学の影絵」というエッセイは2023年に刊行されたちくま学芸文庫『数学の影絵』には掲載されていないのだ。こんな馬鹿な。そう思って目次を何度も見たが、本当に出ていない。これは困った。ひょっとしたら1982年に河出文庫から刊行された『数学の影絵』(図1)に掲載されているかと思い、買って調べてみた。すると、ちくま学芸文庫『数学の影絵』とまったく同じ内容だった。
いったい、数学の影絵とは何を意味するのか? 幸い、『数学の影絵』(ちくま学芸文庫)の解説、“文庫版解説 影絵に宿る数学の神秘(高橋正仁)”で影絵の謎は説明されていた(250-253頁)。しかし、やはりオリジナルの解説を読んでみたい欲求が湧いてきた。そこで、確実に「数学の影絵」というエッセイを読むことができる『白林帖』(吉田洋一、甲鳥書林、1943 [昭和18]年)を買い求めた(図2)。こうして、ようやく「数学の影絵」というエッセイに辿り着くことができた(229-246頁)。
なぜ、1982年の河出文庫と2023年のちくま学芸文庫の『数学の影絵』には本のタイトルにもなっているエッセイが掲載されていないのか? これは非常に不思議である。しかし、『白林帖』に出ていたエッセイを読んでその理由がわかった。『白林帖』が刊行されたのは1943年、第二次世界大戦の最中である。実は、影絵の解説の中で米国、英国、米国人などが例として出てくる。おそらく、吉田はこれらの例を出すことを嫌ったのだろう。ちくま学芸文庫の『数学の影絵』の解説、“文庫版解説 影絵に宿る数学の神秘”で高橋正仁もそのことを指摘している。なお、エッセイ「数学の影絵」が書かれたのは1942年1月のことであった。
数学の影絵とは何か?
では、「数学の影絵」の内容を説明することにしよう。
数学は一般に嫌われている。その理由は数学が抽象的であるためだという。この話を聞いて、吉田は数学における抽象について、新たなわかりやすい説明を考えてみることにした。その際、吉田は「形」にこだわってみた。私たち人間の目は「形」を見ることに長けている。人間はパターン認識が上手な生物なのである。視力の測定を思い出すとよい。測定では、パターンを見極める能力がチェックされる。
「形」と言っても、いろいろあるが、馴染みのある形は、人の形である。人はまさに人それぞれで、微妙に姿形は違う。背の高さをとってみても、高低いろいろである。そこで、吉田は、人の影を見て類似性を判断することを考えた。
影を作るための光源は、今の時代であればLEDライトである。しかし、吉田は蝋燭を選んだ。蝋燭の光でできる影(壁に映る影)を利用して、さまざまな人の形をみることになる。吉田は甲、乙。そして丙の三人に登場してもらうことにした。
[1] 部屋の中に甲という人がいて、壁にその人の影が映っていた。当然だが、影は甲の姿形を反映していた。
[2] もう一人、乙という人がいた。背格好は違うが、立ち位置を調整すると乙の影は甲の影と一致した。
[3] 甲は部屋から立ち去ったが、代わりに丙という人が入ってきた。その人の影はやはり立ち位置を調整すると、部屋に残っていた乙の影と一致した。吉田は三人の影を比較して、人の形に関して次の三つの性質を見出した。
・ [1] から、甲は甲自身と相似である。
・ [2] から、乙が甲と相似である。したがって、甲は乙と相似である。
・ [3] から、丙は乙と相似である。乙が甲と相似なので、丙は甲とも相似である。
吉田はこれらにそれぞれ、次の名前を与えた。
・ 反射の性質
・ 対称の性質
・ 転移の性質
しかし、これらの名前だけでは、まだピンと来ない。実際のところ、吉田はこれらの性質の名称の由来については説明してない。そこで、名前の由来を推察しておくことにしよう。
甲と甲の影は相似である。甲本人と甲の影のスケールは異なるが、姿形は本質的に同じである。鏡の中に写った、影としての自分を見ることに相当する。それで反射の性質と名づけたのだろう。しかし、鏡に映った姿との同一性という意味では、一般には「鏡像対称性」という言葉が使われる。ただ、これではあまりに堅苦しい名前に聞こえる。また、影は本体より拡大されて写されているので、鏡を見ているという状況ではない。そのため、「鏡像対称性」の本質である反射の性質という言葉を吉田が選んだのは正しい。
次は甲と乙の影の比較である。影を比べると乙と甲は区別できず、同じに見える。二人の影を相互に比較して、同じと判断したことになる。二つの影は重ねると同じになる。甲乙、二人の影を描いた紙を折り曲げると一致する。そのため、対称の性質と名付けた可能性がある。
今度は、甲と丙の関係である。比較の基本としていた乙が部屋を出ていってしまった。代わりに入ってきた丙の影を調べると、部屋の壁に描き残されていた乙の影と一致した。つまり、乙と兵は相似である。甲は乙と相似なので、丙は乙を介して甲とも相似であると判断できる。丙→乙→甲。このように対象を転移させて相似性を確認したことになる。そこで、転移の性質と名付けたのだろう。
三角形の影絵で考える
このように、吉田は「形」にこだわって、数学の抽象性がどのようなものかを示した。普通の人は、こんなことは考えないだろう。数学者の考える世界は面白い。ただ、「形」にこだわるのであれば、甲乙丙という3人の人間を出すより、A、B、Cという三つの三角形を例に出してもらう方がわかりやすいかもしれない。甲乙丙という3人には、数学の香りがしないからだ。実際、『広辞苑』(第7版、2013 年)で相似の意味を調べてみると、次のようになっている。
二つの図形の一方をどの方向にも一様に拡大または縮小すると他方の図形と完全に重ね合わせられるとき、二つの図形は相似であるという。
やはり、図形が出てくる。三角形なら図形、すなわち幾何学模様であり、数学的である。「数学の影絵」を「三角形の影絵」と捉えることができる。
暗い部屋で蝋燭を灯し、まず三角形Aの影を見る(図3)。次に三角形Bの影を見る(図4)。そして、三角形AとBの影を比較し、相似かどうかを調べる。この作業を三角形Cに対しても行い、三つの三角形の形について影を使って比較するのである(図5)。
「形」で抽象性を語る
「三角形の影絵」で「数学の影絵」をまとめてみたが、理解していただけただろうか。「数学の影絵」というならば、たとえば数字とかを使ってもらうとより直感的になる。しかし、数字ではうまくいかない。影はぼやけさせたとしても数字になるからだ。そこで、吉田は形を持つ人間を例に持ち出すことにした。そして、彼らの形の相似関係を使って数学の抽象性を表現したのである。これで、数学嫌いの人が数学ファンになるかどうかはわからない。ただ、面白い議論であることは確かだ。
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