![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153738056/rectangle_large_type_2_2ecd03533f730e42c8165751f1ee009e.jpeg?width=1200)
宮沢賢治の宇宙(93) 銀河ステーションは神奈川県葉山町にあった
銀河ステーションは実在した
一九七九年の秋、それまで住んでいた平塚市から、私は神奈川県葉山町の山の中腹“銀河鉄道始発駅”に越した。
こんな一文で出会った。なんと、銀河鉄道始発駅に住んでいた人がいたのだ。
その人は作家の畑山博だ(1935-2001)。「いつか汽笛を鳴らして」で、1972年に芥川賞を受賞された人だが、宮沢賢治に深く傾倒した人とも知られる。畑山による賢治関係の代表的な本を挙げると次のようなものがある。
『わが心の宮沢賢治』(佼成出版社、1984年)
『教師宮沢賢治のしごと』(小学館、1988年)
『宮沢賢治幻想辞典 全創作鑑賞』(六興出版、1990年)
『「銀河鉄道の夜」探検ブック』(文藝春秋、1992年)
『美しき死の日のために 宮沢賢治の死生観』(学習研究社、1995年)
冒頭で紹介した文章は『わが心の宮沢賢治』(佼成出版社、1984年)に出てくる(83頁)。賢治熱が高じて、葉山町の山の中に家を建てた。そして、畑山はその家に“銀河鉄道始発駅”と名付けたのだ。庭にはプラットホームまで作ったという話もある。
銀河ステーションのある場所
前回の note で、銀河ステーションのある場所の候補として二つ紹介した。
[1] 「銀河ステーションはペルセウス座にある」という仮説:ジョバンニが車窓から見たたくさんの「りんどう」の花々を星団に見立て、それは「ペルセウス座」の二重星団であると考えたのである。
[2] 「銀河ステーションは種山ケ原にある」という仮説:種山ケ原は賢治の作品群から推察される賢治の心の故郷。この説の提唱者は寺門和夫(『[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート』青土社、2013年)と畑山博(『「銀河鉄道の夜」探検ブック』)の二人である。
今回の発見で3番目の候補として畑山博が建てた家、神奈川県葉山町の山の中腹“銀河鉄道始発駅”が加わったことになる。
銀河ステーションはたくさんある?
『銀河鉄道の夜』では、銀河ステーションはとても重要な場所である。何しろ、主人公のジョバンニが銀河鉄道に乗り込んだ駅だからだ。
そのため、宮沢賢治、『銀河鉄道の夜』、そして銀河ステーション。これら三つをキーワードにして考察を進めている人はたくさんいるに違いない。今回、たまたま畑山博の『わが心の宮沢賢治』(佼成出版社、1984年)を読んで銀河ステーションの3番目の候補を見つけることができた。この本は今から40年も前に出版されたものだ。神田神保町の古書店で見つけて買うことができたのは幸運だった。
それにしても畑山の熱量は凄い。銀河鉄道始発駅という名前の自宅を建ててしまったのだ。ひょっとしたら、他にも畑山のような人はいるかもしれない。ポツンと一軒家には注意を払う必要がありそうだ。
また、『銀河鉄道の夜』に出てくる風景に基づいてジオラマを作り、鉄道模型を走らせている人もいるかもしれない。銀河鉄道ごっこである。いや、鉄道「本気」ごっこか。
庭に銀河鉄道駅を作るのは大変だが、室内で小さなジオラマを作って遊ぶのは楽しそうだ。そこには、当然、小さな銀河ステーション駅が配置されているだろう。
こう考えると、銀河鉄道駅は思ったよりたくさん存在しているのかも知れない。うーん、困った。
追記:なお、畑山は2001年に逝去されました。銀河鉄道始発駅が現在、どうなっているのかは存じ上げておりません。どなたかに引き継がれて、残っているとよいですね。