「銀河のお話し」(14) 対話形式で銀河の解説を楽しむ
note「銀河のお話し」では、対話形式で銀河の解説を試みてみました。少し変わった趣向ですが、話し言葉で書いてみると、意外と楽しいことがわかりました。
普通の教科書や解説書だと、よくわかっていることを淡々と書き連ねていく形式になります。ところが、対話形式の場合、登場人物にさまざまな意見を出してもらえます。別に、間違った考え方でもよいのです。そのあと、議論をかわして正しい考え方に行きつけばよいからです。
実際、最近の本でも、入門書では対話形式が取られていることが多いようです。単なる解説に比べて、読者の理解にメリットがあると判断しているからだと思います。
対話形式の場合、誰が対話するかも重要です。一般的には先生と弟子、あるいは対立する意見を持つ専門家の場合が多いようです。しかし、この note では高校の天文部の部員に登場してもらうことにしました。三年生の部長は天文に詳しいが、一年生の部員はまだ詳しくはない。彼らの会話は、まさに先生と生徒の会話のようになるのです。
考えてみればギリシア時代の哲学書は先生と弟子の対話形式で書かれていることが多いです。たとえば、プラトン(紀元前427-紀元前347)の『ソクラテスの弁明』がその良い例です。また、中世時代の本にもそれが当てはまります。イタリアの自然哲学者ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の『天文対話』、『科学対話』、『新科学対話』などがそうです。
例として、同じくイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)の『無限、宇宙と諸世界について』から引用してみましょう。登場人物は四人。エルピーノ、フィロテオ、フラカストリオ、そしてブルキオです。彼らの会話の一部を紹介します。
エルピーノ 宇宙が無限だなどということがどうしてあり得ましょう?
フィロテオ 宇宙が有限だなどということがどうしてあり得ましょう?
エルピーノ この無限が証明されると思うのですか?フィロテオ この有限が証明されると思うのですか?
エルピーノ どのような拡がりなのだろう?
フィロテオ どのような縁に囲まれているのだろう?
フラカストリオ 要点を、要点を、どうぞ。あなた方は気を持たせすぎますよ。
ブルキオ 早くその理由を話しため、フィロテオ。君の言う君の言うおとぎ話やら空想やらを聞いて楽しみたいものだね。
(『無限、宇宙と諸世界について』清水純一 訳、岩波文庫、1982年、43-44頁)
私たちの住んでいる宇宙は無限に広いのか、それとも有限の大きさなのか。これはすぐには明確な答えがわかる問題ではありません。しかし、誰しも宇宙の大きさを知りたいのはやまやまです。読者は四人の会話から刺激を受けて、宇宙の大きさについて深く考えてみることになるのです。四百年以上も前に書かれた対話文が読者を宇宙論に誘なってくれるのだからすごいことです。
これらの本に出会った頃、なぜ対話形式なのかよくわかりませんでした。しかし、振り返ってみれば、これらの本は対話形式だからこそ、読みやすく、ポイントをつかみやすかったことに気づきました。そして、テンポの良い会話は、自分の問題として、「考える」きっかけを与えてくれていたのです。