仙台⇔いわき・青春18きっぷひとり旅「ここにいていい」
青春18きっぷ
自動車免許を取得した19歳の時からずっと、無計画な長距離ドライブひとり旅が好きで、連休がとれればいけるところまで行き、仕事に間に合うように戻ることを繰り返していました。東北6県ぐるり旅の他、前述の奈良への思い付きの旅や、ふらっと日本海を南下し瀬戸大橋を回って香川県でうどんを食べて帰ってきたり、岡山・広島の旅や名古屋・金沢・新潟・千葉あたりは複数往復しています。いずれも疲れたら適当に車中泊・漫画喫茶泊・ビジネスホテル泊での無計画な旅でした。
それが、新型ウイルス蔓延以降、出かけづらくなってしまいました。
理由としてはホテルがものすごく高くなった・当日ふらっと予約が取れなくなった・ガソリンが高くなった(ハイオク車のため影響が強い)・眼精疲労で長距離運転がしんどくなったことによります(老化!)。
そこでなんとなく、時々目にする青春18きっぷというものが気になっていました。商品名によらず年齢制限なく使用できるという知識しか無いまま、たまにはただ車窓を眺める旅もいいかもしれないと思い立ちました。調べてみると、その切符はちょうど販売期間で、7月20日から9月10日まで使用できるとのこと。思い立ったのは7月21日でした。そして翌日は休日でした。
その日の仕事帰りに早速みどりの窓口へ行き、切符を購入しました。そして翌日の早朝、始発で南下していたのでした。
海が見たい
クルマの旅と同様、目的地は特に決めず、ただ海を見たいなあと思いました。先日、KAGAYAさんという写真家の方の展覧会へ行き、海の中にある駅のホームの写真を見てからずっとそう思っていたのです。
それで、自分の住むところから一番近くの海岸沿いを走る路線に乗りました。早朝の駅はしずかでカラスがホームを歩いています。電車にのると車内はがらがらです。海が見たいので自分は西側の席に陣取りましたが、自分以外は全員東側に座っていました。理由はすぐわかりました。「朝日がまぶしい!」
意地になって5時間、西側の席に居ましたが、なんとほとんどの時間を気持ちよく眠ってしまい、海は一度も見られませんでした。
那珂湊駅
JR常磐線勝田駅から、ひたちなか海浜鉄道へ乗り換えて、那珂湊駅まで。この列車は1両編成で、窓にカーテンがついていてなんともレトロな雰囲気でした。とても嬉しくなって、この電車ではしっかり起きて海を見ることができました。立ち寄る駅はどれも無人駅で、何故だかわくわくして、幸せな気持ちになりました。
那珂湊駅で降りると、車掌さんがみずから列車を降りて安全確認をし、また列車に乗り込んで出発していきました。それを見送ってホームから駅舎へ入ると、わざわざ2名の駅員さんが出てきて出迎えてくれるのです。暖かい鉄道だなあと思いました。駅舎の中には木の椅子がたくさん並んでいて、懐かしい雰囲気がしました。
歩いて10分ほどの場所にあるお寿司屋さんに歩いて行きました。何度かクルマできたことのあるお店なので迷いませんでした。とてもおいしかった。帰りは太陽が真上に来ていて暑く、ちょうど時刻が合ったのでバスに乗ることにしました。
ところがバスがだいぶ遅れてきて、乗りたかった電車に乗れませんでした。
ここにいてもいい
次の電車が45分後でした。特に急ぐ目的もなかったので、反対方向の電車に乗ってみようかと思いましたが、そちらも60分後でした。大人しく、待合室で待っていることにしました。
この時間が、とても印象的な旅になりました。
外は炎天下で、駅舎の中は扇風機もなく、ぬるい風が入ってくるばかりでした。自分が椅子に座った直後、高校生と高齢の女性が入ってきて椅子に座りました。私は、こんな時のために持ってきていたノートに、この旅のことをメモしようと思いました。
書いていくうちに、私はそこに居て、居ないような、気持のいいような幸せのような、なんとも言えない心持ちになっていました。時間に追われず誰にも責められず、どこかが痛いことも無く不安があるわけでもない中で、書きたいことがたくさんあってペンが追いつかず、そこから目が離せないのに、遠くに聞こえるクルマの音と、歩行者信号のカッコウの音、今待合室にはいってきた人が切符を買っておつりが出てきた音がクリアに聞こえてきて、数人の人たちと、電車が来るまでの時間を、この待合室という空間で共有している。「私はいまここにいて、幸せなんだな」としみじみ胸がいっぱいになったのです。
裏を返せば私はいつでも、ここに居てはいけないと思っているのです。
それはカウンセラーに言わせれば、子供の頃に親が適切な愛情を示さなかったことが原因だといいます。自分でも、そうだろうなと思います。最も強烈に思い出せる原因とすれば、祖母の家に長期間預けられ、二度と向えに来てくれないのではないかと心配になって親に電話をしたとき、「おまえが居るせいでなにもかもがうまくいかないんだ。お願いだから一人にして」と電話を切られたことが上げられます。それから、家に一人で置いておかれて、1ヶ月ほど帰ってこなかったことがありました。「おまえを生むつもりは無かった」「おまえさえ居なければ」は飽きるほど言い聞かされました。いつでも怒っていて、少しでも触れると触るなと怒鳴る人でした。それだけの理由があれば、私がここにいてはいけないと思うのも当然だと思うのです。
大人になった今、そのことを理解しても、記憶は消えることはありません。都合のいいように解釈することもできません。心に刻まれた傷と、私がいるせいで迷惑になっているのだという考えは、取り払うことはできません。どんなに愛してくれる恋人ができても、優しい友人たちに恵まれても、会社でトップの成績を収めて表彰されても、何の意味も無く、私はここに居てはならないという事実は私の中から消えてはくれないのです。
もう、そういう努力はし尽くしました。
すべて、意味の無いことでした。
放浪していると不安と自由の中に居ることができる
いつでも不安の中に置かれたことが当たり前の子供時代から、必死に逃れようと働いて、働いて、気がつけば何の不安もない生活にたどり着いていました。経済的にも社会的にも。それなのに、なんとなく放浪したくなるのは、遠い見知らぬ土地でもんやりと不安に包まれるとき、少しだけ子供の頃に戻れることが心地いいからだという気がしています。私にとって、あの孤独で不安な時間が、他の幸せな人たちの言う「幸せな子供の瞬間」なのです。不安の中に戻ることの何が幸せなのだ?と理解されないとしても、私にとってはそれがノスタルジーであり、戻りたい場所なのです。
そして同時に、現在からの逃避であり、自由になれる時間なのです。
ふれあいたいハリネズミ
自分でもうまいこと書いたなあと思う記事があります。5年前です。
ふれあえないハリネズミ
ふれあいたい。ハリネズミだけどふれあえるようになりたいと思って努力を重ねてきました。いつかはそうなれると希望を重ねてきました。
でも、今はふれあえないハリネズミでいいやと思うのです。つまりただのハリネズミです。
私は明らかに人と違うからです。
幼少期に虐げられた経験のある人は、少数派であると思っています。
実際は分かりません。周囲に「私は虐げられてきました」とわざわざ言う人はいませんし、中にはまだ自覚の無い被虐経験者だっていると思うからです。どこからどこまでを「虐げられた」とするのかもわかりません。だから綿密に調べてしまえば実は多数派かもしれませんが、でも、人と暮らすことができているひとや人と暮らしたいと思うひとは、少なくとも多数派な人たちなんだろうなと想定しています。
私は人と暮らすことができると思って居ません。
人と同じ空間で呼吸をすることが怖いからです。空気の動きが自分以外によって動くことが怖く、緊張を解くことができないのです。
そんな私が、あの待合室で、人と一緒に居てその空間を心地よいと思えた。そのことが、とても幸せでした。そこで、電車を待つという同じ目的を持ちながら、各々が自由にしている。私も自由に時を書き留めている。それを俯瞰してみながら、今ここに居る私はここに居ていいんだ、と思えた経験がとても貴重なことでした。
あっという間にその時間は終わってしまって、この駅に降り立った時に出迎えてくれた駅員さんがやってきて、「お待たせしました。まもなく列車が参ります」と声をかけてくれました。なんて暖かい鉄道なんだろうと思いました。
またこの瞬間を味わうために、旅をしようと思いました。
のんびりしていたら電車を逃した。2時間暇になったので駅前の科学館とプラネタリウムに立ち寄りましたらとても楽しく、大人のくせにはしゃぎ回ってきました。人の目を気にしませんでした。ここでも、ここにいていいという魔法が残っていたと思います。
帰りの電車は時折窓に開ける海のパノラマにはっとしつつ、夕立の中、光る雷鳴を眺めながらの4時間でした。
心配していた通勤ラッシュに見舞われることはなく、むしろ常にガラガラで、そうか学生さんたちが夏休みの期間に利用する切符だもんね、と納得いたしました。
次はどこに行こうかな。
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