満月の夜話(13) - 満月を超える -
小さい頃の夏休みは叔父の家で過ごす事が多かった。叔父は住職だった。
住職にしては派手好きで、型破りな性格だったが、檀家にも人気があった。唱えるお経はリズムが美しく、そして説法にも説得力があった。
『人間は生まれるとすぐに死に向かいひたすら進み続ける、そしてそれを止める事は出来ないのです。そう、人間は誰しも死から逃げられないのです。まるで穴を落下し続けているのと同じように⋯⋯』
子どもの頃、お盆が過ぎた暑い日の法要にて、叔父のその説法を聞いた時、俺は疑問に思った。それをずっとずっと覚えていた⋯⋯。
俺が小学生の頃はファミコンが流行っていて、スーパーマリオブラザーズを毎日友達と一緒に興じた。ただ俺はその度に叔父の説法を思い返した。
叔父の説法の通りならば、マリオも死ぬしかないのか?
そもそもマリオが死んでしまう条件はいくつある?
クリボーなどの敵に当たる事や穴に落ちる事、これは事故死だ。
そしてタイムオーバー、これは寿命。
だが、スーパーマリオで遊ぶ際に考える事はマリオがどう死ぬかではない。
誰だってマリオが死なずにクリアする事を目指して遊ぶのだ。
この世に生まれた後は、人間は死ぬ事に向かい続ける?
本当にそうか?生きる事と死ぬ事、その二択なのだろうか?
スーパーマリオのように、この世は死なずにクリア出来るのではないか?
小学生の俺はそんな風に考え始めた。
「三つ子の魂なんとやら」俺は子どもの頃の考えを頭の隅っこの引き出しに仕舞ったまま、京都にある外国語大学に進学した。
ある日、新京極通りの古本屋でとても古い本に出会った。
浮世絵のような満月が描かれた表紙がとても美しい。そして、表紙のテイストに反して、内容は全て英語で書かれていた古い古い本だった。
パラパラと立ち読む、「Full Moon」という言葉が頻繁に書かれており、どうやら外国の満月に関する伝承が書かれているようだ。
大学での研究テーマ探しの一環として、俺はその本を購入した。
英語の成績は上々ゆえ大半は難なく解読出来たが、本の内容は満月に関する外国の凡庸な昔話ばかりだった。
しかし、最終章だけが非常に難解だった。古い表現や現代では使われていない単語については、他大学の図書館やゼミの教授を捕まえ、わずか7ページしかない最終章を3ヶ月も掛かって解読した。
最終章の内容を読み通した時、全ての毛穴に鳥肌が立ち上がった。
そして、幼い頃に叔父の寺で嗅いだ線香の匂いがツンと鼻に蘇った。
同時に、頭の隅っこの引き出しが、バァァンと勢い良く開いた音が響いた。
本当にあったのだ・・・この世をクリアする方法が。
長生きでもなく死ぬのでもない。この世には第三の選択肢、ゴールがある。
満月の夜に、神に真理・答えを提示する事??
この世の答えとは?それは何なのだ⋯⋯?
答えとはまではいかないが、俺はピンと来る事があった。
そう、それは昔からずっとずっと不思議に思っていた事⋯⋯
音楽家には夭逝の天才が多い事だった。
アイネクライネナハトムジークと作曲したクラシックの天才。
”ピストル”の名を持つグループのベーシスト。
盗んだバイクで走ったシンガーソングライター。
ピンクの髪をしたロックなギタリスト。
⋯⋯彼らは、もしかして、この世の答えに気付いたのではないか?
⋯⋯そして彼らは、この世をクリアしたのではないか?
そう思った俺は、この世をクリア出来る答えは"音楽"や”音符”の中にあるのではないかと考え、クリアを目指すためだけにバンドを始め、大学の勉強や就職活動、社会活動そっちのけで音楽に没頭した。
音楽はとにかく楽しかった。
表現の快楽、承認欲求の快楽、疲れの快楽、性の快楽⋯⋯全てがあった。
言葉で話すよりも文書で交流するよりも、音符で言ってくれた方が分かりやすいと思うほどゾーンに入る夜が何度もあった。
そうして俺は35歳を目前にしていた。
音楽活動を始めて15年間、ずっとずっと音楽の事しか考えなかった。
自身のバンドも、提供した楽曲もそれなりにヒットを飛ばし、贅を味わった。他者からは一生安泰の人生だと羨望されていたかもしれない。
だが、俺自身は1日たりとも忘れた事はない。
自分の目標を⋯⋯
それは紅白歌合戦に出場する事?
日本武道館で単独ライブを開催すること?
ビルボードのヒットチャート?
冗談じゃない、俺の目標はあくまでこの世をクリアする事だ。
俺は五線譜の中で常にそれしか目指さなかった。
そして、その瞬間は突然訪れた。
ある晩、次のアルバムの構成を考えるためにコーヒーの入ったマグカップを片手に、パソコンのモニタ上に音符を並べている時だった。
違和感、今まで数万回と繰り返したはずの作業の中で産まれた違和感。
その違和感のままに、いつもとは違う指を動かしキーボードを叩いてみる⋯⋯予想に反して、それは思い通りの不思議な楽譜になった。
見た事もない音符の連なりが出来上がったモニタを見てゾッと寒気がした。
音符、楽譜、ドレミ⋯⋯七音?シャープ?フラット?
これは?⋯⋯この考え方だと音が2倍にならないか?
2倍どころじゃ、2倍どころじゃない⋯⋯少なくとも5倍にはなる。
違う、違う。この理屈なら音の表現が無限に広がってしまう⋯⋯。
俺は震えながら、冷静さを取り戻すように何度も首を振った。
だがそれでも、どう考え直しても、俺が考えついた理屈は正しく思えた。
その時、俺は知った。この考えが五線譜の終着駅、世界の最果てだと。
この考えを使えば永久に飽きない音楽が作れるだろうし、少なくとも400年間は金に困らない音楽が作れる。そしてこれを使えば気に入った女性も一晩で落とせるだろうし、何なら一生眠らずに過ごせるかもしれない⋯⋯。
ついに見つけた。
間違いない、これ⋯⋯答えだ。
その答えとは、確かに音楽を通して考えると最も思い付きやすいかも知れない。だが、一度思い付いてしまえば簡単な事だった。どんな分野・職業・年齢・境遇に関係なく辿り着ける"答え"だろう。
なぜ自分は今まで思い付かなかったのかが不思議なくらいの考えだった。
俺はすぐさまスマホの上で指を動かし、次の満月を調べた。
その満月は8月20日、それは明日だった。
だが明日は雨⋯⋯月光が無い。
その次は9月18日。つまり次の満月まで1ヶ月もある。
俺はその間に、所有する有価証券や自作音楽の権利文書などを整理した。
多くの夭逝の天才がそうであるように、この世から自分が消えてしまう終活として、自分の部屋の目立つ引き出しに通帳やカード、その他貴重品をまとめて入れておいた。
そして来たるべき、夢が叶うその日を待った。
9月18日は蒸し暑かったが、快晴だった。
夕方、人生最後の買い物になる事を願って1冊のスケッチブックを買った。
そして、自分が閃いた答えを要約し、スケッチブックに大きく記した。
これ以上長くも出来ないし、短くも出来ない答えは、あっけなく1枚の画用紙の中に「●●●●●●●、●●●・●●●●●●●●42●●。」と、計24文字に収まった。
夜、光が丘公園には秋とは思えない生温い風が吹いていた。
公園内の見慣れた池は、月光を吸い込み白く光っている。
時刻は22時、芝生を踏みしめ、遮蔽物の無い芝生広場の中央を目指して静かに歩を進めた。
スケッチブックを持つ手に汗が滲む。
耳に聞こえる虫の声よりも心臓の音がうるさい。
意識的に不自然な息を吐く。まるで呼吸が整わない。
周囲に誰もいない事に不安と恐怖を感じながら、俺はようやく、ようやく今夜の満月を見上げた。
満を持して、全身にその月光を浴びる。
満月と自分の間には空気しかなかった。
そして震える手でスケッチブックを開き、月に向かって高々と掲げた。
「⋯⋯さぁ神よ、これが答えではないか?」
そう呟いた刹那、視界は一瞬にして真っ白になった。
そして、徐々に薄くなる白い靄の中から、人の形をした何かが現れた。
それはヒゲの神様ではなく、トランプのジョーカーみたいな存在だった。
ジョーカーは口を不気味に広げた後、妙に甲高い声でこう言った。
「ヌシよ、この世の答えを知ったヌシには2つの道が選べるゾ」
俺はその非現実的なジョーカーの存在と、『答え』というフレーズに対して、瞬間的にガッツポーズをとった。積年の夢が叶った瞬間だった。
「まだこの世で生きるのカ?それとも次の面・次のステージに行くカ?」
「次に行くに決まってる!!」
「分かっタ。だが、もう後戻りは出来ないゾ」
「後戻りなんてしない。俺はこの世を生きたままクリアしたい!」
「よし、それならばヌシの身体はこちらで処理スル」
「俺の身体、どうなるんです?」
「事故とか、自殺とかの不審死で処理される決まりダナ」
「そうですか⋯⋯?最後に父と母に⋯⋯」
「それは出来ない。ヌシはもう次のステージを選んダ」
最後に一言くらい、家族や友人、仲間に挨拶しておきたかった。
やっぱり手紙を書いておけば良かった。
だが後悔よりも、自分勝手な夢が実現した喜びの方が大きかった。
トランプのジョーカーは道を譲るようにスッと横に動くと、その先には小学校や中学校の校庭で見覚えがある旗の掲揚台があった。
「さぁ、その旗を降ろセ」
「え?」
「さっさとマリオがゴールした時にみたいに旗を降ろせヨ」
「あ、ゴールはマリオ方式なんだ」
俺は嬉々とした小走りで掲揚台へ向かい、ロープを掴みグイグイと引っ張って旗を降ろした。次の面にいける嬉しさで素早く、そしてクリアした喜びを噛みしめるようにじっくりと。
そして、旗を降ろしきった先には土管が見えた。
まるで本当にスーパーマリオだ。
振り返ると、まだ先ほどの場所にはジョーカーが立っていた。
俺は少し離れたジョーカーに声を張って尋ねた。
「ねぇ、次の面でもこの世の記憶を引き継げるの?」
「無理ダナ⋯⋯そもそもヌシはこの世が何面かを知るマイ」
「?」
「この世は1−1かも知れないし、5−4かも知れないダロ」
「どういう事?」
「お前はこの世に生まれた時、記憶を持って生まれたカ?」
「そっか、この世が何ステージ目かは教えてくれないんだ?」
「あぁ、教えられない決まりダ」
「でも次があるってことは、この世は最終ステージじゃないって事?」
「⋯⋯」
「とりあえず次のステージではイチからやり直しかぁ」
「そういう事ダナ、ただし・・・」
「ただし?・・・何?」
「お前のタマシイは変わらない。だから次の面でもお前らしく頑張レ」
「ありがとう、やってみる。次の人生でも」
「ん?次も人生とは限らないゾ」
「どういう事?」
「イカかも知れんし、ポニーかも知れないという意味ダ」
「あぁ〜、もしかして地球じゃないかもしれない?」
「さぁナ」
「でも魂が変わらないなら、自分なんでしょ?」
「⋯⋯さぁナ」
俺が左の口角をわざとらしく上げて笑うと、ジョーカーも少し笑った気がした。俺は軽く右手を上げて感謝を伝えると、ジョーカーに背を向ける。
そして、真っ直ぐ土管に向かってゆっくりと歩き始めた。
父よ、母よ。世話になった友よ。
俺はこの満月を超えて、次のステージに行き、生きるよ。
この世からはいなくなるけど、決して死んではいないから。
勝手かもしれないけど、あまり悲しまないでください。
また、どこかのステージで会いましょう。
俺は空に浮かぶ満月に右手を突き上げて、土管の上に立った。
(了)
長ったらしいものをお読み頂きありがとうございました。
完全にフィクションで、途中の英語も適当です。
次の満月は10月17日(木)らしいです。
今回のは以下の記事をベースにしています。どうしても書きたかったので。
2か月前のコレに対するディスでもあります。