マスクのおかげで笑わなくてよくなった
アフターコロナの必需品でもある、マスク。これから先もマスクをつけるのが当たり前、みたいな生活になるのだ。
今までだって用心深い人はマスクを着けていたけど、どちらかと言えばわたしはマスクはつけたい方ではなかった。
不織布マスクは皮膚に擦れて痒いし、ゴムで耳は痛くなるし、鼻や頬に当たる部分にファンデーションがつくのが嫌だった。
だけど、マスク生活が始まって、なるほどこれはいいと感じた部分がある。
顔の半分が隠されていることで、表情が分かりにくくなり、必要のないコミュニケーションを取らすに済んでいるのだ。
それは、笑っていなくてもいい、ということ。
古来から日本人女性が求められてきた『見るひとを癒す笑顔』から解放された。
笑顔を構成する上で最も重要だと思われる口元が隠されていることにより、笑顔を作っているかを見極める判断材料がなくなった。
笑顔でいなくても良くなって、自然と無表情でいる時間が長くなったことで気づいたことがある。
笑顔を作らされていたということ。女は愛嬌とかいう抑圧にいかにしたがっていたかということ。わたしの笑顔はわたしのものなのに、誰かのものになってしまっていたこと。
素のままでいられる方が、自分らしくあれるということ。
そもそも笑顔は必要なもので、いいものだと思う。心理学でも、笑顔になることで幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが分泌し、多幸感やストレスの軽減の効果が得られるのである。
そんな素敵なものだったのに、笑顔の強制によってわたしたちはストレスを感じていた。
一人だけの部屋で顔面に張り付いた笑顔から解放され、無の時間をつくることがストレス解消であった。
コロナ禍という思わぬ形でマスクが日常化したことで、わたしは本来の笑顔の効果を取り戻すことができた。
本当に笑いたいことで笑い、笑わなくてもいいときは笑わない。笑顔で媚びを作らなくなったことで、誰かに頼らなくても生きていけると自己肯定感があがった。
それから、マスクをすることでお化粧も手を抜くようになった。
1か月半の長いニート生活で見慣れたお蔭て、すっかりすっぴんの自分に満足していた。バイトが再開して毎日お化粧する生活も再び始まったが、前述した通りマスクの内側にファンデーションが着くのが嫌なのだ。
だから、マスクから出ている部分、顔の上部分だけにメイクをするようになった。どうせ外でもマスクははずさないのだ。前髪もおろして眉毛のしたあたりまで伸びているからわたしの顔面はかなり隠されている。
勝手に美人とかそうではないとかジャッジされる心配もない。
海外の女性は普段はノーメイク、またはほぼそれに近い状態で過ごし、特別な日にだけ思う存分にオシャレするのだそうだ。
それは、自分のための化粧、自分のためのファッション、自分のためのオシャレなのである。
なんて自由なんだろう。
いつか、マスクを外しても、こんな風にお気楽に、自分の好きにオシャレも楽しめる世の中がきたらいいなと思う。