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低め安定の概念

躁鬱病を治療していくにあたって繰り返し促されり言葉がある。

「低め安定を目指そう」
という言葉だ。
きっとこの言葉が示唆しているのは、軽躁状態は安定状態ではないよ〜
だからって鬱状態は苦しいからそれより浮上した気分をキープさせようね〜ということだと思う。あくまで感覚になるけれども。

そしてその中で言葉の中に包括されている受け取ったイメージを具現化すると、落ち着いた淡々としている人物に近づいていくことを想像した。


しかし、果たしてそれは日々の生活を送るにあたって可能だろうか。

それは特定の刺激が少ない仕事につくか、安定したパートナーや友人、又は家族を得ている状態ではないと難しく感じる。

それを考慮すると日々実現している気分障害を持っていない方々はどれぐらいの人が実現出来ているだろうか。

主治医や治療に関する批判的な意見になってしまうかも知れない。申し訳ない。ただ、この言葉がどうしても現実的に容易と感じ得ないことを伝えたい。

なので「低め安定を目指す」の概念は大変なことを踏まえ

「高い時と低い時を自覚できるようにし、その都度自身で調節出来ることを目指す」

ではダメだろうか?

もしかして深読みをしていたら、私の取り越し苦労であるが、言葉は自身へのブーメランナイフにもなる。少しだけ、考えた話であった。


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