蕎麦とうどんと私
50歳以上の方、もしくはそれに準じる年齢の方にしか
分かり得ないタイトルではありますが、ええ、そうです。
1992年春、2度目の修学旅行を棄権した僕は学校に
通常通り登校し、誰もいない教室で1人課題をしていました。
登校時、少ないとはいえ下級生が一緒ですが下校時は
下級生よりも早い時間なので周りに誰もいない通学路は
とても変な気持ちでした。
自宅最寄りの駅に着いて、駅前のコンビニに入ります。
店内でU-SENが流れています。
またこの曲が流れてる。
慌てて店外に出て、公衆電話で104に電話してU-SENに
電話します。
チャンネルを訊かれるのですが、分かりません。
「ちょっと待っててください。」
受話器を横にして、店内へ戻ります。
「すいません。このチャンネルは何番ですか?」
訊いて公衆電話に戻り受話器を掴んで伝えます。
全然違う曲名が伝えられます。
何曲前かなんて知りません。
そんなことを数回行いました。
そんな時代もあったのですよ。
今にはない喜びが会った時代です。
今には必要ない屈辱もありましたが、それは割愛します。
「部屋とYシャツと私ですね。」
何回目かでようやく曲名を知ることが出来ました。
歌詞とか興味あることもありますが、基本第一印象と声力で
しょうか。
僕の場合。
その歌い手の声の耳障りが僕には大事です。
そして、CDを買いました。
曲名も知らず、歌手名も知らず、だけどその曲が欲しいから
勘で買った一度だけ確認で聴いただけのCD、まだ自室に
残っています。
処分する理由が見つからなくて、なので、そのままです。
蕎麦を想うと、その頃を思い出します。
蕎麦について自分なりに思い始めたのは18歳になります。
歯医者であったり病院であったりの待合室に置いてある
週刊誌をいつも楽しみにしていました。
中身ではありません。
後部見開き2ページほどの連載が好きだったのです。
新しいにのに入れ替わった頃、古くなったそれをもらったり、
新しいのであれば、メモ帳に電話番号と住所を控えたり
しました。
15歳から始めた減量のせいで、他の周りとは違う感覚に
なっていました。
ファイトマネーでもらう僅かなお金を握り、試合後は
1週間外食を楽しみました。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。