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もう一つのオリエンタリズム:「イスラーム的オリエンタリズム」の超克

オリエンタリズム化する世界

エドワード・サイードが、主著『オリエンタリズム』(1978年)の中で、学問の堕落と、オリエンタリズムの蔓延の危機に警鐘を鳴らしてから半世紀がたとうとしている。
その中で、人類の学問的営為にとって「オリエンタリズム的区別」は、避けがたいものであり、「東と西」にとどまらず、さまざまな区別が存在すると彼は指摘していた。たとえば、「持てる者と持たざる者」、「帝国主義と反帝国主義」、「白人と有色人種」、それらに加え、一連の強力な政治的現実、究極的にはイデオロギー的現実が充満しているとも[1]。
彼は、「いかなる犠牲を払っても、東洋を繰り返し「オリエンタリズム化」することは避けねばならない」[2]と主張したが、それも虚しく、「東洋」のいや、「世界」のそこかしこで「オリエンタリズム化」が止まらない。差異あるところに利益ありとして世界中に差異から利潤を稼ぎ出そうとするグローバル経済の要請も相俟って、再生産のプロセスが稼働し続けているのだ。

欲望という名の共犯者

そこでは、自分たちとは異質のものとみなされる「彼ら」と「われわれ」が区別され、「われわれ」は「彼ら」に対して断固たる敵対者の立場をとり、「彼ら」を陰に陽に支配し、「隷属」さえ強いる。たとえば戦争。20世紀に、数十万から数百万人もの人命に犠牲を強いたことは記憶に新しい。そこにいるのは、人間ではない。敵「彼ら」と味方「われわれ」いう2種類の人類だ。敵対意識を煽られ、あったはずの違和感はすべて封印される。資本主義にとって格好の草刈り場だ。草も生えないほどに武器を送り破壊を繰り返してもなお、やめようとしない。
たとえば、内戦。同じ国内の部族同士が殺し合う。これもまた「彼ら」と「われわれ」の戦いだ。ルワンダ内戦のフツ族大統領搭乗機の撃墜事件報道がナショナリズム感情をあおった。4カ月で少数派ツチ族に80万人の犠牲者だ。たとえば、移民排斥。欧州各国では右派政党が急躍進を遂げている。これもまた「彼ら」と「われわれ」の戦い。民主主義国家と呼ばれる国家内にもまた「彼ら」と「われわれ」の分裂、対立が、顕著だ。そこには、むしろ意図的に差異を創り出し、マスメディアのみならずSNSなどパーソナルメディアを通じて波状的な拡散で累乗的な拡大をはかり、いよいよ膨れ上がった差異から利益を吸い取り尽くす利潤第一主義が見え隠れする。

ここにも「彼ら」と「われわれ」

こうして、エドワード・サイードの「オリエント」のオリエンタリズム化阻止の願いは、裏切られた格好だが、それをすべてサイードの言う「オリエンタリズム化」の戦果と捉えるのは、行き過ぎがあるように思われる。
人々を「彼ら」と「われわれ」に区別し、われわれ以外をすべて闘いの対象とする考え方が、実は、「オリエント」の内部にも存在していたのである。
イスラームにおける、「不信心者」と「信者」の区分は、信者に絶対的な正義を、不信心者には悪のみを置く構造を生んでいる。そして、不信心者に対する対応は、聖典クルアーンに由来するがゆえに、絶対的な命令として受け取られてしまう。ただ、ここで気を付けておきたいのが、それらの命令は、あるいは、具体的な判断は、その大部分が、アッラーが直接下したものでも、預言者ムハンマドによるものでもなく、人間の「解釈」によるものだということ。それは、シャリーアに適った判断とされるが、人間による解釈の結果であるということ。これらの判断の総体をフィクフというが、フィクフの原義は「理解」、つまり、人間がアッラーのコトバをある状況の中で理解した結果に過ぎないということだ。

イスラーム的オリエンタリズム

ムスリムの歴史的には、不信心者との戦いはタブークの戦いをもって終了し、クルアーンにも、ムハンマドの言葉にもあるように、小ジハードは大ジハードに変わるはずのものであるが、あれから千四百年をへてもなお、ジハードと称した信者であるなしにかかわらず、残念ながら、無辜の人々の命を奪う暴力行為が断続的に続いている。
これは、「われわれ」以外を「敵」とみなし、攻撃の対象とすることの正当化が、人間の「解釈」によって示され、それを「聖法(シャリーア)」として、至上の規範にしてしまうことによる。
「オリエンタリズム」とは本来、西洋が東洋を「他者化」するために生み出した知の枠組みである。しかし、ここで論じる「イスラーム的オリエンタリズム」とは、「東洋」の内部から外部へ向けても信者と不信心者を峻別し、ムスリムの社会規範として固定化しようとする言説であり、目的意識のことである。「オリエンタリズム的他者」は、世界中に存在する。信者同士の間にこのオリエンタリズムが発動されることもある。
となると、そこに「オリエンタリズム」の言説が発見されるはるか昔から、オリエンタリズム以上の「イスラーム的オリエンタリズム」とでも呼びうるものを見出すことができるのではないか。中東で戦争が絶えず、イスラーム圏で旧態然とした文化的慣行が拘束力のある宗教的規範として残存し、多くの場合、人々がそれをアッラーからの命令だと勘違いする。
このイスラーム的オリエンタリズムの嘆かわしい現状に輪をかけているのは、政治的権威に守られながら、継続する「イスラーム的オリエンタリズム」をいわば内発的、制度的な再生産だ。異教徒に限らず、女性や女性の社会的役割等に対して固定観念を醸成し、社会の統合の原理として機能しているかのように見えてしまっている。サイードは、十分に分析の俎上に上していないが、オリエントはこうして自らが作り出したオリエンタリズムを無自覚により強固な形で拡大再生産し続けているのだ。

「イジュディハード」を知っていますか?

「オリエンタリズムは言説である。」大命題である。イスラーム的オリエンタリズムを超克を構想する際にも大きなヒントになる。まず、言語。アラビア語の言語的特質を明らかにする。コントラストの言語とすることができるが、その特質を理解するためには、その対極にあると考えられるグラデーションの言語の代表格、日本語との比較は多くの示唆をもたらすはずだ。
次に、言説。イスラーム的オリエンタリズムの言説の中心は、啓示である。アラビア語で下され、他の言語への翻訳を許さない、確固たる明文を擁する。しかし、実際に、明文の運用となると、明文からの人間の手による解釈を通じた法規定が用いられる。そして、その解釈が、あろうことから、先例拘束性を有しているかのごとき状況である。個別の事例に寄り添い、その一つ一つに対して法発見を行なうのが、イスラーム法を伝統と慣習による拘束から救う「イジュティハード(シャリーアに適った法発見の努力)というイスラーム法の生命線である。

瀕死のイスラーム法

イジュティハードについては、その実施が凍結されて実は久しい。とされていた。オリエンタリスト、シャハトが指摘し、その後世界的な通説となった「イジュティハードの門の閉鎖」という事態である。すでに、ヒジュラ暦の4世紀のはじめごろ(アッバース朝の前期)には、出されるべき解釈は出そろったとして、門は閉鎖されたと主張したのが、オリエンタリスト、シャハトであった。その後、この世界的通説をワーイル・ハッラークは、世紀に一人とされる大ムジュタヒド(イジュティハードを行なう学者)が繰り返し登場している事実をもって、実証的に覆した[3]。さらに、奥田は、この閉鎖によって、逆に、方法論的な発展の扉が開いたとみることができるとした。
しかしながら、ハッラークによって指摘されたイジュティハードの門の開放も16世紀までのことであり、その後については、イスラーム世界全体としての、イスラーム法の発展は、植民地支配、列強の進出、安定しない域内情勢、地域間差異の拡大など、阻害要因に阻まれている。20億人とされる信徒のイスラーム共同体が国境によって、あるいは、文化的、社会的、経済的、軍事的な境界に分断される状況下、停滞状況に甘んじている。

聖典解釈の刷新

しかしながら、いや、こうした状況だからこそ、今、法解釈の源泉となっているクルアーンの明文の解釈自体の刷新が求められてはいないか。
たとえば、イスラームへのダアワの精髄と言えば、「イスラーム」を軸に論じられてきた。イスラームとは何かから始まって、イスラームの中心的話題であるシャリーアの特質のみならず、具体的な諸規定やその有効性について説き、イスラーム教のなること、あるいは、そうであることが、いかに立法者たるアッラーの命に即しているかを語っていた。ところが、そこには、イスラームと並ぶこの教えの柱である、イーマーンは、イフサーンについての言及は、限られていて、しかも、イスラームとの連携も見えてこない。それは、イーマーンの領域にも神学派があって独自の学問体系があり、イフサーンに至っては、スーフィズムの領域に押し込められ、むしろシャリーアと対立するものとして扱われることもあるという事情がある。
だからこそ、この3者の有機的に結び直す。たとえば、イスラームの基礎にイーマーンを据え、イーマーンに根差しているからこそ、イスラーム的義務の履行を超えてイフサーンの善行につながり、その輪はやがて信仰の違いを超えて広がっていくというような連携である。こうした連携が、聖典解釈の新たな地平を開くための第一歩となる。

万有の主の教え

また、イスラームは、先行する諸宗教、諸信仰のみならず、ギリシャ哲学や当時の先端的科学的知見を旺盛に取り入れて発展してきた。したがって、今日、知の体系を再構築する際にも、ユダヤ教、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教などの思想との対話を通じて、新たな知の融合を目指すべきであろう。
特に、仏教の密教に見られる「空」の思想は、イスラームの絶対的な「有」の思想の説明と理解に大きな役割を果たすものと考えられる[4]。
こうして、3本の柱の有機的連携のみならず、諸宗教、諸思想、諸科学の叡智や知見も踏まえたうえで、より開かれた形の、そしてより包括的な刷新へとつなげることが、人間の手によって実現できるはずだ。硬直化を招いたのも人間、それに再び命を与えることができるのも人間だからだ。

オリエンタリズムの超克

サイードは、かつて「(オリエンタリズムによる)「オリエント」がなければ、学者や批評家、知識人、そして人類は、人種的・民族的・国民的区別以上に、人間社会を進歩させるという共通の企ての方を重要視するようになるだろう」[5]としていた。翻って、「イスラーム的オリエンタリズム」の場合はどうか。「オリエント」がなくなれば、待っているのは、究極の自己否定だ。
しかし、それは同時に、「人間の復活」だ。幾重にも区別され、それぞれの枠の中に押し込められていた人間たちが解放される。そして、まず人間であること、自分自身であること、さらに、アッラーの僕として直接的に人間としての務めを果たすために生まれてきたことを再確認するはずだ。
人間が取り戻される!
そうすれば、イスラーム的オリエンタリズムは解消され、人々は他の何ものでもない、ただ、人間として直接創造主と向き合うことができるようになる。
だからこそ、イスラーム的知の根幹をなす聖典解釈の全面的な刷新が求められている。しかしそれは単なるテキストの再解釈ではない。実践的な知の変革として教育制度、宗教的な議論の場、さらには日常の倫理観のレベルをも巻き込む必要がある。つまり、人類のすべての「知」を投入した、すべての人のすべての状況に即した新たな創造的解釈が求められているのだ。万有の主、アッラーは、すべてを御存知。アッラーフ・アアラム。


脚注

[1] Edward W. Said, "Orientalism", Penguin Books, ©1978, p. 327.
[2] Edward W. Said, "Orientalism", Penguin Books, ©1978, p. 328.
[3] ワーイル・ハッラーク著『イジュティハードの門は閉じたのか : イスラーム法の歴史と理論;』(奥田敦編訳)慶應義塾大学出版会, 2003.9, 特に第1論文。
[4] 奥田敦「「唯一」と「空」:イスラームと仏教の間」
  奥田敦「偶像崇拝に見えたとしても:立体曼荼羅とイスラーム」
  奥田敦「曼荼羅がつなぐ二つの神秘主義」
[5] エドワード・サイード『オリエンタリズム』(監修:板垣雄三・杉田英明、訳者:今沢紀子)平凡社、1986年平凡社、331頁、下段。

参考文献:

・Edward W. Said, "Orientalism", Penguin Books, ©1978
・エドワード・サイード『オリエンタリズム』(監修:板垣雄三・杉田英明、訳者:今沢紀子)平凡社、1986年
・ワーイル・ハッラーク著『イジュティハードの門は閉じたのか : イスラーム法の歴史と理論;』(奥田敦編訳)慶應義塾大学出版会, 2003.9

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タイトル画像:

テオドール・シャセリオー - scan of painting, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6671611による


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