選挙前、「法の支配」を支える仕組みを中学教科書で簡単に確認しておく
国王に権力が集中すると…
衆議院選挙が1週間後に迫っている。今週は、中学校の『公民』の教科書に基づきながら、法の支配を支える仕組みがどのように説明されているのかを見ていきたい。
まずは、下の口絵に注目。突っ込みどころを考えてみよう。(筆者の撮った写真の画像と使っているため波を打っていてごめんなさい)
法の支配を支える基礎は「権力の分立」にあるとして、なぜそれが必要なのかを生徒たちに喚起する4コマイラスト。
①国王に権力が集中している。そこで国王がやったことというのが、②親族に有利な法律の制定。つまり立法権が国王にあるということ。それだけでなく、③国王の友人には裁判で有利な判決を出す。なるほど、司法権も国王が握っている。そして、その結果、④国民は困っています。
さて、「親族」と「友人」のところを、たとえば、「お金持ち」「富裕層」あるいは「国王自身」に置き換えてもこのお話は、「国王」でなくても、このごろの日本ではよく耳にするようなお話になる。
それでも国民は困っている
つまり、「国王」に権力が集中していなくても、そう、たとえば、国王の代わりに「政治家」としても、富裕層が優遇され、国民が困っている状況が生まれてしまうということだ。そうであるならば、「国民が困っている」ことに、三権分立のあるなしは、かかわりがないということになる。
ところで、教科書によれば、「国民主権の下では、政治の在り方を最終的に決定するのは国民」ではあるが、いちいちに国民投票を行なうのは非現実的だから、「あらかじめ国民の意思を憲法に示し、憲法にのっとって権限を行使させること」にしたのである。つまり、法の支配。しかし、「国民は困っている」のだ。
原因はいったい何なのか、実は、「法の支配」の名の下で、イラストにあるような権力の独占が、民主主義、国民主権の御旗の下で事実上行われているということになる。そうでなければ、国民は困っていることの説明がつかない。
三権は抑制し合うも…
そこで、下の図を見てほしい。三権の相互関係を示したトライアングル。権力乱用を抑制しあって、権力の暴走を防ぐために重要だと説明されている。
ここで注目しておきたいのは、3権が分立していても困ってしまう国民の、三権に対するかかわりあい方です。
「権力の分立が十分に働かないときには、国民の出番です」と教科書は教える。
そのうえで、まず立法権(国会)に対する国民の出番は「選挙」。「国民は不適格な国会議員を選挙で交代させることができます」と教科書は言うが、交代は、この表現が言うほど簡単ではない。
行政権(内閣)に対する国民の出番は「世論」。世論が自分の意見を代表しているかどうかなど、何の保証もない。世論自体にもばらつきがある。
そこで、内閣に対しては「内閣総理大臣(首相)は国会で選びますから、国民は、国会を通じて内閣をコントロールできます」と教科書。この「出番」はいただけない。遠すぎる。
司法権(裁判所)に対する国民の出番は「国民審査」。「最高裁判所の裁判官には、国民審査が行われます」と教科書。これまで25回の国民審査で罷免された裁判官は一人もいない。国民の認知度はいかばかりか。
あなたは責任をとれますか?
このように、国民が三権分立の抑制の蚊帳の外に置かれている状況やよく表れている。教科書は、これがほんとうに、国民からの権力の抑制になっていると考えているのか。首をひねらざるを得ないが、これが、日本的民主主義、法の支配の実相だと言えそうだ。国民主権は、ここでも有名無実だ。
それにもかかわらず、「法の支配を支える仕組み」の節の最後の文章にはこうる。
「権力の濫用を防ぐ最終的な責任は、国民にあるのです。」
これは酷い。蚊帳の外に置いておいておきながら最終的な責任は国民にあるというのだ。
長年にわたる失政・悪政。経済的にも政治的にも社会的にも「法の下の平等」を実現目標に掲げる憲法下にあるとは信じがたい、不平等、不公正を助長してきたのも国民の責任。政治とカネ、政治と教団の闇が深くなるばかりの政治をめぐる状況を生み出したのも国民の責任なのか。国民主権の蹂躙にもほどがある。まさに憲法違反である。
日本国憲法の目標を着実に実現していく
困っているのは今。圧倒的な超高齢化社会においてなお、戦争放棄を放棄した軍拡ありきの「日本創生」などという悪夢に付き合ってはいられない。
つまり、権力分立論では、国民の暮らしを、主権を、民主主義を守ることは難しいということ。政治の在り方を最終的に決め、最終的に責任をとる立場にある「国民」が不在の三権分立論の制度疲労が甚だしいということでもあろう。代わるものを探すのか、それとも、様々な癒着を取り除いて、疲労を緩和の応急措置をとるのか。国民主権がますます危機に立たされていることと、日本の中学生たちが政治に対する当事者意識を醸成できなことだけは間違いがなさそうだ。憲法を変えることより、現行の日本国憲法が定める国民の諸権利が、国民が背負う責任に見合う形でまずは十分に実現されることが優先されてしかるべき。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。
参考・引用文献
『社会科 中学生の公民社会:よりよい社会を目指して』令和2年検定済,帝国書院,2023年。
タイトル画像:
『社会科 中学生の公民社会:よりよい社会を目指して』令和2年検定済,帝国書院,2023年, 60頁、イラスト(部分)