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「教えとしてのイスラーム」とは何か

3つのイスラーム

イスラームおよびイスラームのかかわる宗教・信仰・法、政治、経済、文化、社会などを調査し、研究し、理解し、伝えようようとする際、イスラームが、3つからなることを知っておいてほしい。
イスラームで3つなどと言えば、「3ではない、1だ」なんて声が返ってきそうだが、ここでは、3つであることに、重要な意味がある。それだったら「イーマーン」「イスラーム」「イフサーン」の3つ、つまり「信仰」「帰依」「善行」を想起する向きもあるかとは思うが、それらは、イスラームの信徒にとっての信仰の具体的な中身の柱。
ここでの3つというのは、イスラームおよびイスラームのかかわる物心両面における諸事象を捉える際に切り分けておくことを強く勧める3つである。報道などによって「伝えられるイスラーム」、目で確かめることによる「現実のイスラーム」、アッラーのコトバが示す「教えとしてのイスラーム」の3つである。この3つの区別を踏まえて、はじめて、イスラームおよびその諸事象に対する把握は、然るべきプラットフォームを得ることになる。

報道のレベルのイスラーム

伝えられたイスラームが、どれほどバイアスのかかったものであるのかは、この分野の古典的名著、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」が400年ほどの期間を丁寧にたどり、具体例を詳細に示して読み手に理解の手がかりを与えてくれる。このレベルのイスラームはまさに、非オリエントがオリエントを理解し、支配し、ときに操作するための様式として定型的に反復して用いられ、実はそんなことはないのに、非オリエントの側は――ことによると、オリエントの側までもが――扇動され、操作され、動員させられるという事態に陥る。イスラームと聞けばテロリスト、原理主義と聞けばイスラーム原理主義を真っ先に想起するなどはその典型であろう。ハリウッドの映画でも、ちょっと古いが「アイアンマン」。勧善懲悪ものにあってはとりわけ、砂漠、ターバン、アラビア語は、テロリストの表象であり、それがオリエントの側にも刷り込まれる。SNS上にデマやフェイクが闊歩する現在にあっては、報道などによって伝えられるイスラームは、それはそれとして置き場所を確保しておく必要がある。

現実のレベルのイスラーム

イスラームと言えば、それこそ伝えられるレベルのイスラームの影響もあって、「厳格」「狂信的」「後進的」などのイメージがついて回るかもしれない。しかしながら、実際に、イスラーム教徒を友人に持つなり、ムスリムたちが大多数を占める国や地域に出かけてみると、言われているほどでも、思っていたほどでもないということがしばしばおこる。筆者がかつて在外研究で6年近く住んでいたシリアのアレッポ。客人をとにかく大切にする歓待の土地柄ということもあって、少なくとも知り合った人々の多くは寛容で、敬虔な人たちにも多くめぐり合ったけれど、決して狂信的ではなく、誠実で、厳しい体制下にありながらも批判精神も、新しいものに対する興味も絶やさなかった。とはいえ、伝えられるレベルのイスラームのイメージ捉えられていると、ムスリムの友人を持ち、イスラーム圏への旅行へ出かけるということもないかもしれない。となると、伝えられるイスラームのイメージを打破するチャンスも生まれないかもしれない。ここで、現実のレベルのイスラームとして説明したのは、伝えられるレベルのイスラームとのギャップの問題だが、現実のレベルのイスラームには、もう一つ厄介なギャップがある。

裏切られる教え

それは、「教えのレベルのイスラーム」とのギャップである。アッラーの言葉をムハンマドが伝えた《クルアーン》によれば、イスラームの信徒たちの共同体「ウンマ」は中正の共同体であり、ムハンマドの言葉によれば、それは、人間の身体と同様で、どこか一部分でも傷つけば、全体が痛みを共有する共同体だという。仮にこれが教えのレベルのイスラームの規範だとしたとき、パレスチナの人々が、ガザであるいは西岸で、八方ふさがりの中でイスラエル軍からの東京大空襲を思わせるような集中攻撃を連日のように浴びせ続けられているというのに、自分も含め、手をこまねいてこれを傍観するしかない。
ウンマが一つ(もちろん、もはやウンマを束ねる統治機構は存在しないのだから、観念上のものでしかないのだが)とはとても言いかねる状況が、放置され、直近の昨年の10月7日以降の攻撃以降いたずらに時だけが過ぎもうすぐ1年。その間の犠牲者は4万人を超えた。それどころか、イスラエルには、隣国レバノンに対して宣戦布告と受け取られるような状況さえ生じており、戦火の拡大へ一発触発の状況だ。
各国ともそれぞれの事情の中にあって、ウンマとしての足並みなどあったものではない。それが、現実のイスラームの姿なのであり、教えのレベルとのギャップは広がるばかりである。

「教え」とは

教えのレベルのイスラームとはいったい何なのか。「教え」とは何とも曖昧な言葉だが、イスラームにはクルアーンという神のコトバが、大天使ジブリールを通じてムハンマドに降され、それが、ムハンマドの没後、本としてまとめられた。ムハンマドに下された啓示がいわばそのまま本になっているのである。アラビア語のその本のみがまさに書冊としてのクルアーンであって、外国語に訳されると、それは注解扱いで、クルアーンそのものではない。訳されたとたんに聖典であることをやめてしまう。アッラーのコトバなのだから、それは読むべきものとして信者たちとともに未来永劫残り続けるのである。しかも、イスラーム法的に言えば、このクルアーンと預言者ムハンマドの言行が、現世および来世に関する数多の法規範の「源泉」になるのだ。このクルアーンとムハンマドの言行録たるハディースの存在によって、そこには、明確に「教えのレベル」と呼びうるようなテキスト群が存在するのだ。

「神の法」か「人の法」か

しかし、クルアーンの一つ一つの聖句やムハンマドの言行は、法律の条文の形で下されたり、伝えられたりしていない。もちろん、聖句の中には、命令や義務を表しているものもある。とはいえ、それが具体的なルールとして人間に提示されるまでには、人間による解釈、つまり人間の側からの法の発見がどうしても必要になる。そうであるとするのなら、イスラームで「教えのレベル」などというと、アッラーが与えた定言命令のセットのように思われるかもしれないが、実際には、解釈者の解釈を通じて初めて規範がもたらされるのだ。つまり、アッラーを立法者とするという定義しえたとしても、そこには人間の解釈に強く依存した規範が生まれることになる。したがって、法の適用までをも視野に入れたとき、イスラーム法は決して「神の法」ではない。クルアーンとスンナを源泉として、何を根拠とし、何を法規として抽出するのかは、ひとえに解釈者にかかっているのだ。よって、イスラーム法は、きわめて人間的なのであり、人間によって発見される法規の集まり、つまり「人の法」なのである。となれば、クルアーンにしても、ムハンマドの言行にしてもそれらは「無謬」ということになっているのだが、人の解釈をへて作られた規範は、当然そこには恣意性が入り込む危険が常に潜んでいる、いやどうしても恣意的にならざるを得ないとみておいた方がよい。

豚はタブーか?

「イスラーム教徒にとって豚はタブーで、ヒンドゥー教徒にとっては牛がタブー」。もっともらしい言説だが、実は、両者の間には微妙な開きがある。注意が必要だ。とりあえず、根拠を見ておこう。イスラーム教徒が豚を避けるのは、クルアーンにそう降されているからではない。聖典の該当箇所を確認しておこう。

《言ってやるがいい。「わたしに啓示されたものには、食べ度いのに食べることを禁じられたものはない。只死肉、流れ出る血、豚肉――それは不浄 である――とアッラー以外の名が唱えられたものは除かれる。だが止むを得ず、また違犯の意思なく法(のり)を越えないものは、本当にあなたの主は、寛容にして慈悲深くあられる。」》

《聖典クルアーン》家畜章145節、日本ムスリム協会訳

「豚肉」がなぜ禁じられるのかと言えば、それは「不浄だから」となっている。「不浄」の元の言葉は、「リジュス رِجْس 」である。「不浄」というと宗教的に汚いというニュアンスになるが、それはいわば比喩的な意味。リジュスとは、元来、単なる汚さを示す言葉である。つまり、豚肉は汚いからやめておけということになる。しかも、この聖句においては、わざわざ「豚肉」を指定している。脂とも骨と髄とは言わずに、「豚(ヒンジール خنزير)」の「肉(ラハム لحم )」としているのだ。
これに対し、ヒンドゥー教徒にとって牛は、3大神のうちの一つシヴァ神の乗り物であるとされ、それ自体が神聖なのである。ムスリムたちは豚を神聖な動物とは言わない。

ハディースをどう扱うか

ここまでをまとめれば、食べたいものは何でもどうぞというのが大前提、そのうえで、4つの例外が置かれていて、その一つが「豚肉」であり、禁止の理由はそれが汚いから。ただし、やむを得ない場合、あるいはイスラームの規範を否定する意思によらないのであれば、この禁止は絶対ではない。アッラーは寛容にして慈悲深いのだということになろうか。

ムハンマドの言行の中には、豚の売買を禁止したとある[1]。ハディースが当時のアラビア半島の状況におけるアッラーの御言葉の実装の指針だとするならば、ウィルスに関する知識も、電気も、冷蔵庫も無い状況において、汚いから食べるなとされた豚肉を流通させることになる豚自体の売買を禁じたことには合理性があろう。

それでは、豚肉を食べる人々がすべてイスラームの規範を踏み外して、アッラーの教えの世界からはみ出してしまうのであろうか。筆者は決してそのようには考えない。豚肉を安全に食べる方法をわきまえている人々がこの世には数多く暮らしている。とりあえず、焼けばいい。無菌豚であるならともかく、それ以外の豚肉を生で食べる習慣を持つ人々を私は知らない。

つまり、イスラームの絶対的な教えのように思われている豚肉の禁止であったとしても、焼いて食べることによって、少なくとも、禁止の根拠になっていた「汚さ」を排除することができるのだ。そうであるとするならば、もはや、それを禁止する必要はなくなるのではないか。しかも、アッラーは、世界のすべての人々の主であり、寛容で、慈悲深い存在なのだ。

宗教の文化規範化

つまり、豚肉の禁止は、啓示が、当時のアラビア半島の社会・産業的な文脈の中で(というのは、豚の飼育には大量の水が必要で、砂漠の民のタンパク源としては不向きとしか言いようがない)醸成されていった禁止が、イスラームの拡大とともに、「豚」の禁止として、それがあたかもイスラームそれ自体の不可侵の絶対的ルールが如くに広がって行ったものと考えうる。しかし、実際のところそれは、ある種の強制力を伴う法規範というよりむしろ信者たちの間で慣習として守られるようになっている「文化規範」なのである。
豚肉の禁止がまさにそうであるように、相当数の信者たちはそれがイスラームだと信じて疑わないし、信者以外の人々からも、それがイスラームだと思われているので、いよいよこの文化規範はイスラームに固有のものとして固定されていく。それによってイスラーム教徒であることがアイデンティファイされるといった勢いだ。折しも異文化理解は、SDGsが目指すところでもある。ハラールビジネスなどは、この文化規範の上に成り立っているということさえできるものだが、実はこの文化規範の硬直化がイスラームに致命的な動脈硬化をもたらすのだ。

「教えとしてのイスラーム」を生かす

豚の忌避をクルアーンそれ自体が命じているかのような、つまり、イスラームでは、聖典がそのまま規範であり文化であるというような、つまり「宗教=ルール=文化」というような理解が、このごろの日本では一部世界史の専門家からも語られてしまうという現状がある。クルアーンとイスラーム法を直結することなかれ。伝統を守るのが、文化であり、文化を享受することが幸福なのだという考え方もあるかもしれないが、伝統を乗り越えて、時代と状況に相応しいルールの源泉になりうるのが、クルアーンなのである。

異文化理解の美名のもとに、人々を伝統や文化の檻の中に閉じ込めるのは、憎悪の連鎖の子供たちへの教育を是認することにもつながるという等式を見失うことなかれ。「人の法」を「神の法」だと思い込んで、それを自分自身のみならず周りの人々に対しても押し付けることは、実に犯しやすい過ち。
そしてそれは、教えのレベルのイスラームの息の根を止める行為でもある。だからこそ「神の法」があるというものだ。新しいルールの発見(=イジュティハード الاجتهاد )あってこそイスラーム。「人の法」は、法的安定性を確保しつつもなおつねに更新が重ねられることにこそ価値があるはず。真実への歩みに休みなし。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。


脚注

[1] ジャービル・ビン・アブドゥッラーはアッラーの使徒が勝利の年(マッカ征服の年)にマッカで次のように語ったハディースを聞いたとして伝えている。
「アッラーとその使徒は酒と動物の死体と豚と偶像の取引を禁じた。すると誰かがこういった。アッラーの使徒よ。死体の油についてはどうですか? それは舟に塗装される(水の浸透を防ぐ)し皮のなめし油としても使われます。また庶民は(燈して)明かりにも使います。すると彼は「いやそれはハラーム(禁じられていること)だ」と言いさらに続けてこういった。アッラーがユダヤ人を滅ぼされますように!彼らは崇高にして荘厳におわすアッラーがその油を禁じたにもかかわらずそれを溶かして売りその代金を得ている。」(『サヒーフ・ムスリム』第2巻、622頁)
「豚を殺すこと。――預言者は豚の売買を禁じた、とジャービルは言った」。(『サヒーフ・ブハーリー』第2巻336頁)

主要参考文献:

奥田敦『イスラーム法概論:講義案』2017年度版(2017年)非売品

タイトル画像

プトラ・モスク(通称:ピンクモスク)マレーシア(2024年9月筆者撮影)
「教えとしてのイスラーム」の在処⁉

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