好きなことが出来ない地獄を抜け出したい〜初投稿・私の自己紹介〜
2年半前、好きなことがトラウマ化して、私はアーティストを辞めました。仕事を始めて1年も経ってない頃でした。
今思えば、開業する前から兆候はあって、仕事なんて出来もしないのに、執着が捨てられずにほぼ無理やり仕事を始めたような形でした。
今では練習を再開するどころか、自分が「何のジャンルのアーティストだったのか」すら口に出すこともできません。
出来なくなったきっかけ
実は、原因らしきものはかなり多く、何が原因かと言うのは言い切ることが出来ませんが、きっかけだけは分かります。
私がいた業界は、表現スポーツの一種でしたが、どマイナーで男だらけでした。
世界大会にすら女子部門が存在しません。
点数のほとんどは技術点で決まるというのに、なぜか男女で部門を分けることに懐疑的な連中が多数派でした。
彼らの言い分は「これは芸術だから」
実際は大学とかでも国際的な定義でもスポーツに分類されていました。
なのに、
「努力しないから女は下手なんだ」
「実際に男子より上手い女子はいる」
などと、まるで
「吉田沙保里とそこらへんの男を比較する」
レベルのガバガバの理論を、自分たちの都合が良いように数の暴力で押し通すような業界でした。
それでも私は猛烈な負けず嫌いで、得意ジャンルでは男だらけの部内で1番と呼べるまでになりました。
一般に向けて発表会をした時はお客様アンケートで2年連続1位までとりました。
でも、部員から言われた言葉は
「客に媚びてる」
「選曲も演出もイタイ」
「演技構成が崩壊している」
「みんなシラけてた」
その時にいた部員は全員男でした。
(ちゃんと1番盛り上がっててアンケート1位なのにこの言われよう)
さらに、筆頭となっていたのは当時私が部内で1番信頼していた男 (LINEブロック済)。
この時に自分の中で糸が切れました。
直後に1ヶ月近く高熱を出し、そのまま自律神経をやられて大学に通えなくなり、のちにうつ病と診断されました。
これが大学3年生、20歳の頃です。
苦しいのに辞められない日々
その後すぐに競技が出来なくなったわけではありません。むしろ逆で、私は全ての休息、娯楽、趣味を絶って、強迫的なまでに練習をし始めました。
その頃は、自律神経をやられて、どれだけ吐き気に悩まされても、簡単な技が出来なくなっても、めまいで道具を拾うことができなくなっても、練習をやめられませんでした。
それぐらい、
強くなりたかった。
上手くなりたかった。
なのになぜ自分は生まれた時から世界のほぼ半分に負けることが確定しているのか。
月並みだけど、本当に悔しかったんです。
この体さえ、この脂肪さえなくなれば…
下着を見るだけで吐き気がして、マトモなものをつけられなくなりました。
ブカブカの服を着て体型を誤魔化しました。
無理な断食や食事制限をしてフラフラになりながら練習しました。
元々家族全員から性別違和 (当時の言葉だと性同一性障害) を疑われてたような人間でしたから (実際はちょっと違った) 、性別への恨みは凄いものがあったようです。
それなのに、どうあがいても大会では男と比べれば自分は平均以下、女子部門に出れば「女は(みんな下手だから)楽に勝てて良いよな」
男女を分けないのは悪平等だと声を上げればわざわざブログまで書いて男連中に寄ってたかって叩かれる始末です。
ボロボロの自尊心を回復するために苦肉の策で動画をアップしたのに、セクハラと誹謗中傷が当然のように飛んできました。
うつ病の中ギリギリで卒業した頃にはもう限界が来ていました。とてもじゃないけど競技を続けることはできませんでした。
出来なくても忘れられない
大学を卒業した後、練習はほぼ全くと言って良いほどできなくなりました。
それでも忘れることができなくて、
でも練習することももう出来なくて、
年齢の壁に怯えながら、それでも練習できない自分を憎み続ける日々でした。
しかも、自分の執着が取れなかったせいで、大学卒業後すぐにこの種目で相方と一緒にパフォーマーとして開業してしまったのです。(就活もできずに卒業したからってのもあります)
幸い仕事はほとんど来なくて助かったけど、1番大事な仕事の時に、舞台に立ってまた叩かれる恐怖に耐えられず、
言い訳を作るために骨折しようとして、あと一歩でその辺の車に飛び込むというところまで行きました。
さらに大学でのトラウマに加えて、高校時代のいじめもかなり引きずっていて、いつしか道具を触ろうとするだけでフラッシュバックするようになりました。
そうやって、いよいよパフォーマーは不可能になってきて休業に追い込まれました。
相方に迷惑をかけてるって分かっていても、うつ病がキツくて体は動かないし、一日中フラッシュバックで何もできない日々でした。
何をしても治らないうつ病
それでもなんとかしたくて、
・本を1ヶ月で50冊読んで
・県外の名医に相談して(診断もらってないけど先生はカルテにPTSDって書いてました)
・別の病気のことも調べ倒して自力で治療して (腸カンジダとSIBOでした)
・荒療治として無理矢理トラウマに突っ込んで行って悪化しまくって
・一旦全てを忘れるために就労移行に通って
それでも一向に練習は出来ず、
しまいには、フラバを減らして回復するための苦肉の策で、付き合って3ヶ月の彼氏と九州から北海道に飛び出しました。
大当たりだった雪国への引越し
私が回復を始めたのは北海道に引っ越して半年後、雪が降り始めた頃でした。
トラウマによるフラッシュバックは連想ゲームのように起こります。
幼少期から大学卒業後まで実家にいた私には、実家の周りはトラウマを連想させる景色しかなかったのかもしれません。
その点、雪が10cmも20cmも積もった景色というのは九州育ちの私には見たことのないものだったのです。
「ここに私を壊したあいつらはいない。元同級生も、サークルの人間も、親も妹もいない。いるはずがない。」
その感覚が、雪景色によって、確かな実感として私の中にするりと入って来たように思います。
そんな雪景色に囲まれて、うつ病になってからは一瞬たりとも感じたことのなかった「穏やかさ」を感じることが増えてきました。
ですがやはり再開は上手く行きません。ちょっとやってはまた辞めてしまう、そんな繰り返しでした。
ブランクに絶望する
ブランク。そう。私の敵はフラッシュバックだけではなかったのです。(フラバもまだ完治してないけど)
これはブランクを経験した方ならある程度お分かりになるかと思いますが、下手になった自分に絶望するフェーズがあるんですよね。
私はそれを毎回乗り越えられなかったのです。
「なんだそれぐらい」と思うかもしれませんが、私は「例の競技」に関して未練ダラッダラなわけですよ。
それは日本一になるのが夢だったから。
現在私は26歳。例の競技で言うと、多くがもう辞めている年齢なんです。
もう無理だ。
こんな練習じゃ甘い。もう遅い。早く上達しなきゃ。もっと動け、もっと、もっと…
そんなことをうつ病の人間が言ってたらどうなるか、簡単ですね。
もう一回うつの波が来て動けなくなるんですよ。
私はこれを6年以上繰り返しているわけです。
とんでもない作戦を閃く
そんなこと言ったって焦りは消えないどころか増していくだけだし、日本一の願いは何もしなければ叶わないわけです。
そこに半年以上悩んでいたわけですが、今年に入って唐突に閃きます(お風呂場で。さすが風呂。)
「今すぐに日本一を目指すより、
10年闘病して日本一になった方が
…ひょっとしてカッコ良くね?」
「いや何をお前バカなと、そもそも皆辞めてるような年齢で無理に決まってんじゃん」
と、聞こえて来そうですが、ちょっと待ってください。
私は好きだったことが出来なくなって苦しいわけです。
そしてそれは今はフラッシュバックの問題ではなく、「日本一の夢」に囚われているのが問題なのです。
「じゃあ日本一諦めてマッタリ幸せに練習再開でもすれば良いじゃん」
と思われるかもしれませんが、
私も6年前から同じこと考えてます。
「執着手放そう」って。
でもね、6年目なんですよ、この戦い。
あんま良くないと思うんです。
バカ正直に同じ戦略で頑張り続けるの。
私の執着は重すぎるんです。
だったら執着を捨てないまま、今の自分が落ち着けるような形の目標を用意して、適切な努力をしようと、そう思ったわけです。
もし叶わなくても、落ち着いた精神状態で努力できたら、その過程で満足して「日本一なんてどうでも良いや!」ってなるかもしれませんし。(これが1番の狙いだったりする)
だから「今の自分が」落ち着ける目標を掲げたのです。
10年闘病して日本一になる。
これが、今の私の目標です。
で、この先どうするの?
実はこの「10年闘病して日本一」って目標を掲げたのは半年前のことです。
それから私は、好きだったけど辞めたあの競技のことを「例のブツ」と呼び始め、
「10年闘病して日本一」の夢を叶えるべく (真の目標は楽しく再開することだけど)、
「例のブツ再開プロジェクト」を立ち上げ、本を読んだり考えたりしながら、その過程を紙のノートに書き続けています。
やることを16分野に分けて、日々取り組んだり、読んだら良さそうな本をリスト化したり、アイデアを200個以上書き散らかしたり、色々してます。
そして、色々考えた結果、今日からはその過程をこのnoteにも書き記して行こうと思った次第です。
「10年闘病して日本一を目指す」
この目標が無謀でアホらしいことは分かっています。
現在も障害者手帳は2級。
明らかにハンデがあります。
もうこんな風に考えることでしか自分を保てなかったと言えばそうでしょう。
日本一だ何だと言いながら、今だって練習を再開するどころか、自分がやっていた競技名すら口に出せないのです。
「こんな奴に何ができる」
自分でもそう思います。
でも、今の私には、
こう考えることしか出来ないし、
行動する以外に幸せになる道が全く見えないないのです。
こちらの本の中で見つけたのですが
とあるトラウマ研究の大家は、
こんな言葉を残しています。
とにかく動くこと。
これは世界中のトラウマ患者にとって、
唯一の重要なゴールである。
私はもう、闘うしかないのです。
参考文献
ここまで読んでくださってありがとうございました。
今回は自己紹介でしたが、
上達論
健康法
若返りの方法
メンタル面のこと
芸術に関すること
練習のための時間作り
など、
ありとあらゆる視点から、好きなことを再開し、さらに爆速で上達するための方法を模索していこうと思いますので、
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「なんか頑張ってんな」
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ありがとうございました。
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