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病は人生の転換期!睡眠障害とコロナで新しい次元に転がる人生

人生をストップさせられたこと、みんないろいろありますよね。
私の場合は沢山あるけど、大きくは2回。

一度目は30代前半の睡眠障害。
突然の睡魔に襲われ、36時間ねて一時間起きてるのがやっと、、、という謎の状況に襲われて、約4ヶ月、ほぼ寝たきりになったとき。
ストレスMAX、あれこれ重なった自覚があります。
医者にいくも、眠くて眠くてろくに歩けず、ふらふらふらふらと、待合室でも眠くて眠くてふらふら。あの時はもう生きてきのが無理なのかもと思うほど寝てました。
話飛びすぎますが、わりと星まわりとかの影響受けやすい体質で、占い好きな友達には昔から勝手に占われてましたが(当たるから面白い)、思えばこの時、山羊座の時代がスタートしてまして、がつんと道を塞がれて、ストップさせられたのだなぁと今となっては思います。

いつくかの病院をたらい回しにあい、睡眠専門の病院を見つけていくと、今度はまっっっっったく自力で眠ることができなくなりました。医者の話ではどちらも結局不眠症ということになるそうで、寝れないから死ぬほど寝てしまう、寝れないから薬が必要になる、と。MRI検査もしましたが、脳が覚醒しっぱなしになっているとのこと。ふぅーん…。

さて、困ったのは、フリーランスで仕事をしている事。
眠気の強すぎる状態では家で請け負っているような、企画〜制作なんて判断力はなく、どうしようかなと。
時間決まってて、やること決まってる仕事なら出来るだろうか、、と考え、そこで思いついたのが、「そもそもずっとフリーランスなので版下の基盤となる知識が欠落してるとこが気持ち悪い」でした。
ということでバイト形式でDTPの現場に飛び込み。病状も正直にお話しし、知識がないことも説明しましたが、「では、版下の基礎を勉強しながらやっていきましょう。かわりにイラストやグラフィックデザインの知識を活かして教えてください。」という、とんでもなく素敵な上司にめぐりあい、週3日通わせてもらえることになりました。その上司は現在在席させていただいている編集部の副編集長でもあります。

と、いうところまでは素敵ないい話だったのですが、初日のお昼、DTP課の先輩とごはんにいくと、メールが来て「あ!!!絵本の会社…内定決まりました!!!」と…。え?
ゆっくりと、本のチュートリアルやりながら、この先輩から版下制作を教わるはずが、この方、その月で退社することが私が入社して1時間後に決まり…週3日、つまり残り12日ですべての版下管理業務〜技術を学び、来月から一人でDTP課を回すことが確定してしまったのです!!!ひぇぇ。

もう、とにかく夢中で教わり、必死に本で調べ、、、なんとか2年半務めあげましたが、毎日深夜1時帰宅の、えらいリハビリになってしまいました。

が、この経験で、睡眠障害ともなんとか付き合っていけること、知識ない基盤欠落は飛び込みで穴埋めしていけることを知り、とてもよい経験ができ、これ以降、ソーシャルゲームの会社に飛び込みでいってみたり、プロジェクトジョインの話という、今までのやりとりある企業からの依頼を受ける形ではない、常勤型のもっと経験を活かせる仕事をやれる機会をいただけることが多くなりました。これらはとっても楽しい経験になりました。


そして、月日は流れ、2020年2月。
電車降りる瞬間に咳き込みだした人の横を通過しただけで、コロナを患うという、またも全ストップせざるを得ない状況に陥ります。
クルーズ船下船が始まったのは、患ってから二週間後のことで、世間はまだコロナってなに?って感じで、自分でも風邪もらったと思ってました。

ところが二週間たっても微熱は下がらず、症状は増える一方。薬も全く効かず、出されている薬の種類とそうそうに大きな病院を紹介され、そこでのやりとりから、「これは、、、コロナであることを想定して扱われているな」と感じるようになります。
医師は別の病気を疑い、あらゆる検査をしましたが、2センチくらいの子宮筋腫があるくらいで、なんの病も見つからず…。
4ヶ月ほど、ひたすら治ると思って薬を飲み、医者に通い、家では大人しく寝込み、編集部の仕事は特別休暇と有給で休ませてもらいました。

しかし、まったく良くなるどころか、悪化してくるばかりで、一向に出口の見えない闘病生活、ある日突然「寝込むの、やーめた!」と、飽きてしまって在宅勤務をスタートさせます。
もちろん微熱はでつづけ、20種類ほどの症状もあるまま、です。
箸も持てないような極度の疲労感から起き上がれない日もありましたが、なんとか休み休み、いただく仕事に着手。
お仕事先の方にもご迷惑かからないよう、正直にコロナだろう事をお話しし、時間かかってもよいとしてくださるお仕事だけ、お受けしてやっていくことにしました。

この頃、フリーランスの仕事をどうしていくか、をずっと考えていた時期でもあったので、「ああ、また、病気でストップさせられたんだな」と思い、これはなにかやり方をがっつり方向転換する必要があるのだな、と感じて、もし今、このコロナっぽいもので死ぬとしたら?どうする?と考えるようになりました。

未知の病ということで、治療法もなく、先生たちとはお互いネットで情報を探して、通院日に情報交換するような日々でしたから、うまく生き延びたとしても、この先、この症状たちとうまく付き合っていくには、今まで10年ほど力を入れてきた常勤スタイルのプロジェクトジョインもままならない、さてさて、どうやって生きていこう?
そう考える時間が沢山できました。
沢山沢山考えていくと、今までうまくいった「自分発信でなにかをする、してきたこと」が頭をよぎります。
この頃はもう犬猫似顔絵アートのun Jour。ART WORKSをやっていたので、これと同じように、自分発信であとなにをやるか?と考えたとき、ふいに「あ、抽象画ってちゃんと作品にしたことなかったな」と思い立ち、突然抽象画作品を制作しはじめてしまいました。

どうせ死ぬなら、やってみたかったこと、やってみよう、と。

微熱、咳、頭痛、全身の痛み、全身のつり、寒気、強烈な倦怠感、味覚障害など、いろいろな症状がありつつも、手元にある画材たちで描きはじめ、仕事がきたら仕事をし、在宅勤務の日は編集部の仕事をする、という、なんだか今までよりも忙しい日々になっていくものの、作品を作っていると症状を忘れられるので、楽だったこともあり、熱でふらふらしながらも、どんどん作品を作っていきました。

が、全く描けない!!!!!大笑いするくらいに描けない!!!

そらそーだ、ずっと具象画を専門としてきて、いきなり抽象画が描けるはずもなく。

この歳になって、こんなに描けないことがおもしろすぎて、のめりこんでいきました。

そしてコロナ罹患から一年、後遺症外来を行う先生をみつけてセカンドオピニオンを受け、ほぼ、99%間違いなくコロナ後遺症である、と診断を受け、ひとまず理由が一個できてホッとし、後遺症外来での漢方薬治療(とはいえメカニズムがわからないので治すというより緩和する、というアプローチ)がスタート。
なにをしてもうんともすんとも言わなかったコロナ特有の頭痛が2種類の漢方薬でやっと軽減し、随分楽になりました。

そんな緩和ケアもスタートし、状況を理解くださってる方々からのお仕事もあって、なにかと忙しく過ごしていると、何枚目だったか、ふと「あ、ちょっと描けたのでは?これなら…自分なんかでも個展とか、、してみてもよいのかな」と、少しそんなことを感じることが出来た一枚の絵が仕上がりました。

ずっと、個展はもっともっともっと描けるようになって初めてできる次元のものだ、と思い込んでいたので、一歩、その次元に近づけた気がしてとても嬉しかったし、コロナにも負けない気がしてきました。

早速、ギャラリーを探してみるものの、、、なんでもいいと貸してくれる所ではただの趣味になるし、実績0だと企画ギャラリーには紹介もしてもらえない、さて、どうするか、、、こんなにずっと作りものしてきたけど、未だ無力だな、未熟だな、と思いつつ、個展への憧れが募ります。

後遺症外来には、今にも消え入りそうな患者さんが溢れている中、なぜ自分だけこんなに明るく後遺症と向き合っていられるのだろう?と疑問に思うこともありつつも、ノンキに受け止めて、せっかく腹くくれたのだから、個展のことも型にはまらずともよいのでは…と思い立ち、イベントで一度お世話になったギャラリーさんに企画をお送りしてみることにしました。

すると、2つ返事で貸していただけることになり!もはや後遺症が悪化しようとも構うものか!!!というテンションで作品を作り続けては動けなくなって寝込む、怒涛の日々が始まりました。
コロナはきっと、自分で作品作って発表する夢を叶えろ!という啓示だったのだ、と思うことにして、それを言い訳に立ち止まることができない環境を作りだしていくことにしました。

そんな機会なくコロナ禍の世の中に突入していたら、自分は今頃なにしてたかな、と思うと、たぶんだらだらとしていただけだろうと思うので、今もまだ20種類くらいの症状はありますが、もうほぼ気にしていない自分がいます。

周りに助けてもらいながら、開催した初の個展。
沢山の方々が遊びにきてくださり、本当に毎日毎日嬉しくて、後遺症治るんじゃないかと思うくらい、素敵な時間を過ごすことができました。

そして、そんな初個展、たまたま通りかかった方がただ一人、たった一人偶然立ち寄ってくださったのですが、なんと即決でその、個展のきっかけをくれた一枚をお買い求めくださるというミラクルも起き、さらには複数のオーダーも同時にいただくことができて、突然画家としての一歩を踏み出すこととなりました。


今もまだ、これから先もしばらく付き合っていくことになりそうなコロナ後遺症と睡眠障害を抱えてはいますが、緩和してくれる漢方薬もあるし、薬さえ飲めば眠れるし、なんなら寝れないストレス減ってよかったじゃん!と思うようにもなりました。
コロナもひとまず死ぬことは今のところなさそうだし。

これらの病は、生き方の方向転換をせよ、とのお告げと思って、うまく付き合っていこうとノンキに思えるようになりました。
沢山の人にも出会うきっかけにもなったし、悪いことだけではなかったな、と。

なのでもし、これをお読みになられている方やその周りの方で病に苦しむ方がいらしたら、こう、伝えてみてほしいと思います。

「病は、身体の一部のみ。まだスマホもいじれるし、息もできる。」と。

できることにフォーカスしてみてほしいと思います。
そこに新しいなにかが、ヒントや答えがあるかもしれないから。

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