合理的配慮って何だ?
今年(2024年)の4月1日に改正障害者差別解消法が施行され、役所や事業所に対して「合理的配慮の提供」が義務化される。
ときどき見かけるニュースだけれども、もともと知らない人や、あまり関心のない人には伝わらないんじゃないかと感じている。
法律が施行されることと何かが義務化されるらしいことはわかっても、たぶん「合理的配慮」が何なのかがわからない。
「えーっと、障害のある人を思いやればいいの?」
そんなふうに思う人もいるだろう。
「合理的配慮の義務化」を僕なりにわかりやすくいうと、障害のある人から「この問題を何とかしてもらえると、不自由が解消されます」と求められたら、負担が重くなりすぎない範囲で対応しなさい、というルールだ。
「エレベーターのボタンに点字があったら、わざわざ誰かに読み上げてもらわなくてもすむんですけど……」と相談されたら、できるだけ点字も用意しなさいという話である。
「建物の入り口にある段差のところにスロープをつけてくれたら、車いすでぐるっと裏まで回らなくても入れるのでつけてもらえませんか?」と相談されたら、可能な限りスロープをつけなさいという話である。
肉体的、精神的な不都合や自然現象で発生するバリアを解消するのは難しいけれども、社会がつくりだしてしまったバリアは社会の努力で解消できるはずだとの考えがそこにはある。これを社会的障壁という。
多くの障害は「人」の側にあるではなく社会の側にある。現代社会に存在する障害の多くは社会的につくられた障壁によるものなのだ。
少し話がずれるけれども、多くの自販機は右側にコイン投入口があって、左ききの人は自販機にコインを入れづらい。左右両側に投入口があれば右ききの人も左ききの人も不便を感じなくなる。さらに低い位置にあれば子どもや車いすユーザーも使いやすくなる。この場合、右側の高い位置にコイン投入口をつけたせいで不便が生じているわけだから、ちょっと極端な物言いをすれば、これもまた社会がつくりだした小さな障壁の一つと言える。
この自販機の延長線上に社会的な障壁がある。
ボタンに点字をつけなかったことで生じたバリア。
入り口に段差を設けたことで生じたバリア。
意図してか意図せずかはさておき、事業者がつくりだしてしまったバリアなのだから、当然それはできるかぎり事業者が取り除くのが義務ですよね。と、それが「合理的配慮の義務化」の意味である。
※注 今回の法改正で義務づけられるのは「事業者」です。
英語の〝accommodation〟を〝配慮〟と訳してしまったことが、伝わりにくい原因だろうと僕は考えている。配慮ではなく適応だとか調整だといった、もっと英語本来の意味で訳せばよかったのにと思う。
「合理的配慮の義務」よりも「適切に調整するべし」「できるかぎり適応すること」のほうが伝わる気がするのだけれども、そう感じるのは僕だけなのかしらん。なんでも韓国では「正当な便宜」と訳しているらしい。なるほど、権利としてはっきりさせているのだなあ。
今、NHKの福祉ポータルサイト「ハートネット」では、合理的配慮に関する体験談を募集している。
合理的配慮を求めたのだけれども、対応してもらえなかった。
仕事の現場で合理的配慮を求められたのだけれども、どこまでが合理的な対応になるのかがわからなくて困っている。要求をぜんぶ聞かなきゃならないの?
すごくうまく対応してもらえた。
ひどい対応をされた。
どこまでの配慮を事業者に対して要求していいのか、要求できるのかがわからず、なかなか言い出せない。
お客さんがはっきり要求してくれないので、こちら側からは何をどうすればいいのかわからず困っている。
きちんと対応してもらいたい人、対応を求められる事業者の人などなど、いろんな立場からの体験談や意見を広く募集しています。集まった体験談をもとに番組をつくる予定なので、ぜひ多くのご意見をお寄せください。
福祉関連の話題はとても大切なんだけれども、おもしろおかしくはないので思うようには広がりません。このnoteや投稿窓口をSNSなどで少しでも拡散してもらえると嬉しいです。何卒よろしくお願いします。
そうそう、もしもSNSなどで合理的配慮について考えたことを書きたくなったかたは、同じ文面で構わないので、ついでに投稿窓口にもお寄せいただけると僕が小躍りします。こちらもよろしくお願いします。