夏の思い出 Naoki編
みなさん、おはこんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?
アソボロジー共同代表のNaokiです。
さて今週は僕が担当します。
みなさん、今年の夏は楽しめましたか?
何か思い出に残るような出来事はありましたか?
僕がこの夏沢山のことをし過ぎて、何がこの夏にあったか思い出すのが困難なほどです汗
でも、中でも大半の思い出がこの夏6週間近く過ごした北海道での出来事たちです。
とある教育系ベンチャーの主宰する「サマーキャンプ」の大学生スタッフとして北海道へ赴き、人口3千〜4千人程の町で中高生と大学生が一緒に勉強したり、遊んだり、時には語ったりするような場づくりをしてきました。
その中で特に印象に残ったエピソードをここでシェアしたいと思います。
とある十勝地方の小さなまちで開催したキャンプにも沢山のこどもたちが来てくれました。
ある日の昼下がり、部屋の中に虫が入り込んできて生徒たちの目にとまりました。
その虫が少し大きめの虫で結構ちゃんと羽音もするような感じの虫だった(ちなみに何の虫かは記憶にない)のですが、それをみた生徒たちが悲鳴を上げて逃げ回るというシーンがありました。
これだけだとまあよくある風景のような気がするのですが、面白かったのはおそらく普段から虫を見慣れているであろう田舎の(別に田舎をバカにしている訳ではないですよ?)こどもが虫を怖がったり気持ち悪がったりしていたのが印象的でした。
しかも、ここは十勝地方のまちということもあり、参加者の中には農家のこどもも少なからずいたのですが(ちなみに僕の行ったまちは人口の約8倍の牛がいるまちでした😅途方もないですね😅)、そんな環境下で生まれ育ったにもかかわらず、です。
何故ここまで書くかというと、コロナ渦が始まった頃、若者が「慢性的な死にたさ」を抱えていることが「生の実感がない」ということに起因していて、それは「死」というものが日常から遠ざかってしまったことが原因だと仮説を立てました。
そして飛躍するようですが、現代の虫嫌いという風潮が地球温暖化を進め、人類滅亡へ向かう燃料になっている気がしているんです。
まあこれだけ聞いた人は何のこっちゃと思うと思いますが…😅
ゴキブリ、蚊、蜂、人間に忌み嫌われ「技術」と称されるもので駆逐しようと躍起になっているあの虫たちが生態系でどれだけ大きな役目を担っているかということは少しずつ注目を浴びてきていますが、それでも依然かれらは殺され続けています。
元京大総長の山極さんが以前「人類は生態系から飛び出してしまった存在」だと称していましたが、僕も環境問題について勉強していくうちに同じ結論になっていきました。
そして、色んな原因があることは重々承知の上で、その一つとして現代人の虫嫌いが一翼を担っていると感じています。
そして、僕はどこかで信じていました。
虫嫌いな現代人は都会に多いと。
だけどこの夏、現代人の中でおそらく最も虫たちと共同生活を送っている職種の一つである「農」に携わる人たちに一番近い存在が「虫嫌い」であるという事実は僕に取ってある意味で受け入れがたい事実でした。
人間の滅亡へまた一歩近づいたと思った瞬間でした。
まあ、僕個人の心情としてはいつか人間は滅びる存在だと思っているので、それが少し早まったと感じたところでそんなに大きなことではないんですが、何となくここでもそうなのか…と思ったという次第です。
色んな現代病がある中で、社会にもまた病があるとするなら(こういう考え方のことを社会病理学というらしいです)、「虫嫌い」は確実に現代病といえるのではないでしょうか?
少し思い出の話しから暗い話にしてしまいましたが、僕としては純粋な気づきとしての思い出なのです。
これだけでも北海道の僻地でこどもに触れる機会があった甲斐があったと思えます。(まあそれはそれでどうなのか?という問いも自分の中で生まれたりもしますが😅)
そんな気づきを得た夏休みでした。
他にも沢山思い出があるので、それもどこかでいつか披露できればと思います。
それでは今回はこのあたりで…
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