表面的なゲーミフィケーションにならないための3つのポイント
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おはこんばんにちは!現在Lv.26のゲーミフィケーションくんです。
先日下記のツイートをしました。
ゲーミフィケーションは「ゲームっぽくすればいいんでしょ」というのではなく、徹底したユーザー目線が大事だということです。
というので今日は、「表面的なゲーミフィケーションにならないための3つのポイント」を書こうと思います。
①「ゲームっぽくする」という落とし穴
単に「ゲームっぽい」だけというのはありがちです。
・「ポイント制にすればいいんでしょ」は自己中心的
ゲーミフィケーションをするぞと思った時に、よくやるのが「ポイント制」です。
ただ、ゲームの仕組みを表面的になぞって「ポイント制」や「ランキング」を導入しても、「やらされ感」が出るだけです。
「やらされ感」というのは外発的動機づけなどといいますが、自分でやってみたくなるという内発的動機づけにするのが重要です。
その根本的な境目になっているのは、プレイヤーのために実施しているかゲームメーカーのために実施しているかです。
「ポイント制にすればよく働くだろう」とか、「ランキングにすれば競争して勉強するだろう」という態度は節々に出てきます。
本当にプレイヤーのために「ポイント制」などにする人は、言葉の節々に「楽しんでほしい」という意思が出ますし、それはプレイヤーにしっかり伝わります。
逆に、自己中心的に「ポイント制」を実施するような場合、サービスだろうと口頭だろうと、魂胆が見え透いてしまっているのです。
・ゲームを表面的に捉えない
ゲームを表面的にとらえて、「ポイント制にすればいいんでしょ」という人がどのようなミスをしているかを表す時に良くする例えなのですが・・・。
「ライトセーバーで戦う映画を作れば、スターウォーズになる」と言っているぐらい微妙です。
というのも、スターウォーズが面白いのはライトセーバーで戦うからではなく、色々なカメラワークや役者の表情などの機微の集合体が織りなすアート的な面白さがあるからです。
それに対し、視覚的な要素を抽出して「ライトセーバーで戦う映画を作れば、スターウォーズになる」と言うのはかなりおかしいです。
同様に、ゲームを表面的に捉えて「ポイント制にすればいいんでしょ」は微妙だということです。
・ユーザー目線なら真似でもいい
とはいえ、ユーザー目線の先に、ゲームを真似て「ポイント制」を実施するのは意外と大丈夫です。
プレイヤーのために実施しているかゲームメーカーのために実施しているかが節々に出るのが重要な観点です。
たとえば、全然ゲームになっていなくても、みんなを気遣う上司が「遅刻した人はマイナス10ポイントな!」とか言ってくればみんな協力的になり、ゲームが成立します。
一方で、みんなの気持ちを考えていないような人が「遅刻した人はマイナス10ポイントだ」などと言って来たら、クソゲーです。
というので、ユーザー目線の先に、ゲームを表面的に真似るのは案外大丈夫です。
②徹底したユーザー目線
「おもてなし」が大事です。
・『ゲーマーズブレイン』に書いてあること
『ゲーマーズブレイン』という、「フォートナイト」を提供するEpic Gamesが主催するGame UX Summitの創始者および責任者のセリア・ホデントが書いたゲームをもとにした理論書のようなものがあるのですが・・・。
以下のようなことが書いてあります。
いわゆる教育ゲームの多くは、クイズに可愛らしいアニメーションを挿入しているだけで、子供たちを教育しているというより教え込んでいるのが現状です。
他にも表面的なゲーミフィケーションに対する、本物のゲーム屋からの辛辣なツッコミがたくさん書いてあります。
・UXフレームワーク
じゃあどうすればいいのか?という点なのですが・・・。
『ゲーマーズブレイン』には、ゲーム作りの有効な手立てとして、UX(ユーザ体験)フレームワークが紹介されています。
ゲーミフィケーションの要素を追い求めるのではなく、ユーザ目線を追うのが大事だということです。
紹介されているフレームワークは以下のようなものです。
【ユーザビリティ】
・サインとフィードバック
・明確さ
・形態は機能に従う
・一貫性
・最小限の負荷
・エラー回避/回復
【エンゲージアビリティ】
・動機づけ
・情動
・ゲームフロー
これに対し、『ゲーマーズブレイン』では、
このフレームワークは、市販ゲームをデザインするときだけでなく、教育または社会変化を目的としたゲームをデザインするときにも考慮する必要があります。
と書いてあります。
繰り返しになりますが、ゲーミフィケーションの要素を追い求めるのではなく、ユーザ目線を追うのが大事だということです。
・ユーザー目線の先に、むやみな「ランキング貼り出し」はない
ユーザー目線というのは、日本では昔から「おもてなし」という形で存在していました。
実際に、ゲームをデザインするためのフレームワーク、「gデザインブロック」の最も根底にあるのは「おもてなし」です。
よくゲーミフィケーションの文脈で「ランキング」が出てきます。
というので、「ランキング」に対してこの「おもてなし」を考えた時、生徒の「ランキング」を廊下に掲示するというのは、どのような「おもてなし」になり、どのようなゲーミフィケーションになるのでしょうか?
このことに関して、以下のツイートをしました。
「ランキング」という要素を使ったとしても、その示し方で大きな差があるということです。
ユーザー目線をしっかり考えたとき、廊下にランキングを掲示するというのは、プレイヤーが不愉快にならない相当な力量が必要です。
③結果的にゲームっぽくなる
ユーザー目線の結果としてのゲームを真似するのもよいですが、その根本的な部分を見るのが重要です。
・ゲーミフィケーションの本質
ゲーミフィケーションというものを考えた時、繰り返しになりますがゲームにある「ランキング」や「ポイント制」を導入することと捉えるのは微妙です。
なぜなら、そこにある考えの中心が「効率化」だからです。
ゲーミフィケーションの本質は、ゲーム感覚になって楽しんでもらうことです。
ゲーム感覚になってもらうために「ランキング」や「ポイント制」があるのであって、それらは楽しむために機能します。
この楽しみというのが究極的に重要なのであって、効率のブーストが目的にあったりするのはおかしいです。
楽しむことでゾーンに入ったり、ゾーンに入った結果として効率と楽しさが両立されることが大半ですが、だからといって「効率」が第一目標にあるのはおかしいです。
・要素もいいけど、遊び心が大事
『ゲーマーズブレイン』がゲーミフィケーションに関して言及しているものに、以下のようなものがあります。
私の考えでは、楽しさと意義にあふれた魅力的なものでないと、真の教育をほどこすこと、つまり永続的な変化を人にもたらすことはできません。言い換えると、「ゲーミフィケーション」を適用することよりも、遊び心を持たせることの方が大切だということです。
遊び心をもたせているものには、たとえば「トイレの的」や「音が出る階段」などがあります。これらは「遊び心」によるものです。
たしかに「可視化」とか「称賛演出」とかは使い勝手のよい要素としては便利なのですが、その要素で語れないゲーミフィケーションが無数にあります。
そもそも、ゲームは遊び心の集合体です。そのゲームを参考にするゲーミフィケーションに遊び心が欠けるというのはまさに本末転倒です。
というので、ゲーミフィケーションの要素もいいけど、遊び心が大事だということです。
ということで
「表面的なゲーミフィケーションにならないための3つのポイント」を書いて見ました。
まとめると、
「表面的なゲーミフィケーションにならないための3つのポイント」
①「ゲームっぽくする」という落とし穴
②徹底したユーザー目線
③結果的にゲームっぽくなる
という感じです!
ゲーミフィケーションを使っていきたいという方は、人の気持ちをめちゃめちゃ考えている人が多く、とても応援したくなるので、少しでも参考になればと思います。
では!