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【エッセイ】勇気を出してお待ちください。

朝の8時ごろ、家の書斎で仕事をしていたら、外から灯油販売のアナウンスが聞こえてきた。ああ、今年もこの季節がやってきたなと思う。アナウンスの「発信源」を実際に見たことはないが、たぶん軽トラックか何かで、住宅街をゆっくり走っているのだろう。オルゴールみたいな軽快な音楽といっしょに女の人の声が、

「勇気を出してお待ちください」

と言っている。

⋯⋯いや、わかっている。本当は「勇気」ではなくて「容器」と言っているんだ。灯油を入れる容器。でも、このアナウンスを聞くたびに、いつも「勇気を出してお待ちください」と言われている気がしてしまう。そして考える。

「待つこと」は、果たして勇気と言えるだろうか?

若いときはもっぱら、自分から能動的にはたらきかけていくことが「勇気」だと思っていた。かの有名な「当たって砕けろ」の精神である。そうして実際に砕けることもあれば、思いのほか上手くいくことも(少ないけど)あった。

たとえば十年以上前、定職にもつかず地元でくすぶっていたときに、知人のKに誘われて飛びこみ営業の仕事に挑戦したことがある。アポなしでつぎつぎに自宅を訪問して、インターネットの光回線を紹介するというものだった。

当然、いきなり家を訪ねた男の話に耳をかたむけてくれる奇特な人はそう多くない。しっし! と羽虫みたいに追い払われるのが基本だ。また仮に耳を傾けたとして、わたしの下手くそな営業トークに乗せられる人となると、ほとんど皆無に等しかった。

ちゃんとした営業のスキルがあれば、あっという間に相手の懐に飛びこんで、たちまち契約を取り付けてしまえるのだろう(羨ましいかぎりです)。

当時、勉強のために読んだ数冊のハウツー本のなかに「契約率100%の達人」が書いた本というのがあった。契約率100%ということは、つまりインターホンを押して人が出てきさえすれば「もう絶対に断られない」ということだ。

すごい! と思いながら、まだ若かったわたしは夢中でむさぼり読んだ。書かれていることのすべてを、まっすぐに信じた。ほとんどのノウハウは実現すら難しいものだったが、それはわたしが人間としてふがいないからだと思った。

あれから十数年たち、気がつけばもうとっくに若者とはいえない年齢だ。そのあいだに仕事でもプライベートでも、いろいろな経験をした。いろいろな人に会った。騙されたことだってある。金を返さない友人もいる。

しかしいま振り返ってみても、「契約率100%」についてどう考えればいいのか、ちょっとわからない。ひょっとしたら⋯⋯くらいには思っているのかもしれない。本をむさぼり読むことは、さすがにないだろうけど(もう営業のスキルは必要ないし)。

それはともかく、当時われわれ営業チームの契約率は0.1%にも達していなかったと思う。いや、もっと少なかったかもしれない(靴底がボロボロになるくらいたくさんたくさんトライして、最終的に契約に至った数は、たしかメンバー5人で2、3件くらいだった)。

なにせ「ずぶの素人」の集まりである。営業の成功パターンを経験したこともなければ、見たこともない。ハウツー本でどうにかなるレベルではなかった。

発起人であるKすら、過去に半年ほど、インターネット回線とは関係ない商材の営業を経験したことがある程度だった。しかもその半年間も大して成績がよかったわけではない、というのはずいぶんあとになって発覚したことで、誘われたときわたしは彼が「営業の達人」だとすっかり信じこんでいた。そして彼のもとで営業を学べば、自分も営業の達人になれるものと本気で思いこんでいた(口のうまさは、必ずしも営業の売上に結びつかないということらしい)。

この営業チームは半年ももたずに、あえなく解散となった。しかも最後はろくに営業もせずに、ほとんど遊んでいたようなものだった。

だからこれは、勇気を出して「失敗した話」なのかもしれない。

でもこの失敗を機に、いっしょに営業をしていた人たちと上京(正確には埼玉のアパートだったが)したことが、わたしの人生の転機になった。

もしあのときKの誘いに乗らなかったら、わたしはまだ地元でくすぶっていたかもしれない。そうしていまだに、人生の転機が訪れるのを、息をこらしてじっと待っていたかもしれない。

⋯⋯いや、きっとそうはならないだろう。いずれにせよどこかのタイミングで、わたしは「このままではいけない!」と考えたはずだ。そうして就職するなり、上京のために貯金するなり、何らかの能動的な行動をとっていたはずだ。

なるほど。そう考えてみると、ただ待つというのはすごい「勇気」だ。

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