磔台の母
礼拝堂の中央に木製のT字型の磔台が設置され、母の裸身がそこにあった。両腕を左右に開いた形で横木に縄で拘束され、腰と脚も同様に縛られ、磔になっていた。
大きな乳房と腹の肉は重力に逆らえずに垂れ、太ももの付け根にあるはずの体毛はそり落とされている。豊かな腰回りのせいもあって、キューピー人形のようにも見えた。神に捧げる生贄としてふさわしい姿なのか、由香里には判断できかねた。
母の顔は穏やかで、宗教的な歓喜の表情と言えなくもない。男性も含む信者に囲まれて裸身を晒す行為も、彼女にとっては貴重な宗教的経験なのだろう。直視できるか不安があったが、意外にも冷静にその姿を見ている自分が不思議だった。
礼拝堂に儀式用の純白のマントを纏った教祖が入ってきた。手には棘のついたアカシアの枝を持っている。すでに儀式は始まっているようだ。教祖は小声でなにかを唱えながら、磔になっている母に近づいていく。
母がこの宗教にハマっていったのは、まだ由香里が幼い頃だった。知人の紹介だったというが詳しいことはよく知らない。兄が病弱だったことも関係しているらしい。母は信仰のステージを上げるために布教活動や献金を続けた。父は様々な方法で母を脱会させることを試みていたが、由香里が中学生になる前に、兄を連れて家を出た。離婚だった。由香里は信仰よりもただ母が心配で母と暮らすことにした。小さなアパートの部屋を借りて、新たな生活を始めたが、生活は完全に宗教中心になった。母につきあって由香里も入信したが、それは信仰心からではなく、母に寄り添っていてあげたい。母を守りたいという気持ちによるものだった。できることなら信仰をやめさせたいと思っていた。由香里は熱心な信者ではなかった。
母は蓄えていた金や換金できるものは全て教団に献金してしまい、由香里の学費とぎりぎりの生活費以外は全てを宗教に捧げた。高校生になった由香里はアルバイトで自分の学校生活を支え、父や兄と同様に母のもとを離れることを考えはじめていた。見放したといってもいい。母には母の幸せな人生を歩んでもらえばよい。自分たちの価値観によって救う必要などない。疲れ果てていた由香里はそんな境地に至っていた。
母は大きな献金ができなくなってからも、自分のステージを上げていくことを模索していた。そして、この十年くらい行われてこなかったある儀式の開催を直訴し、自分の肉体を神と信仰に捧げることを決意した。
教祖は磔になった母に近づいていく。四十歳になった母の色白の裸身は艶めかしくもあったが、由香里にとってはその姿は滑稽でもあった。信者たちは真剣な表情で静かに教祖の動きを見守っている。
教祖は手に持ったアカシアの枝を母に近づけていく。枝には鋭い棘が付いたままになっている。教祖は枝を母の太股に当てると、そのまま横に引いた。棘が母の肌を浅く裂き、赤い筋を付けた。教祖はさらに小声でなにかを唱えながら、母の身体をアカシアの枝で撫で回す。母の身体が血に染まっていく。信者たちは真剣な眼差しで見守り続けている。
母は悲鳴こそあげないが、苦悶の表情で耐えている。耐えているというよりも、性的な興奮状態にあるようにさえ見える。顔以外のほぼ全てがアカシアの洗礼を受け、血で覆われてピンク色に見えた。アカシアの枝を置いた教祖は素手で母の身体についた血を撫で、擦り付けることをしばらく続けた。そして、今度はしなやかなオリーブの枝を手に持ち、鞭のようにして母を打ちはじめる。はじめは弱く撫でるように、次第に強くなっていく。
「ひぃ」
母が思わず悲鳴をあげた。オリーブの枝がしなり、母の肉を打つ。由香里は冷めた視線でそれを見ている。
「ああっ!」
母は肉を震わせて身悶えている。これで本当に母の宗教的ステージが上がるのだろうか。真剣な母を笑うことはできないが、ここまでになってしまった母を由香里は哀れに感じていた。血でピンク色になった母の身体に、今度は鞭の跡が筋となって加わっていく。
鞭打ちの儀式が終わった。母は磔になったまま乳房を揺らして大きく息をしている。これで母の宗教的ステージが上がるのならもう何もいうことはないと由香里は思った。自分は退会して、母とは別の世界で生きていくのだ。
母は磔台から降ろされて、寝台に横たわっている。教祖はその前に立って、小声で何かを唱えながら手に持った器から透明な液体を母に振りかけている。由香里は静かに席を立つ。
「さようなら、ママ」
小さく呟いて、由香里は振り返ることなく礼拝堂を出ていく。