見出し画像

暗黒時代に詠った「ふるさと」

室生犀星「抒情小曲集」

 金沢の中心街である香林坊・片町から南西に少し足を伸ばす。三角形が組み合わさったトラス構造が印象的な犀川大橋があらわれる。川を渡っていくうちに、賑やかさが遠のいていく。渡り切って右折。瓦を載せた塀の先に、小さいけれど立派な門があった。「雨宝院」と記された門の脇にお地蔵さまが立って、参詣者を迎えている。

 大正から昭和にかけて詩人・小説家として活躍した室生犀星(1889〜1962年)は、幼少期をこの小さな寺で過ごした。すぐ近くには、生家跡もある。そちらは現代的な建物になっていて、室生犀星記念館として公開中。この町が犀星の「ふるさと」だ。

うつくしき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ 春は春、なつはなつの 花つける堤に座りて こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ いまもその川ながれ 美しき微風ととも 蒼き波たたへたり

 川の名前をそのままタイトルにした「犀川」は、20歳から24歳ぐらいまでの作品を編んだ初期詩集「抒情小曲集」の一編。同書には自序や覚書が付されていて、創作の背景を垣間見ることができる。住んでいた寺院の奥の間から、犀川の清流や遠くの山々まで望めたことなどが記されている。

 そこここの散歩や、草場のあたりでいろいろな詩をうたつた。風のやうにうたひながら自分でつい感心してしまつて、ほろりとするといふやうなこともあつた。

 そんな散歩をするのに最も好ましかったのが、犀川に沿った道や鉄橋のほとりだった、という。階段を見つけて、河川敷へ下りてみる。川岸は「犀星のみち」と名付けられ、詩碑などもある。いろいろな詩はうたえないけど、歩きたくなって、そのまま上流を目指す。小雨のぱらつく曇天で、川は清流というより濁流だったが、風は心地良い。空が広い。

 犀星が本書の詩をうたった20代前半は、決して恵まれた時期ではなかった。貧しかったため、犀星は13歳で高等小学校を中退した。地元で働きながら独学して、文学を志す。21歳で上京するものの、なかなか才能は見出されない。東京での生活は荒んでいく。

幾月も昼間外出せずして終夜なる巷にゆき、悪酒にひたりぬ。

 闘病もした。自身で「暗黒時代」と振り返る。といって金沢に逃げ帰るわけにもいかない。そうと知って読み直すと、美しさを称え、喜びをうたう詩編にも、どこかに悲しみや寂しさが反響しているように感じられる。

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても 帰るところにあるまじや

 「抒情小曲集」の最も有名な一節を、歩きながら口ずさんでみる。空はどこまでも続いている。

                         2019.10.7 夕刊フジ


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集