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近代化が進む東京で…薄暗い路地へ

永井荷風『日和下駄』

 お散歩コラムの小欄としては、この本は外せない。『濹東綺譚』などで知られる作家の永井荷風(1879〜1959年)が、東京の街を歩きまくるエッセー集。こう書いている。

 その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである(中略)私は唯目的なくぶらぶら歩いて好勝手なことを書いていればよいのだ。

 お気楽モードを強調して、目指すのは風光明媚な名所旧跡ではない、と記す。自分の目に留まるのは〈一個人にのみ興趣を催させるばかりで容易にその特徴を説明することの出来ない平凡な景色である〉。

 街歩きの魅力を鮮やかに示している。マンホール蓋の写真を撮り、レトロな建物を訪ね、飛び出し坊やを探し、坂道を研究する、といった現代の散歩スタイルにも通じるものがある。『日和下駄』の刊行は大正4年。平凡を愛でる散歩史、じつは一世紀も遡れるのである。

 東京中をあちこち歩いていて、どこを取り上げても面白いのだが、まずは明治41年から大正7年まで住んだという新宿区の旧宅跡を訪ねてみた。地下鉄の曙橋駅から抜弁天へ抜ける余丁町通りをたどっていくと、表示板を発見。周囲は住宅街。ここで古地図を使ってみる。

 というのも「散歩には是非ともなくてはならぬ伴侶」と荷風が言うのが「江戸切図」。江戸時代の古地図を手に、今昔を比較対照しながら歩いた。インターネットとGPSの恩恵を受ける現代の私たちは、スマホの画面上で古今の地図を一瞬で重ねられる。ふむふむ。余丁町通りは江戸時代からほぼ道筋が変わっていないようだ。荷風もきっと、自宅が誰のお屋敷跡か調べたはず。

 本書での彼は、近代化で東京が急速に変わっていくなかで、「消えて行く風景」を懸命に書き残そうとしているようだ。

 わが住む家の門外にもこの両三年市ケ谷監獄署跡の閑地がひろがっていたが、今年の春頃から死刑台の跡に観音ができあたりは日々町になって行く。

 風流を愛する荷風には、西洋的なスクラップ・アンド・ビルドはお気に召さない。だが、新陳代謝は都会の宿命。荷風は路地へ視線を向けた。そして、薄暗い路地にこそ、生活があり、感情がある。立派な表通りには感じられない興趣があちこちにあふれている、と熱く語る。

 裏町を行こう、横道を歩もう。

 で、帰り道は路地へ迷い込んでみた。駅はきっと…こっちのほうかな。

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