エロ電話の代償は高くついた
中学1年の頃、おかず探しの旅をしていた。
・インターネットは普及してない
・エロビデオは拝見できない
・エロ本を買う勇気も金もない
そんなナイナイ尽くしの生活を送っていたこともあり、おかず探しの旅は死活問題だった。
学校裏のゴミ捨て場、雨上がりの公園、父が読み終わったスポーツ新聞、週刊誌のエロコーナーの切り抜き、ギルガメッシュナイト、トゥナイト2……。その全てを網羅しても、下半身から溢れ出る欲求を抑えられずにいた。
そして暑い日の昼下がり。両親と姉がいないことをいいことに禁断のツールに手を出してしまった。
それはエロ電話。
事前に友人から【AVの音声版】という情報を聞いていた。それならAVでよくない?というのは愚問である。山があったら登りたい、エロがあるなら試したという至極当然のことだからだ。
また、幸運なことに父が読み終わったスポーツ新聞やパチコン雑誌には当時大量のエロ電話への誘いが多数存在したことも追い風となる。
私は恐る恐る黒電話のダイヤルを回し指定の番号に掛けた。今回の内容は、OLと上司の絡みらしく、仕事の話から急に上司がセクハラをし、OLも満更でもないというベッタベタな展開だ。
初めて受話器越しに聞くソッチの世界は凄まじかった。フィクションと分かっていても耳に入る情報を頼りに、あれこれ妄想するだけでも経験したことない感情が押し寄せる。
今考えると、当時黒電話は玄関に置いてあったので、玄関で誰かと電話するようにして立ちながら勃っていたというシュールな画である
急な来訪や宅配の人が来る場合に備え、自身の受話器はシェイクスピアすることなく、ただただ勃っていただけ。自分史上あそこまでアソコを勃たせていた経験はない程のギンギラギンにさりげなくであった。
結局、初のエロ電話は30分以上聞いてしまう。ヤメラレナイトマラナイ。大きな満足と下半身に残る不満。そのバランスは全く健全ではなかったものの、耳から伝わる情報だけであそこまでアソコをがああなるとは・・・たった30分で虜になってしまったことは言うまでもない。
しかし、エロ電話生活は長く続かなかった。
きっかけは翌月の電話代が異様に高かったこと。母はあの日私が1人で家にいたことに関係していると考えており、執拗に問いただされた。
私は知らないフリをしていたものの、母の「怒らないから言いなさい」という言葉に油断し、全てを打ち明けた。家に1人でいる時にエロ電話を使ってしまったと。禁断の世界であったと。
すると母はブチ切れたのだ。正確には、白状した際の「エロでん」辺りでビンタが飛んできた。「勉強しないで何やってるのよ!!!」と無茶苦茶怒っていた。さっきの怒らないという約束は?と考えるまでもなく二発目が飛んできた。
しかし、私は耐えた。本来なら泣き喚いて許しを乞うシーンなのだろうが、泣きも謝罪もしなかった。思春期特有の意地も働いたこともある。痛みの代償としてのエロ電話なら、、、悪くない。
その後もアレコレ文句を言われたものの、ただただ黙って耐え、大ピンチをビンタ2発で回避できたことは悪くない結果だろう。
しかし、その次に1人になった時、再度エロ電話を試すと「この回線でこちらのサービスはご利用できません」というニュアンスのアナウンスが流れ、私のエロ電話生活はあっけなく終了した。
母にビンタされようが叱咤されようが泣かなかったが、エロ電話が聞けないという事実は何より酷で、私は受話器を置いてそっと泣いた。
13歳、暑い夏休みの終わりの日。
少しだけ強くなれた気がした。
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