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野生、社会、そして共生がヘタクソな愛すべき動物たち - 『ナミビアの砂漠』

一瞬、動物園に居るかのような錯覚を受けた。上半身裸の主人公がヨガのポーズのように突っ伏したまま伸びをするシーン。新進気鋭の若手女優の乳房があらわになっているにも関わらず、生物の観察をしている気分だったし、動物的な可愛さが勝った。素晴らしい演技だし、明らかにこの映画に没入し、世界の観察者になっている。素晴らしい映画だと確信した。

気鋭の新人監督と俳優が、奇跡的な邂逅を遂げて作られた『ナミビアの砂漠』。いつも空虚で怒りをもち、自分勝手でガサツ。日本ではあまり描かれなかったタイプのヒロインが主人公の、不思議な映画だった。

かつて東京を砂漠に例える歌や文学があった。でも現在は令和である。貴方が居ても居なくても、いやむしろ居ない方が俯かないで歩いていける。2人の美しい男に愛されているのに、俯いたり暴力を振るったり心を病んだりする。都市の野生とはつまり、共生ではなく独りで生きていける技術なのだろうか。もう少し詳しくすると、愛情が無くても生きていけるのだろうか。

この映画はフェアに女と男を捉える。有害な男性性だけでなく、有害な女性性も曝け出す。今まで男性がしてきたような女性の消費を、ヒロインは反転させる。パンフレットで五所純子が指摘している通り、「あの嘘」は明らかに有害な女性性と言えるだろう。本当に卑怯だと思ったが、これが彼女の生存戦略なのかもしれない。

誰もがズルくないとすぐに死んでしまうような野生。そんな世の中はもうやってきていて、大人には分からない。勝手に夢を持てと言ったり、お前は将来何になりたいんだと迫る。そんなものはない。「この国はゆっくり終わっていくから、目的は生存」。これが若者のリアルなのだ。

ここまで書いて悲惨な面しか見えていないのだが、可愛さについても書いておこう。例えばファーストシーンの歩き方や口の半開き。映画としてまったく新しい音声処理がすごいカフェのシーンの聞いてない表情。無感情の「はい、冷たくなりまーす」。ジャイアントコーンを食べながらのズームアップ。可愛いとしか言いようがない一瞬もたくさんあるから、やはり動物園での観察に感じる。

人間が野生から共生を選び、文明を発達させてきたのはたった1万年前。その間も争いは無くならなかった。それでも、壮絶な喧嘩の後に訪れる穏やかな静寂と、ナイフとフォークの使い方、ハンバーグにソースでもケチャップでも良いという許し。「わかんない」で良いということ。そんな取るに足らない瞬間が愛おしく思えることこそ、文明が発達した証拠なのかもしれない。そして終わりゆくこの野生に住む若者が感じる数少ない幸せなのかもしれない。

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