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スタートアップコーポの全然キラキラじゃない話_vol.3「資本金55万円、このあとどうする?」

朝息子に、朝ごはん何食べる?おにぎり?いらない?蒸しパンは?やなの?じゃあバナナ?とまくしたてていたら、小さな声で「うるさいなぁ」と言われショック。4歳ってこんななの、、
そのくせ保育園から帰ってきたら「保育園はおまえいねーからぜんぶ色褪せて見えるわ(意訳)」みたいなこと言ってくるから、息子沼深い。

前回からの続きです。

さて、ようやく「なんだか仕事って楽しいかも、、」と思えていた矢先のこと、会社が合併することになった。100人規模の会社が一気に800人規模に。そしてわたしは、まぁ予想した通りではあったが「労務グループ」に配属されることになった。もう一方の会社の人事に、社労士です、みたいな方はいなかったのでそうなるだろうとは思っていた。労務グループの主な仕事は「勤怠管理(36遵守)・給与計算・入退社管理・保険関係手続き・社員の健康管理etc」となる。わたしは生意気にもこの配属が不服であった。もちろん「労務」として慎重に判断をして対応しないといけないマターもあるが、こういった場面は最後の最後であり(そういう自体を招かない、というのも労務の重要な役割である)、常態として何件もあるものではない。オペレーションは卒業できたつもりでいたのに、逆戻りという意識に囚われた。今となっては、オペレーションは卒業、という自分の買いかぶりに失笑だが。合併に際した給与制度の調整などはしたが、合併後は成果を出すまでもなく、また周囲に迷惑をかけてフェードアウトした。

自分の情けなさ、不甲斐なさをまたしても噛みしめる日々。まったく成長していないですね。そんな中、現CEOの谷本が起業することになった。谷本の性格はある程度知っていたので「バックオフィスのことは谷本さんよりはわかるから、起業するならそっちはわたしがやるよ」とまとまった。今思えば谷本さんは、鬱々としていたわたしの居場所をつくってくれたのかもしれません。こうして2016年12月、株式会社O:は創設された。

■スタートアップのはじまり

「バックオフィスのことはわたしがやる」とはいえ、創業時スタートアップのコーポレート作業は量としては少ない。そして当時フルタイムメンバーはわたしと谷本の2人だった。つまり、2人でなんでもやった。今振り返るととても「やりました!」と胸を張って言えるようなレベルではなかったけれど、とにかくなんでもやった。このときはまだ本当に何もなくて「胃が常に痛むことも/夜眠れなくなることも」ほぼ経験していなかったので、お気楽なものだったな、、と今は思うけれど。
でも当時は楽しかった。とにかくなんでも自分の裁量と責任である。自分の判断がすべてである。みんな起業してみたらいいのに、とすら思った。本当にこの頃はまだ、何も知らないw

創業当時わたしが立てた目標は3つあり、それは今もほぼ変わっていない。

・谷本さんをCEOにする(名実ともに、という意味で)
・O:のプロダクトを良いものにして多くの人に拡める
・O:を良い会社にする

ひとつめについては今となってはずいぶんおこがましいことだったなと思う。現在これはわたしの目標ではないが、会社のために良くないと思ったら「谷本さんに異議を唱える」という役割は、やはり心に留めておくようにしている。

そして、2つ目3つ目については現在進行形であり、O:が続く限り永久進行形となる(という当たり前のことを今しみじみと感じている)。

■資本金55万円、お金のこと

スタートアップは「まだ世の中で気づかれていない価値」を目に見える形にし、広めていくことで社会に変革をもたらすものとされている(個人的解釈含め)。創業時にはプロダクトも完成しておらず、つまり顧客がついていない、という状態が多い。顧客がついていないということは売上の目処がたっていない、ということだ。ちなみに弊社は谷本が用意した資本金55万円で創業した。会社にあるお金全部で55万円、以上!である。

谷本もわたしも完全に前職から離れていたこともあり、当初から少ないながらも給与は出していた。また、わたしは社労士なので、社会保険・労働保険の適用も最初からばっちりである(わたしは創業時から今に至るまで労働者の立場です)。創業当時のCTO含め3人分の費用合わせてランウェイ2ヶ月もない。今考えると、ほんと無謀だな〜アッハッハである。この状態で給与なんて今なら絶対にしないw
ただ、創業日である2016年12月5日、ビジネスコンテストに出場した弊社は当時のプロダクトで最優秀賞をいただくことができていた。賞金100万円。この入金があれば二回目の給料は支払える。そして年明けのアクセラレーターさんとの出会い、ご出資、エンジェル投資家の方々、ベンチャーキャピタルさんとの出会い、ご出資、NEDO助成金の採択。そうやって様々な出会いとご協力を得て、創業して一年半ほどの間に当面の資金については心配のいらないところまできたのだった。

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特にエクイティ・ファイナンスについては当時に比べるとわたし自身も多少は慣れたし、スタートアップの方々にとっては当たり前のことだと思うが、多くの人にはなかなか理解しがたいことのようだ。実家の母にも、売上がなくてどうやって食べていってるの?とよく言われたものだ。
投資家の方々は弊社の将来を見込んで、株を買ってくださる。つまりこれはいただいたお金ではなく、預かっているお金だ。弊社はいずれ会社を大きくし、株価を高くして、弊社の将来にかけてくださった皆様にお返しする義務があるのだ。そのことはずっと、忘れてはいません。

■そして思わぬできごと

無邪気にとにかく目の前のことを動かし駆け抜けていた一期目であったが(そして改めて書いてみると、本当に最初は順調でしたね〜、イケイケだと思いこむのも無理ないでしょう?w)途中でわたしは妊娠した。大事なときに妊娠してしまった、という思いも正直なところあった。しかし、当時34歳、出産時は35歳、子を持つことには縁がないんだ、と思っていたわたしには生む以外の選択肢はなかった。二期目を迎えた頃よりメンバーは増やし始めていたが変わらずに働いた。

そして二期目を迎え5ヶ月が経った春、息子は無事に生まれた。離婚から5年経ち、希望を描くことすら禁じていたあの頃には想像もできなかった場所に立っていた。

2018年の4月から2019年の3月までの本当に幸せな時間だった産休・育休を経て、2019年4月に復帰。
そしてここから怒涛の「一人でなんでもやるマン」な生活が始まる。

※会社を存続させるってそれだけでほんとうに大変なこと、、、
カナメはただひとつ、人!
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